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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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バルタンの日

須賀川松明通りに立つバルタン

 円谷プロが創立50周年を迎え、英二監督の出身地須賀川が
M78星雲光の国と姉妹都市提携を発表するなど、何かとウルトラに関する話題が多い昨今。
この5月5日、市長とウルトラの父との間で調印がなされた駅前のウルトラマン像が建ったのはこの七月七日


 今年初めて知ったが、7月10日がウルトラマンの日になっているという。
『ウルトラマン』第一回放送はその一週間後なのだが、
杉並公会堂で行われた前夜祭が中継されたのがこの日。
どちらの日が相応しいかよりも、10日が円谷英二の誕生日と重なるというのが、制定の理由だろう。
八月末まで市の博物館で円谷TV特撮の特集展示展示内容がミスマッチのお堅い佇まい国史大系や故事類苑が並ぶ書棚に囲まれて放映される『怪獣無法地帯』。展示は着ぐるみや台本、変身グッズ、ジオラマ、マイナー作品も含めたオープニング映像などなど

 バルタン星人も前夜祭に登場していた筈だが、
この後登板記録を誇ることになる有名宇宙人がストーリー上で初登場したのが
7月24日放映の第二回エピソード。

 バルタン星人というが、バルタンという星はウルトラマンのフィクション世界にも現存しない。
宇宙旅行中に、マッド・サイエンティストの核実験によって母星を破壊された宇宙人たち。
この時代のSFで科学技術暴走を司るのはマッド・サイエンティストというのが定番。
マッド・ポリティシャンの仕業の方がリアリティを持つ現在からは古色蒼然の感がある。

 星人たちは、のちM78星雲の、光の国に近いアール星に居を定めている。
幻のノア

 ウルトラマンの故郷・光の国の設定も、第二シリーズの時に洒落にならない設定をしてしまった経緯があって、
実は姉妹都市提携を聞いて聊か複雑な思いがあるのだが、
光の国の住人達は、昔からうつくしま福島のキャンペーンにも協力し、
震災直後には出演者たちのエールが逸早く届けられた。
提携の稔りを祈りたい。
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天文台からの眺め

相変わらずの無鉄砲で、二つに分かれた線路のどちらを追って良いものか迷って少々遠回り。目的地まで小一時間を要した。
天文台からみた再建・日新館

 会津藩校・日新館は、戊辰戦争で消失、四半世紀前に再建されたのは会津若松から一つ向う、広田駅の近く。セブンイレブンのところから右に折れてそのまま勾配の上、と交番で教えられたが、勾配をいくら上っても標識すら出てこない。木々の間に看板が見えた時にはほっとした。
頼みの綱の大きな看板を左折すると駄目押しの登り坂、日新館と記した門扉を入った遥か向こうに土産物を売る建物が見えるが、日新館そのものは更にそこから長い階段の上。自転車で来て大正解だった。
日本プール事始め?
 藩校という言葉から勝手に抱いていたイメージとは違って、趣のある広大な建築が広がる。孔子廟を中心に、素読武道に始まって天文、医術に渡り、水練場は本邦最古のプールと言われる。
弓を引かせて貰えるというので、弓道場に行ってみる。四射二〇〇円也。随分久し振りのこととて四本ともスライディングして飛んで行った。隣の道場は国体にも使われるもの。夏休みには弓道部の合宿にも使われ、向うの武道場では剣道の合宿もあるという。文化財ではない、現役の学び舎である。
再現された天文台。左手前は鉄砲の射場。
 弓道場の御隣は、天文台。ピラミッドのような石積みに過ぎないが、日新館全体と周りの景色が爽やかに映ずる。急勾配を上ってきた甲斐はある。本来は城の隣にあったのだから標高は大分違うだろうが、ビルの建つ現在の街中よりは緑豊かなこの眺めの方が当時の気分には近いのかもしれない。天文台を有したのは、他に水戸と薩摩くらいだともいう。薩摩のは跡地に記念碑が建つばかりで、天文館の名は繁華街の別名に変わっている。
 天文台の隣は、鉄砲の稽古場。 
 また2,30分かけて市街に戻って、本来の日新館跡へ。
昨日も歩き疲れた頃この碑前を通ったのだが、一角をぐるりと歩いて、残って居る筈の天文台を捜す気にならなかった。今日は自転車だから心強い。民家に囲まれたピラミッドは当時の半分くらいだというが、残骸という感じは受けないのは応急に補修したものか。階段を上って頂上に立つことも出来る。
旧・日新館で唯一残った天文台跡
 名を馳せた“会津暦”は、戊申戦後の明治二年のものも版行されている。
一藩の多くが、斗南へ、余市へと窮迫の入植をする一方で暦を作り続ける男たちのドラマがあったのだろうか。
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青田の中の社

会津鉄道・西若松駅は、JR用の券売機が故障して一寸あたふたしていた。会津鉄道側の自販機は元々なく、窓口は女性一人。電車が滑り込んでくると窓口業務を停止してホームへ走る忙しさ。
 目の前で電車を見送って40分待ちになったが、バスと連動した徳用切符を購入。
 湯野上温泉駅まで29分。茅葺屋根の駅舎の下のバス乗り場に行くと、草刈りをしている小母さんたちが30分後だと教えてくれる。温泉地への礼儀として?駅の
隣の足湯で休“足”。かなり熱い。「餅が焼けたよ」と駅舎から草刈りの小母さんたちに昼食の報せ。会津鉄道の駅は何やら暖かい。投票日翌日

 クラシックなバスは、渓谷沿いの舗装道路を20分登って、大内宿へ。
大内宿を発見したのは柳田国男一門。勿論この場合の“発見”とは、コロンブスがアメリカ大陸を“発見”したというのと同じ意味。
 下野街道の旧宿場町。会津藩の参勤交代も通った道だが、明治後主要道路から外れながら、半農半宿であったため旧観を残した。ちなみに私がここを知ったのは、司馬遼太郎氏の『街道をゆく』なので、上記の知識もそれに準ずる。映画セット?

 バスの案内でも“おおうち”と聞こえるのに違和感を感じた。標識などで確かめようとしてもローマ字では長音表記は紛らわしい。本陣跡の民俗展示館のアナウンスでハッキリと“おおうち”と言うのを確認した。会津弁で“おうち”、共通語では“おおうち”と把握しているらしい。地名は現地の呼び方に準ずるべきと思うのだが。
 突き当りの急な石段を82段登る。大きな蛇が慌てて叢へ走る。すっかり観光化されて近くで見ると残念な景色だが、高みからの一望は、なかなかのもの。民具の展示された本陣跡は、囲炉裏に火が入り、自在鍵も魚型の横木も煤に塗れる。燻る匂いが生活を実感させる。火入りの囲炉裏は滅多に出会わない貴重な体験。黒光りする横木

 宿場の真ん中あたりに素朴な鳥居が建つ。源平合戦の端緒を開いた以仁王を祀る村社・高倉神社。機内で戦死した筈の以仁王が東国に落ち延びたという伝説による。鳥居をくぐると青田の中を通る一本の長い道が見えるばかり。青田の中の高倉神社
しばらく歩くと木立に隠れていた社が姿を現す。不愛想に組まれた節だらけの鳥居も好もしい。鳥居の隣には“くま注意”の看板。茅葺屋根の家並も良いが、人波から見放された神社に一服の清涼感を得た。素朴な鳥居が景色に溶け込む
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