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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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義士の街

 風が冷たい。三時間も歩いたら冷え切ってしまった。
筆を執ったのは古の総理大臣

 徳島から福山への移動日、播州赤穂に寄ってみた。寄ると言っても、岡山から移動ルートを外れて赤穂線なら片道一時間半の旅程。正月には『薄桜記』の南座公演もあり、討入り前日と言うのも何かの御縁。
 義士祭は111回目と言うから明治末年に始まった様。
明治元年、四十七士墓前に勅使が遣わされたて以来、赤穂浪人は義士と呼ばれ、戦前忠孝教育に組み込まれた。
三大仇討の他の二つ、曾我兄弟と伊賀越とは廃れた中で未だ踏みとどまっているのも、
群像劇の面白さの他にそんな経緯も力となっているのだろう。義士祭当日は投票日
今年は突然の選挙が降って湧いて、役所は人手不足でてんてこ舞。
担当責任者が「こちらが、(不意の解散に)打ち入られたよう」と発言する報道があった。
演じた原惣右衛門、片岡源吾衛門が並んでいた。大石神社参道

 山を背にした駅前には大石内蔵助の像が建ち、大通りを突当ると赤穂城址。復元された敷地は意外に広い。
二の丸、三の丸も保全されているからでもあるが、石高の割に高燥だったことも事実の様である。
大石家長屋門が残り、その奥には大正時代創建の大石神社。
光の天守閣

 天守台の上には、祭に合わせて組まれるのであろう城型の骨組みがLEDを携えている。
元々の赤穂城も天守閣まで予算が回らず、天守台だけを持つ城であった由。

赤穂藩主が池田から浅野初代に移る際には、備中松山の水谷初代が城受け渡しをしている。
水谷家と言えば、大石内蔵助が城受取に向かったのがその三代目死後の断絶時。

赤穂城受け渡しの際の“城内犬之覚”が展示されている
『元禄忠臣蔵』に「城内の犬の毛並みまで調べて」という科白も、故有ること。

忠臣蔵キティちゃん49種、内匠頭と吉良が参加して49
 祭りは夕景からのライトアップからが本番だが、浅野菩提寺などを散策して明るいうちに福山に向かう。
江戸が大雪だった討入りの日は、旧暦を当てはめれば今年は2月2日だが、師走の空気が忠臣蔵には馴染み深い。
忠臣蔵ドラマや映画も跡を絶った昨今、こんな風物詩も徐々に姿を変えていくのかもしれない。
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