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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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めそっこ

 子供の頃、夏になると
近所の市場の魚屋の青いタイル張りの浅い水槽に生きた鰻が溢れ、
「今夜は鰻」という贅沢な日には、注文を受けてその鰻を掴んで串を打つ様に見入った。

 入座後、鰻の話題になると、東京出身者が多い劇団員は蒸さない鰻を「あんなゴムみたいなもの」と評した。
一方、これぞ東京の鰻と紹介されたものは、『目黒のさんま』よろしく、旨みを絞り切って醤油をかけたようなものとしか思えなかった。
めそっこの串焼き
まぁ、好みはそれぞれだし、その後の経験から、蒸したから如何、蒸さないから如何、という単純なことでなく、その店の塩梅によるのだろうと思っている。

今はというと、一般的な丼や重とはあまり縁がなく、串で食べることの方が多い。レバーや”肝”、鰭、頭、首、等々の様々な部位を炙ったもの。
この方が外れもなく、鰻を全的に楽しんでいる気がする。正肉だけを食べることに罪悪感さえ憶える。

 『一本刀―』の舞台は、利根川縁。鰻をはじめ、川魚は名物である。長谷川先生、台詞の端々にもそれらしい言葉をちりばめている。お蔦の生んだ赤子のことを、ならず者・船戸の弥八が“めそっこ”と呼ぶ。 
“ガキ”という程のニュアンスは解るものの、これが鰻の稚魚のことだと始めは解らなかった。
改めて江戸語の辞典に当たると、『物類称呼』に京都ではメメゾウナギと呼ぶとある。
江戸でいう“めそ”“めそっこ”も、ミミズのような鰻というところからの呼び名のようだ。

 滅多にお目に掛からないが、この“めそっ子焼き”は、正に鰻を丸ごと食べる贅沢な一品。

さて、今年に入って然る店に行くと、明らかに串の身が痩せていた。一時的な仕入れの都合なのかもしれないが、
昨今の鰻事情を思うと一寸不安にもなる。
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余白

 序幕と大詰との間にも十年の空白があるが、
それぞれの行間にも”余白”が多いのが長谷川戯曲。
上演の当てもなく発表した作品だから、役者に合せた”アテ書き”はしていない。
同じ戯曲でも、役者の工夫で世界が膨らむ。
 
 戯曲に惚れ込んで、二か月後に初演した六代目菊五郎は様々な工夫を凝らし、
作者が舌を巻いた。
 幕の切り方まで変えてしまい、作者も一旦は原作をそのように改めた。
が、後に新国劇で原作通りに上演して、このやり方もある、と確信、
ようやく原作 をもとに戻した。
 利根川縁で茂兵衛がものを食べる場面があるが、これも戯曲には
「懐中から食べ物を出す」としか書いていない。後は役者の工夫である。
初演の六代目菊五郎は握り飯、後に薩摩芋、新国劇ではオコワ。
先ごろ亡くなった中村屋が初役で勤めた時は、幼さが出るというので大福餅を使った。

裏を返すと長谷川伸先生の署名、さて、いつのもの?

 前進座では団子。食べるものによって周辺の小道具、その包装や扱い方も変わってくる。
団子が周到に生かされる工夫がついている。うちで700回近くも上演されてきた作品だから
その上演史の中で積み重ねられてきた工夫だろうと皆思っていたが、
73年前の記録を読むと、何と座初演の際、すでにこの通りの段取りがついていたらしい。
一同ちょっと鼻白む。


 周りの役々も、これはそれこそ700回の間に決定版というべきものが出ている。
「波一里のごとき者と、筋市、おぶ甚、籠彦、のごとき者は、どこの仕事の中にもいる」と作者記す如く、
やくざ群像も見事に描き分けられ、その余白を先輩たちは見事に埋めてきた。
後から上演するものには手も足も出ないような気がしてしまうほど出来上がっている。
 別の余白を見つけて行く稽古はまだこれから。 
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序幕と大詰

 『一本刀土俵入』は、二幕。
目次には、“序幕”の次に“大詰”と記される。この間、十年。
茂兵衛とお蔦の人生にあった筈の二幕目三幕目は、役者の工夫とご見物の想像力に任される。

十年という歳月がもう一人の主人公ともいえる。
十年後の姿を見せるのは、茂兵衛とお蔦、他には鰯の北蔵というやくざ者ばかりだが、
若いチンピラだった男たちや酌婦たちのその後も台詞の中に姿を見せる。
苦労人・伸先生の面目躍如。

幼少時代からの苦労時代を経て、40過ぎて本格的な執筆生活に入った長谷川伸先生。
『一本刀』の序幕は、その苦労時代、品川で出前持ちをしていた頃、
仕事場の遊女屋にいた女性から菓子や銭と共に意見を貰ったことが素材になっている。
 もう一つ言えば、この実説で茂兵衛に当たる伸先生、
倒産した土建業を再興する志を持ちながら物書きになっている。
中には織部陶器の硯

故郷では「長谷川の倅は芝居なんてヤクザな仕事に入った」と噂された。
 勿論、伸先生は本名おたかさんというその遊女に再会はしていない。
劇中のお蔦の十年後を、妻であり母である姿に描いたのは、
「意見を貰った姉さんに、せめて」もの”土俵入”だった。
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「まぁ、駄目だね」

「長谷川先生の芝居は、やくざを描いてもやくざを否定したお芝居だね。」
舞台袖で先代国太郎は、そう口を切った。
劇団に残っていた木箱

入座した年、先代国太郎の舞台助手についた。
女形ではなく、戦後を描いた『ママちゃま』に、
スーツ姿で“国太郎自身”の役で出演していた。

 『エリザベス・サンダースホーム物語』との副題の如く、
戦後社会の中で生まれたハーフたちと、その為のホームを開いた澤田美喜さんとを描いたもの。
澤田さんと親交のあった国太郎は
その幕間ごとに想い出を語る。
都合、芝居が進行している長い時間は舞台袖で待機となる。
その間は見事に喋りっぱなしだった。


 長谷川先生は、前進座の恩人のお一人。創立公演でも上演させていただいている。
当時は黙阿弥大先生が独占していた年間上演数第一位の座を、長谷川伸が禅定された頃。
 創立の一年前、都新聞(今の東京新聞)が、
「10万円貰ったらどうするか」というアンケートをした。
当時の十万円がどれ程のものか判断がつきにくいのだが、
長谷川先生、面識もない役者の名を記して
「(中村)翫右衛門にやって好きな芝居をさせたい」と書いて下さったご縁もあった。

 上演のお願いに行くと、許可を下さった上、
そういうことなら当分上演料はいらないよ、とのお言葉。
 創立公演半ば、ご挨拶に伺い前進座の将来についてお尋ねすると
「まぁ、駄目だね」の一言。

が、後に「そう言ったら、若い女形が非常に悔しそうな顔をしたので、
存外やって行けるかもしれないと心の中で思った」と話されている。

 悔しそうな顔をした女形というのが、国太郎だった。
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『一本刀』の故郷

日本丸そばに建つ長谷川伸文学碑
 初日まで一カ月を切った日曜、友の会の芝居塾で、横浜を訪れる。
『一本刀土俵入』の長谷川伸先生が、日ノ出町に生まれ、
生家の土建業没落後、ランドマークタワー下に残る二号ドックで使い走りをした
少年時代をも過ごした縁深い地。

 ちなみに、沢岡楼という遊郭のおたかさんという酌婦から、
菓子、銭とともに意見を貰ったのが、
『一本刀土俵入』に生かされているのだが、
これ品川で出前持ちをしていた矢張そんな苦闘時代。
芝居のように再会することはなかったが、
家庭をもって暮らすお蔦に描いたのは、
自分にとって「せめて見てもらう土俵入り」、志だと記している。

 この日ご講演下さった新鷹会理事・伊東昌輝さんは、初対面の際、
「君は不幸な生い立ちだね」という言葉を貰ったと言われる。
何不自由なく育った氏は不審に思ったが、
苦労してこないと人の心が判らないという長谷川哲学だったという。

 池波正太郎、村上元三、山岡荘八、西村京太郎…
ご健在の平岩弓枝さんに至るまで、
長谷川門下の作家は枚挙に暇ないが、その勉強会組織が新鷹会だった。
ランドマークタワーの下にある二号ドック跡
 講演会後、横浜シティガイド協会の皆様のご案内で
野毛、ベイエリアを散策。
公演に来たり、横浜にぎわい座に落語を聴きに、
野毛山動物園に、とこの界隈は時々訪れるが、
足を踏み入れる機会のなかった風情ある街並みを再発見。

 伸先生生家は、日ノ出町駅近辺の線路の下だというが、
生誕の地の碑が大岡川河畔に建つ。
葉桜にかかる提灯

河畔の名物桜吹雪はトウに終わって葉桜だが、
灯入りの提灯は、掛かったまま。
生誕碑の上の提灯の文字が「長谷川伸」とあるのが床しかった。
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新・幕見席

第四期歌舞伎座の三階と幕見席

 お祭り騒ぎのほとぼりが冷めた頃に行く心算で、
演目もざっと見たばかりにしていたのだが、
『熊谷陣屋』だけは観ておきたいと思い直して一幕見の列に並んだ。
朝の情報番組で幕見席に触れた為だとかで、可成りの人が幕見デヴューの様子。
若い担当者等は大童。

嘗ての老練担当者はどうしているかしらん。

一時間少し前に着くと、丁度わたくしの前で一二幕の所作事は定数。
赤いコーンが置かれる。
 列が動き出してからは、担当者スコーンを持って着いてくる。
御蔭で地下の女性トイレが少ないことに苦情が多いとか、
初日前夜から並ぼうとした御客様にはお帰り願った等々、
いささか情報通になる。

 前の人までのチケットを出したところで
もう一枠あるとのことが判明。首の皮一枚で幕開きから入場。
幕見席入口は同じところだが、以前の半分くらいの間口になっている。
売り場は外側になり、登りはエレベーターのみ。
遅れて一人でエレベーターに乗込む。
しっかり管理された幕見券

 チケットには番号が記されていて、上で改めて順に整列入場。
『熊谷』のほうの番号は60番代だから、100名近くは所作事のみ。

“舞台からの眺めが、旧歌舞伎座と余りに変わらなかったので拍子抜けした”
とは某役者さんの言葉だが、
四階からの眺めも余り変わらない。
東西の席が二列から一列になっているのと
付際までしか見えなかった花道がより見えるのが、
目につく違い。
幕が開いてみると、当然ながら黒光りするシゲダンや
真っ白な地舞台が杮落しらしく眼を射る。
前の猿之助丈が三階からも見える付際に決まっていたのを
踏襲して旧歌舞伎座の終わり頃にはみな付際で止まってたが、
今回は七三で止まっても三階から上半身は充分見える模様。
座る際には少し後ろに下がる気遣いもある様子。
明るく広くなった四階ロビー

 帰路は上手側に出来た階段を降りる。
ここで停滞しては困るから白い殺風景な壁なのは
ムベなるかななのだが、
芝居絵の掛かったかつての急階段を想い出す。
降りると以前の切符売り場辺り。

俄かの冷雨に、これも久々のナイルに飛び込んで、
遅いランチ。
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稽古場の花

前進座劇場夕景

 客席を取り外して鎮まり返った前進座劇場にも
季節は巡る。

 不順な天候の中、
 正面に白いコブシが咲く。はて、例年この花に眼を止めたことがあったかしらん。
五月国立を終えて戻ってきた頃満開になっている躑躅も随分花をつけている。
コブシの花

 国立劇場稽古には何時も、三階大稽古場の窓に八重の桜が揺れるのだが、
枝垂れ桜までが早々と咲いてしまったこの年、
心配になって見てみると、咲きかけたままの花弁が寒気に萎れていた。
 今年は駄目かしらんと思っていたが、数日前に花開いた。
大稽古場の窓

 何時も窓からばかり見ていたこの桜、劇場ロビー庭園から伸びているもの。
外から見上げると、正に稽古場を覗き込むように咲いている。
稽古を覗き込む八重櫻

 今年の国立までは、この花に見守られての稽古が出来そうだ。



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