FC2ブログ

unputenpu

一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

将軍の墓

源氏山から北鎌倉へ…
何処かで聞いたフレーズの様な経路を歩いてみたのは三年前だったか。
化粧坂の切通しなどを通って、こんな険しいところに幕府を置いたのかと
不明ながら初めて知った。


歌舞伎では江戸の街に擬えられる鎌倉だが、
商業性を重視する秀吉以降の都市とは違って、防備第一の軍都である。
久し振りの神奈川の演劇鑑賞会さんのコース、午後からの公演なので、
こんな機会でもないと足を運ばない鎌倉に始発で出て来た。

頼朝の墓と段葛を見るのが目的だったが、
段葛は周囲を覆って三月末まで保全工事の最中。
桜の季節には間に合わせようという腹らしい。


 小中学生の一団と前後して、若宮大路を鶴岡八幡宮へ。
小学生は大路の右を中学生は大路の左をと綺麗に分かれて行く。
修学旅行の季節でもあるまいと思ったら八幡宮境内を抜けて右手の
中高への通学路になっていたのだった。歌舞伎狂言でもお馴染みの
“雪の下”という洒落た地名に建つ小中学校の先を北東に行くと法華堂跡。
三浦一族が大挙して割腹、滅亡した地である。
此処に残る頼朝の墓は、頼朝の子孫を名乗る
薩摩の島津氏が江戸中期に改修したもの。

 頼朝の子孫かどうかは兎も角、
島津も毛利も鎌倉をルーツに御家人として西国に広がった氏族であることは、
司馬遼太郎氏が『街道をゆく』に記している。


 頼朝墓のすぐ右手に大江氏、島津氏、北条氏の墓があるが、
此方の方が石段も長く風趣に充ちている。
改修した島津氏の趣味か、当人の人となりなのか、
頼朝さんの墓はどうも素っ気ない。
スポンサーサイト
このページのトップへ

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tanji.blog9.fc2.com/tb.php/384-7c37e1e4
このページのトップへ

Search

Information

JAMIRA

Calendar

11月 « 2018年12月 » 01月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。