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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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将軍の墓

源氏山から北鎌倉へ…
何処かで聞いたフレーズの様な経路を歩いてみたのは三年前だったか。
化粧坂の切通しなどを通って、こんな険しいところに幕府を置いたのかと
不明ながら初めて知った。


歌舞伎では江戸の街に擬えられる鎌倉だが、
商業性を重視する秀吉以降の都市とは違って、防備第一の軍都である。
久し振りの神奈川の演劇鑑賞会さんのコース、午後からの公演なので、
こんな機会でもないと足を運ばない鎌倉に始発で出て来た。

頼朝の墓と段葛を見るのが目的だったが、
段葛は周囲を覆って三月末まで保全工事の最中。
桜の季節には間に合わせようという腹らしい。


 小中学生の一団と前後して、若宮大路を鶴岡八幡宮へ。
小学生は大路の右を中学生は大路の左をと綺麗に分かれて行く。
修学旅行の季節でもあるまいと思ったら八幡宮境内を抜けて右手の
中高への通学路になっていたのだった。歌舞伎狂言でもお馴染みの
“雪の下”という洒落た地名に建つ小中学校の先を北東に行くと法華堂跡。
三浦一族が大挙して割腹、滅亡した地である。
此処に残る頼朝の墓は、頼朝の子孫を名乗る
薩摩の島津氏が江戸中期に改修したもの。

 頼朝の子孫かどうかは兎も角、
島津も毛利も鎌倉をルーツに御家人として西国に広がった氏族であることは、
司馬遼太郎氏が『街道をゆく』に記している。


 頼朝墓のすぐ右手に大江氏、島津氏、北条氏の墓があるが、
此方の方が石段も長く風趣に充ちている。
改修した島津氏の趣味か、当人の人となりなのか、
頼朝さんの墓はどうも素っ気ない。
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吉良邸跡

江東での公演を終えて、両国まで歩いてみた。
吉良邸跡は随分以前にも行った気もするが、終えたばかりの『薄桜記』の締め括り。

 吉良上野介は所領・吉良吉田では
赤い駄馬に乗った親しみやすい名君。治水の為、黄金堤を普請した治績もある。
愛知県の教育委員会が出していた小学生用副読本
『郷土に輝く人々』の第二巻が『赤い馬』で、吉良公が取り上げられている。

 吉良方の立場からの小説も近年は目にするが、映像では矢張り敵役の吉良が圧倒的。
半世紀前に『薄桜記』を書いた五味康祐は大したものだと思う。
が、完結と前後して映画化された同名作品は、換骨奪胎、
吉良方の用心棒を悪る役に仕立てて、彼らと典膳・安兵衛が闘う筋になっている。
赤穂浪士が主人公と対立位置に立つストーリーは早すぎたのだろうか。

 本所は吉良方の本拠、と言いたいところだが
事件後に屋敷替えをして俄に移って来た土地。決して吉良びいきというのではない。

僅かに残された吉良邸跡の前には赤穂浪士側からの碑が建つ。
それでも敷地内には、吉良家犠牲者を遠慮がちに記しただけの碑や
流血の跡を清めるために勧請された稲荷社の他に、
吉良公座像が数年前に加わって聊か面目を保っている。
隣の和菓子店は“吉良饅頭”を商う。

 “赤穂義士”の話が忘れられていくのは時代にとって健全なこととも思える。
が、数々のスピン・オフストーリーが消えて行くのは聊かもったいない。
正義と悪の対決でない赤穂事件物は
まだまだ生まれて来る豊かな土壌が此処にはありそうである。
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近大卒

 日比谷で用を済ませて文学座のアトリエに回るつもりだったが、
開演3時間前から4枚だけ出るという当日券は競争率が高く
30分ダイアルし続けて、手に入らないことが漸くわかった。

 “近畿大学水産研究所”夜の開店直後に行き罹ったらが
此方は席があったので、初めて入ってみる。
 近大で養殖された魚などを食べさせる店。


テーブルにはアエラの近大特集号も置かれて大学のPRにも効果絶大。
前理事長にはあまり好感度を感じないが、文楽大夫、スポーツ選手など多方面に人材を輩出している。

 近大が養殖に手を染めたのは1954年というから、
第五福竜丸事件や警察予備隊の創設があり『ゴジラ』『七人の侍』が封切られた年。
クロマグロの養殖に取り掛かってから人工ふ化に成功するまでは9年だが、
完全養殖に漕ぎ着けるまでには更に23年の歳月が掛かっている。

 近大卒の魚たちの刺身盛には卒業証書が添付されている。
水産資源の先行きに明るい話の少ない昨今、
誠に頼もしい卒業生たちではある。
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乙な未

十二支に動物を充てるのも、植物の一生に擬えるのも
所詮後付けと云う。
尤も後付けと云っても遥か紀元前の仕業。
 未だという字に羊が充てられた因果関係は特になさそうである。
乙未

  家畜の羊が日本で定着したのは漸く明治初期。江戸時代にも試みられたが失敗している。
が、歌舞伎狂言にはその姿を留めている。

十五年ほど前国立劇場で通し上演された他に観る機会を得ないが、
初代並木五瓶『富岡恋山開』(とみがおかこいのやまびらき)。
富岡は、世界遺産で話題の製糸場ではなく、深川の富岡八幡宮のこと。
証拠の書付を食べてしまうという場面で、見世物小屋の羊が主筋に関わって来る。
見世物は、“羊と人が相撲をとる”という趣向だったと台詞にある。
実際、そういう見世物があった物だろう。
江戸の人にとっては日常に馴染みのない事、虎や龍と大差ない。


 眠れない時、羊を数えるという習慣も西洋小説などと共に渡来した文化だろう。
子供の頃ためしても成功した記憶がない。
その理由として、羊のイメージの身近さ、発音等の違い、が指摘されている。
言われてみればムベなるかな。


 時に、学校を遠く離れても未と末との字の区別に困惑する人たちがある様子。
口の上に土、士、を乗せる吉の俗字、正字と同様程度に似通った字。
言われてみれば、何の苦労もなく使っているのが不思議でもある。
自分はどうやって憶えたのだろう。

兎もあれ、乙未の歳。32番目の干支である。
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