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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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吉良邸跡

江東での公演を終えて、両国まで歩いてみた。
吉良邸跡は随分以前にも行った気もするが、終えたばかりの『薄桜記』の締め括り。

 吉良上野介は所領・吉良吉田では
赤い駄馬に乗った親しみやすい名君。治水の為、黄金堤を普請した治績もある。
愛知県の教育委員会が出していた小学生用副読本
『郷土に輝く人々』の第二巻が『赤い馬』で、吉良公が取り上げられている。

 吉良方の立場からの小説も近年は目にするが、映像では矢張り敵役の吉良が圧倒的。
半世紀前に『薄桜記』を書いた五味康祐は大したものだと思う。
が、完結と前後して映画化された同名作品は、換骨奪胎、
吉良方の用心棒を悪る役に仕立てて、彼らと典膳・安兵衛が闘う筋になっている。
赤穂浪士が主人公と対立位置に立つストーリーは早すぎたのだろうか。

 本所は吉良方の本拠、と言いたいところだが
事件後に屋敷替えをして俄に移って来た土地。決して吉良びいきというのではない。

僅かに残された吉良邸跡の前には赤穂浪士側からの碑が建つ。
それでも敷地内には、吉良家犠牲者を遠慮がちに記しただけの碑や
流血の跡を清めるために勧請された稲荷社の他に、
吉良公座像が数年前に加わって聊か面目を保っている。
隣の和菓子店は“吉良饅頭”を商う。

 “赤穂義士”の話が忘れられていくのは時代にとって健全なこととも思える。
が、数々のスピン・オフストーリーが消えて行くのは聊かもったいない。
正義と悪の対決でない赤穂事件物は
まだまだ生まれて来る豊かな土壌が此処にはありそうである。
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義士の街

 風が冷たい。三時間も歩いたら冷え切ってしまった。
筆を執ったのは古の総理大臣

 徳島から福山への移動日、播州赤穂に寄ってみた。寄ると言っても、岡山から移動ルートを外れて赤穂線なら片道一時間半の旅程。正月には『薄桜記』の南座公演もあり、討入り前日と言うのも何かの御縁。
 義士祭は111回目と言うから明治末年に始まった様。
明治元年、四十七士墓前に勅使が遣わされたて以来、赤穂浪人は義士と呼ばれ、戦前忠孝教育に組み込まれた。
三大仇討の他の二つ、曾我兄弟と伊賀越とは廃れた中で未だ踏みとどまっているのも、
群像劇の面白さの他にそんな経緯も力となっているのだろう。義士祭当日は投票日
今年は突然の選挙が降って湧いて、役所は人手不足でてんてこ舞。
担当責任者が「こちらが、(不意の解散に)打ち入られたよう」と発言する報道があった。
演じた原惣右衛門、片岡源吾衛門が並んでいた。大石神社参道

 山を背にした駅前には大石内蔵助の像が建ち、大通りを突当ると赤穂城址。復元された敷地は意外に広い。
二の丸、三の丸も保全されているからでもあるが、石高の割に高燥だったことも事実の様である。
大石家長屋門が残り、その奥には大正時代創建の大石神社。
光の天守閣

 天守台の上には、祭に合わせて組まれるのであろう城型の骨組みがLEDを携えている。
元々の赤穂城も天守閣まで予算が回らず、天守台だけを持つ城であった由。

赤穂藩主が池田から浅野初代に移る際には、備中松山の水谷初代が城受け渡しをしている。
水谷家と言えば、大石内蔵助が城受取に向かったのがその三代目死後の断絶時。

赤穂城受け渡しの際の“城内犬之覚”が展示されている
『元禄忠臣蔵』に「城内の犬の毛並みまで調べて」という科白も、故有ること。

忠臣蔵キティちゃん49種、内匠頭と吉良が参加して49
 祭りは夕景からのライトアップからが本番だが、浅野菩提寺などを散策して明るいうちに福山に向かう。
江戸が大雪だった討入りの日は、旧暦を当てはめれば今年は2月2日だが、師走の空気が忠臣蔵には馴染み深い。
忠臣蔵ドラマや映画も跡を絶った昨今、こんな風物詩も徐々に姿を変えていくのかもしれない。
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松の廊下

 松の廊下跡を見に行った。
開園時間の制限はあるが、無料で入れる東御苑の中に 
千代田城の遺構はある。

 一ツ橋に近い平川門を這入って 窓口?で入園票を貰うと緩い上りの道に導かれる。
道の両脇には櫓跡であろう幾つもの石垣に紅葉が映える。
公園として整備されているが、城跡であり、向いの国立劇場で上演している『薄桜記』の中で頻りに出て来る権力の権化“ご公儀”とは此処の事である。
 
登り切って急に開けた視界には天守台。徳川初期に焼失した江戸城天守閣は
以降再建されなかったとは有名な話だが、その石垣が今も残って居るとは不明にしてこの時初めて知った。
 焼失後200年続く徳川時代、何を想って天守閣不在の土台を見上げたのだろう。財政等諸事情が再建を許さないことを残念に思ったのか、最早無用の物と感じていたのか。日本人の好きな中空構造は此処にも顔を出しているのかと取り留めない考えが去来する。

天守台に続く広い芝生は、江戸城諸施設の跡。遥か向こうに“松の大廊下跡”がある。と言っても、小さな碑石がー廊下の名前に因んでかー松の根方に建っているばかりである。
 工事中の大手門から出て濠の外周を廻って国立劇場の楽屋入り。
楽屋入り前の周辺散策は五月公演からの習慣乍ら、東御苑は初めて。30分の駆け足ではもったいない。一度ゆっくり歩く機会を持ちたいもの。

☆再訪 【“松の廊下”の続きを読む】
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死んでもブレストを

 江東区で朗読劇『死んでもブレストを』。
東京大空襲を描く早乙女勝元先生の作品は、小学生の頃にも課題図書になって居たものだが、これは墨田の電話交換手たちが迎えた三月十日の物語。28名が犠牲となり、非番を含めて4名が生き残った。
墨田交換手慰霊の碑

 公演の朝、錦糸町で降りて雨上がりの道をNTT石原ビルに回る。ここにあったのが舞台となった墨田電話局。
道に面した角地に慰霊碑がある。13年後、ビルが新築された際であろうか、三月十日に除幕されている。
慰霊と記した碑の向かって左前にあるのが作家・吉川英治氏による文章。別れた妻と暮らしていた吉川氏の養女も空襲で消息を絶っている。後妻と共に焼跡を捜しまわったという作家は、慰霊碑の除幕式にも参加、数日後に新たな碑文の依頼を受けたという。向かって右前には生き残った交換手が90を迎えての文章が刻まれる。
 以上は、ビルの角地の植え込みに囲まれてひっそりとたたずんでいる。
NTT石田ビル角

四つ目通りに出て、小名木川や横十間川を越して江東の公演会場に。この辺りもみな焼け野原だった筈。当時の地図をよく見ておけばよかったと後悔。
錦糸公園という大きな公園があるが、帰ってから調べたら大空襲の犠牲者一万人が当時仮埋葬された場所だったという。

 今回図書館で『電話交換手たちの太平洋戦争』という書を見つけた。
生存者の証言と記録をもとに、想像の翼も広げた小説であるが、8月14日に名古屋では全て自動交換方式になった、など興味深い当時の状況が記される。
屋上から放水して延焼を防ぐ装置が、墨田の話にも出て来るが、このドレンチャー装置が交換手たちの命を護った例、「鎧戸さえあればもっと持ち堪えられた」と主任が嘆く“鎧戸”が交換手の非難を阻んだ実例も記録されている。主任の言葉は交換手を思いやることより、あの段になっても戦争の生命線である通信死守を意味したものであったこと、事実、敵機情報、各種警報、応戦命令といった機能が全て交換手たちが守る電話回線に依っていたことを改めて認識する。三年ほど前になろうか、『法然と親鸞』の稚内巡演で会館の裏手の丘の上にその記念碑があり、玉音放送後に起こった悲劇を初めて知った。樺太・真岡町の交換手たちの話もこの本には記されていた。
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午歳の女

疾駆
本年は甲午、一回り後に来る丙午(へいご・ひのえうま)の年に八百屋お七は生まれたことになっている。

八百屋お七事件は伝説と創作に彩られて、事実は特定できない。少女放火事件に、江戸の人々が想像と夢を膨らませ続けた産物と見るのが妥当だろう。
1666年生まれとすると事件があった1683年に、お七は数え年18となる。16のお七を15にして火炙りの罪を減じようとする物語の一系統もあるので不都合なのだが、丙午という響きを捨てがたく喧伝されたようだ。


 陰陽五行説に干支を当てはめると、丙も午も、陽の火となり火事、激しい女性のイメージに持って来いだった。馬で引き回される姿も連想されたのかもしれない。災いを成す女性のイメージは、戦後20年を越した1966年の出生率にも影響を遺すほど定着していた。
ちなみに五行×陰陽は10種類、10の干にはぴったり嵌るが、12の支では計算が合わない。陰陽二つずつの木・火・金・水の間々に“土”を一つずつ計四つ挟むのだそうだ。木火金水は春夏秋冬を、土は土用=季節の変わり目を現すから理に叶って(?)はいる。

疾駆

 お七の火付けの原因となった恋人の名も諸説ある。出家してお七の菩提を弔ったとも切腹したとも描かれるが、そもそも恋人の存在自体疑わしい。吉三郎の名は、この事件の悪役の名が流用された形跡もあるが、歌舞伎では最早これ以外の名は考えられない。
黙阿弥『三人吉三』は、八百屋お七の人物を大胆にアレンジして、女装盗賊お嬢吉三にお七のスタンダード衣裳“段麻の葉”を着せて『櫓のお七』の趣向までなぞる。“天人お七”ともいわれる、欄間の天女像に隠れて吉三郎(お坊吉三)に会う件は、前進座で演出した久保田万太郎氏が「そこは同性愛でやって下さい」と要求した。お七吉三郎の趣向である以上、恋模様の雰囲気が必要だった。

 
 午年に因んだわけでもないが、南座初春公演は『松竹梅湯島掛額』。吉祥院の場は、入れ事満載の喜劇の観を呈して是自体パロディのようだが、古典歌舞伎のお七ものとしてはスタンダード。『其昔恋緋鹿子』の外題で上演以来、今回は全員初役。

12支後半に入る午の字は、ピークを過ぎて衰え始める植物の様。干支の字に従えばここから六年は衰える一方。兜町には「辰巳天井、午尻下がり」と是に符合する格言があるそうだが、さて。
 
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