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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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味噌蔵の箍

 八丁味噌蔵通りは矢作川の近く、岡崎城からは870m程。八丁味噌の名は、岡崎城から西八丁―870mの位置で作られたのが由来。
だから、八丁風の味噌ということはあっても、八丁味噌を名乗れるのはこの位置にある二店のみ。東海道を挟んで北側が宮内庁御用達のカクキュー、南が徳川家御用達の“まるや”。規模は小さいが、まるやの方が由緒は古いという。古い味噌蔵には葵の紋入りの瓦が乗る。
 高岡へ移動の貸切バス出発は11時。ホテルから八丁蔵通までは2~30分。
カクキューの見学は10時からだったので諦め、まるやさんで聞くと次の9:30の回で可能だという。待つ間に、紹介ヴィデオで味噌造りの流れを一通り学習。ナビゲーターは地元出身の役者さんなのだが、何を勘違いしたのか初っ端に三英傑はみんな尾張の出身、と言い放ったのに吃驚。況して此の三河の地で。
味噌樽、箍はダミー

 9:00からの見学を終えた団体のバスを送り出して、本日二回目の見学会は私の貸切。
  工場の取っ付きは赤だし味噌製造工程。此処はあっさり通り過ぎる。赤だし味噌とは、出汁を練り込んだものを指すこともあるが、この場合は八丁味噌に米味噌を混ぜたもの。
 赤だし工場を過ぎると両側に大きな樽の並ぶ味噌蔵。 

六尺という巨大な桶の蓋に円錐形に積み上げた重石を乗せて二冬n二夏熟成の時を過ごす。重石の積上げは、石の“顔”が面に出る様に積むのがコツだという。熟練者なら三時間ほどで積み上げるというコーンの姿は無駄なく美しい。
 桶も重石も江戸時代からのものがいまだ存在するが、古い桶でも今は金属製の箍が主流。一番古い味噌蔵だけは流石昔ながらの竹の箍だと思ったら、これNHKの美術さんが造って被せたウレタン製の似せ箍を遺したものだった。岡崎を舞台にした朝ドラが嘗て放映され、界隈には岡崎を舞台にした出演者の手形などが残る。
 
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家康、反省。

岡崎のホテルがあるのは、城下を通る東海道筋。
国防の為曲折の路程が造られて二十七曲りと呼ばれている。
ホテルの前には街道筋の風俗を表す小石像が並ぶ。この伝馬通のすぐ隣が康生通り。康生通りの記念碑

家康出生記念の看板を出しているところを見ると、ここで家“康”が“生”まれたからの名前らしい。
 反省家康像
 
 近年戦国ゲームのキャラクターのような“おもてなし”武将隊“が何処の城でも盛んだが、
御多聞に漏れず、グレート家康武将隊が存在する。
春休みのこと、連日演武が行われ、村崎太郎門下の猿回しも城内で芸を披露する。

 城のある岡崎公園は、桜の名所百選に選ばれ、屋台の数も相当なもの。
城の塀からは万遍なく桜の枝が覗く。城中に桜が植えられたのは、
要塞としての役目を終えてからの事だろうと思えば、誠に目出度い景色。
尤もその為に春の河原は、陣地取りの合戦舞台とも
なっている。

 園内には幾つもの家康像が建つが、
意外だったのは三方が原戦役肖像を模した石像が並んでいたこと。
武田信玄の軍に大敗を喫して馬上で脱糞したとも伝えられる敗走の際、
戒めの為に苦渋に満ちたその姿を写させたと伝わる異色の画像の立体化。
レアもののフィギュアに出会った気分。
合わない靴に悩む家康
 町の靴屋さんの店頭で、このユニークな渋面肖像をもう一つ見つけた。
余りポピュラーとは言えぬ反省・家康像が街角にマッチしているのは、生誕地故か。
 それにしても、この肖像を家康が発想して、徳川300年の間も伝えられたのだとしたら
その心根の在り処は実に興味深い。
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