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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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水都の城

 大垣は何度も訪れ乍ら、ゆっくり市内を歩いた記憶がない。
城の外堀が遺構を遺しているこの街は、市が名乗るように水都と呼ぶに相応しい。
 洪水で決壊した際、コンクリートでなく石積みを以て改修した為に水都の風情が保たれている。
時の国土省大臣が大垣出身だった為だと、芭蕉・木因像の前でボランティアガイドさんから聞いた。

“死”に音通する四重四層の天守閣は、大垣城の他にほぼ類がないという。
終戦半月前の七月末大垣空襲で灰燼に帰したが、それまで関ヶ原戦時の姿を遺した旧国宝であった。
天守に上がっても他の城のように展望台風の回廊はない。窓もかなり小さく見晴らしは良くないが、これが本来の姿。戦後鉄筋で再建されたものを三年前に外観改修したもので、致し方ない。

 石田三成の西軍本陣は、当初ここに籠って家康と対陣、緒戦では成績を収めている。
主力軍が関ヶ原に導かれ敗れて後も、大垣城籠城戦は十日近く続いた。この時の城中を記したのが、『おあむ物語』なのだという。
お菊物語・雑兵物語と共に岩波文庫に納められたものが書架にあるのだが、ちゃんと目を通したことがなかった。帰ったら読もうかと思ったら、今時はネット上に翻刻されたものが只で読める。
ドラマ等では、歴史を俯瞰して島津勢大返しと三成・行長・恵瓊の捕縛で時代の転換を示して終わるのが定法だが、時代の只中に生きる人々にはそんなものではなかったろう。

 関ヶ原の戦はおあむ物語に、「三成 御謀反の時」と記される。徳川治世下では、当然の記述だが、時代の限界ということを思わされる。
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反転地

養老鉄道は、サンフランシスコのバートと同じく、自転車を持ち込める電車。
何年前だったか矢張り大垣への移動に、桑名から乗ってみたら自転車を押した高校生が載ってきて吃驚した。
瓢箪に覆われた養老駅

 瓢箪が沢山下がった養老駅の佇まいはその時車中から眺めたが、降りるのは初めて。
養老天命反転地というのが気になっていたからだが、この空間をどう説明していいのか判らない。
体験型モニュメント群と言おうか、疑似四次元空間と言おうか。荒川修作氏は四年前に故人となっているが、言動もユニークな人だったようだ。
永 遠の生命をモチーフにした作庭の思想はよくわからないが、金沢の21世紀美術館と並んで体験型美術館ガイドに載っているところを見ると、世間的にはそういうカテゴリーに入れて良いようだ。明年の20周年を前に一部補習中のため、一般も団体料金扱い。木々の覆われた巨大な窪地をやみくもに歩くことになるが、模型によると開園当初は木々も小さく彼方此方から全貌を見られたもの。
 反転地の極々一部

 折角、養老で降りたのだから養老の滝を見に行く。
川に沿って登ること小三十分、宿場風の飯屋や土産物店を眺めつつ
小振りな滝に着く。帰路通った養老神社には湧き水があるが、江戸後期の儒者たちは養老伝説の地について考証論議を闘わせたらしく、滝の畔に立つ碑は別の学派に一度こぼたれた歴史を持つ。
 この滝の発見によって養老改元が行われて三年後が1300年という。
 歩き出すと立ち止まって食を取る時間がもったいないのが悪い癖、朝を食べた切り二時を回ってしまった。下りの飯屋で五平餅を買って食べながら降りる。宗旨が違うが、御幣がたの五平餅。茶店のお婆さんが道行く人に声を掛けるが、「疲れとりゃーす」などという方言は随分久し振りに聞いた。まだこんな言葉を使う世代が残って居たか。
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