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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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天文台からの眺め

相変わらずの無鉄砲で、二つに分かれた線路のどちらを追って良いものか迷って少々遠回り。目的地まで小一時間を要した。
天文台からみた再建・日新館

 会津藩校・日新館は、戊辰戦争で消失、四半世紀前に再建されたのは会津若松から一つ向う、広田駅の近く。セブンイレブンのところから右に折れてそのまま勾配の上、と交番で教えられたが、勾配をいくら上っても標識すら出てこない。木々の間に看板が見えた時にはほっとした。
頼みの綱の大きな看板を左折すると駄目押しの登り坂、日新館と記した門扉を入った遥か向こうに土産物を売る建物が見えるが、日新館そのものは更にそこから長い階段の上。自転車で来て大正解だった。
日本プール事始め?
 藩校という言葉から勝手に抱いていたイメージとは違って、趣のある広大な建築が広がる。孔子廟を中心に、素読武道に始まって天文、医術に渡り、水練場は本邦最古のプールと言われる。
弓を引かせて貰えるというので、弓道場に行ってみる。四射二〇〇円也。随分久し振りのこととて四本ともスライディングして飛んで行った。隣の道場は国体にも使われるもの。夏休みには弓道部の合宿にも使われ、向うの武道場では剣道の合宿もあるという。文化財ではない、現役の学び舎である。
再現された天文台。左手前は鉄砲の射場。
 弓道場の御隣は、天文台。ピラミッドのような石積みに過ぎないが、日新館全体と周りの景色が爽やかに映ずる。急勾配を上ってきた甲斐はある。本来は城の隣にあったのだから標高は大分違うだろうが、ビルの建つ現在の街中よりは緑豊かなこの眺めの方が当時の気分には近いのかもしれない。天文台を有したのは、他に水戸と薩摩くらいだともいう。薩摩のは跡地に記念碑が建つばかりで、天文館の名は繁華街の別名に変わっている。
 天文台の隣は、鉄砲の稽古場。 
 また2,30分かけて市街に戻って、本来の日新館跡へ。
昨日も歩き疲れた頃この碑前を通ったのだが、一角をぐるりと歩いて、残って居る筈の天文台を捜す気にならなかった。今日は自転車だから心強い。民家に囲まれたピラミッドは当時の半分くらいだというが、残骸という感じは受けないのは応急に補修したものか。階段を上って頂上に立つことも出来る。
旧・日新館で唯一残った天文台跡
 名を馳せた“会津暦”は、戊申戦後の明治二年のものも版行されている。
一藩の多くが、斗南へ、余市へと窮迫の入植をする一方で暦を作り続ける男たちのドラマがあったのだろうか。
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