unputenpu

一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

地下水道

昼公演を終えて、同じビルの映画館で『レ・ミゼラブル』。
今回のは、ミュージカルの新演出版による映画化とか。

 子供の頃読んだ『あゝ、無情』は、誰の文章だったのか、
パンを盗む場面、銀の燭台を与えられる場面に増して、
パリの地下を流れる下水道をさまよう場面は文字通り息詰まるものだった。
物語の全てがここに集約された印象があった。
この地下隧道に色々なメタファーを重ねられそうである。

ジャンルが違うが、いぬいとみこ女史の『くらやみの谷の小人たち』を後に読んだ時にも地下水脈の場面にパリの地下隧道を思い出した。

 映画のものが実際の下水道に近いのだろう。嘗て読んだ本の挿絵は普通に立って歩けそうなものだったが、それだけに地下に広がる別世界の恐ろしさがあった。映画では、最後の対決の後、ジャベルが身を投げる濁流のシーンが印象的。
ジャベル警部の出自は、子供向けの短縮版には描かれていなかったろう。ジャベルは敵役で、子供にとって共感の余地はなかったように思う。


戦後に前進座が全国津々浦々を巡った青年劇場運動の第一弾、第二弾が『レミゼラブル』の前後編。前編だけで1200ステージほどを上演している。
長十郎のジャン・バルジャン、翫右衛門らのジャベル。市長役で登場したバルジャンのフロックコートの隙間から金槌が覗いていたというのは、この時の話。出演者全員幕が閉まると舞台転換をしていたのである。
明治時代への翻案版『愛より哀へ』では、翫右衛門がバルジャンに当たる役を演じた。

ミュージカル版では、ガブローシュ少年がテナルジェの子供という設定はなくなっているが、それでもこの小さなスターは、充分にストーリーを引き締めて涙を誘う。
前進座版『レ・ミゼラブル』でガブローシュを演じたのが梅之助。どんな芝居だったか、観てみたくなったが、無論映像記録は残っていない。


にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト
このページのトップへ

7連発

リアルタイムで大河ドラマを見るのはいつ以来だろう。近年大抵の番組は、録画を二倍速で見るのが通常。
第二回は帰ると録画されているはずなのだが、一回飛ばして『八重の桜』第三回。
ゲベール銃、ミネェー銃、スナイドル銃、と幕末主役の座をめまぐるしく争った銃の名が交錯する。
 長州藩の軍師でもあった村田蔵六=大村益次郎を描いた『花神』で、覚えた名前である。

 会津・鶴ヶ城には、実物の重さに調整した木刀と木製の小銃が置いてある。短銃と真剣は持つ機会があったが、小銃の類は持たなかったので大いに参考になった。 本身、銃の重みの判る

数年前のハワイ公演の際、千穐樂を終えて、銃を体験してみた。現代の銃は照準を合わせると私のようなものにでも結構当たる。ということは、落ち着いて狙えば道の向こうの人くらい殺せるということ。改めて怖くなった。

田中好子女史没後まもなく再放送されていた『白虎隊』では、女史演じる八重が機関銃様のものを操っていたが、八重が使ったスペンサー銃は七連発。
本作の冒頭で描かれたように、日本の維新に最新兵器が投入されたのは、アメリカの南北戦争が終結して
武器が行き場を失った為。血で血を洗う内戦の犠牲の上に、新しい国が実ったのか、最終回で八重はどんな感慨を漏らすのだろうか。

にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村
このページのトップへ

関門突破

  一昨年、長府の帰りに関門橋の袂、
みもすそがわ公園から駅まで散策したが、
関門トンネルの人道入口は見落としてしまった。
門司港駅夜景

 小倉への移動日、会議やら何やら用事を終えて、門司港駅に着いたのは16時半過ぎ。
門司港レトロと称する建物群に入れるのは、17時までだから、この人道制覇だけが目的。
門司落日
日の暮れ前にと、人道入口に急ぐ。
とは言え、横目に見る街並みは洒落ていた。
もう少し早いと橋の袂あたりまでトロッコ列車も走っていたようだが、
兎も角、海沿いに歩く。

 門司側の橋脚辺りは、以前バス移動の休憩で歩いたことがある。
松本清張の文学碑のある和布刈神社を越したところに、
関門トンネル人道入口がある。
30秒で地下道につながるエレベーターは、三菱製、
40人乗りと23人乗りの二基。
車道の真下を通る人道は、下関側まで780m。
人の通行は無料。ジョギングで何往復もする人の姿もちらほら。県境

下関側に出ると、目の前はみもすそがわ公園。
大河ドラマ『義経』の際の義経・弁慶像や、
馬関(下関)戦争時の砲台は、前回も目にしたもの。
長州が四か国に砲撃を開始した馬関事件から
今年はちょうど150年。

 傍らに前回は気付かなかった関門トンネルの顕彰碑が建っている。
構想されたのは戦時中の1939年、完成は20年後。高度成長時代がそこまで来ていた。
関門橋が架かったのは15年後。 
関門隧道の碑


 人道の両端に置かれた記念スタンプは半円形。
割符になっていて、並べて押すと一つのスタンプとなる。
割符式スタンプ
門司側に戻ってライトアップされた街並みを抜け帰途に就いた。
大阪に発する国道二号線は、関門隧道を通ってこの街中で、国道三号に移る。
国道二号線は、旧広島大学の裏手を通っていた懐かしい道である。

にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村
このページのトップへ

奇兵隊発足の地

今回は、いつもに似合わず
ほとんど会場とホテルの往復のみだが、
昼公演の帰り、駅の向こうをちょっと覗いてみた。

 吉祥寺駅に始まって、大分駅、ここ下関駅とみな大改造中。
その工事中の液をこえて直ぐのところに、白石正一郎宅跡がある。
前回、長府などに足を運びながら、手近なここを観逸れて心残りだった。

 現在は、中国電力の敷地内。
長州飛躍を担って名高い”騎兵隊”は
文久三年ここで発足した。
白石正一郎旧宅は、今は中国電力

大河ドラマ『花神』の映像ー
高杉・久坂らの御殿山焼討ーが
EテレのCMで流れているが、
あのドラマの長州群像の中で異彩を放ったのが、
故・児玉清丈演ずる白石正一郎。
商人であり、高杉後援者、自身奇兵隊の一員でもあった。
変革を期待する商人の役回りは、後の『獅子の時代』瑞穂屋卯三郎でも
丈のものであった。

その佇まいをしのびつつ、しばし碑の前に立った。
にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村 【“奇兵隊発足の地”の続きを読む】
このページのトップへ

初代石川五右衛門

五右衛門のまじない札
Next『三人吉三』は、年末慌ただしいものになった。
何しろ、関さんは12月中旬まで、主催劇団ヘロヘロQカムパニー公演
『獄門島』金田一耕助に掛かりきりだった。
三時間出ずっぱりの芝居の直後、立ち稽古の途中、
台詞が怪しくなることもあった。

 大恩寺前で立回りの末、土左衛門傅吉に止めを刺して、
「え~っと、‶詰まらぬものを斬ってしまった‴じゃなくて…」
と言ったから、稽古場大爆笑。
これ、第二期以降の『ルパン三世』での、13代石川五右衛門の台詞である。
五右衛門グッズ

 歌舞伎では、朝鮮王朝を背景に秀吉を相対化する大立者。
『三人吉三』に採用された、庚申伝説、
庚申に生まれた子は大泥棒になる云々は、五右衛門に由来するともいう。

現実の矛盾や閉塞感を託したのか、歌舞伎の世界で泥棒人気は高い。
歴史的に実在が認めらたとはいえ、石川五右衛門の生涯は謎に包まれるから、
庶民の夢を盛るには格好の器。
 太閤の朝鮮出兵を阻止する為に暗殺を謀る、大河ドラマ『黄金の日日』の五右衛門は印象深い。
遠賀川水害の跡

 嘉穂劇場楽屋には彼方此方に‶十二月廿五日‴の札が逆に貼られている。
五右衛門の命日をサカに貼ると泥棒除けになるからだが、これ、時に十二月十二日が使われるし、
実は史実とされる処刑の日は、旧暦でも新暦でも十二月にはならない。
庶民の夢で膨れ上がった五右衛門さんの謎のひとつ。 
門松があるうちにうかがうのは初めて

 石川五右衛門に守られた嘉穂劇場での
三人の泥棒の物語、無事打ち出しました。
今日は大分。

 
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

開かずの楽屋

 飯塚での例会は、前進座は嘉穂劇場と決まっている。
シェークスピアの『ベニスの商人』でも、
三浦綾子『銃口』でも、
1931年、前進座創立と同い年の
この嘉穂劇場。

両花道のある桟敷席
洪水改修中の『雪祭五人三番叟』『鳴神』は、残念ながら、別の小屋だったが、
今回は勿論、嘉穂。
何しろ、両花道がある小屋である。
桟敷の中の花道、『勧進帳』の弁慶を
梅之助が勤めた時、花道で袴の裾を引かれ、
「金さん、こっち向いて」と言われて困ったという。
竹製のバトン
 仕込みは何かと大変で、夜公演なのに搬入は9時。
尤も、裏手の道路から延々荷物を運んだ昔を思えば、ずいぶん楽になっている。

 寒かった楽屋も空調が入るようになったし、桟敷には床暖房もあるという。
取っ付きの階段を上がった楽屋は使用不可で‶開かずの楽屋”と呼ばれていた。
今回私たちが入っているのが、その楽屋。
あの頃はどういう状態だったのか、未だにそれは謎のまま。
前進座と同い年の嘉穂劇場
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

ならぬことはならぬものです

九州に赴く前に、やっと『八重の桜』第一回を観る。
鶴ヶ城展示

1861年(『三人吉三』初演の翌年)に始まった米国の南北戦争の描写でドラマは始まる。
『太閤記』は、新幹線の映像で始まり、NHK職員が放送事故と思ったという。
内戦で勝者と敗者とに国内を二分し、多大の犠牲の中から新しい時代が築かれた南北戦争は、維新戦争とある意味パラレル。そして、この戦争の決着がついてしまったために、最新兵器が輸出されて維新戦争を赤く彩った。リンカーンの演説の如く、戦後の歴史はPEOPLEのものになっていったのだろうか。

幕末明治は視聴率をとれない、というのが嘗ての大河の定説。幕末は兎もあれ、明治にここまで大きく踏み込むのは『獅子の時代』以来かもしれない。山田太一の名作も視聴率では戦国ものの駄作に及ばない。
現代の状況に響くのは戦国よりも、維新というスローガンが現実に突き当たるこの時代。『龍馬伝』『新撰組』などで、いささか空気は変わったのだろうか。
番兵の立つ鶴ヶ城入口

会津弁が懐かしいほどに馴染むのを不思議に思ったがその筈。『獅子の時代』は薩摩と会津のダブル主人公だった。「ならぬことはならぬものです」というフレーズは、鶴ヶ城の日新館展示でも印象深い。藩校・日新館表札のレプリカ
にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村

『源義経』の弁慶の立ち往生を真似した子供時代。『竜馬がゆく』から『春の波涛』までは、欠かさず観ていた大河ドラマ。それ以来になるが、今年は見届けようと思う。
このページのトップへ

「襖の絵にもお庭の木にも…」ー前進座劇場ファイナル

 前進座劇場閉館が決まって、ずっと頭の中に響いていたのは、
真山青果『元禄忠臣蔵』の台詞。

大阪・道頓堀の中座は、毎年九月に前進座公演が決まりだった。
私も、ジェームス三木『煙が目にしみる』で初めて出て以来
ほぼ皆勤した想い出深い小屋。

 閉館が決まり、その一か月前に定例の前進座公演だった。
花道回り舞台のあるこの劇場で
歌舞伎作品としては、前進座の
鶴屋南北『本町糸屋の娘』(心謎解色絲)がお仕舞となった。
 座は創立七年の年に、水入りまで完演した
『助六』などで初出演して以来お世話になった小屋。
61年のご縁だった。

 千穐楽の集いで、梅之助が引用したのが、
『元禄忠臣蔵・最後の大評定』の台詞。
赤穂城明渡しを決めた藩士たちに大石内蔵助が語る言葉。

父祖代々通い慣れ、朝夕見慣れしお城のうち
襖の絵にもお庭の木にも この世の名残は残るべし
我らも見納め、各々も見納め、静かに名残を惜しまるるがよい

 床板の剥がれかけた楽屋の廊下、
きっかけで慌てて舞台に駆けつける急な階段、
ロビーのおでん屋さん、
何もかもみな懐かしかった。
 
『三人吉三』の惣千穐楽。梅之助が
カーテン・コールの舞台に立って口にしたのが矢張りこの台詞だった。
今回は、中座とは違い、まさに城明渡し。
 赤穂藩士の場合は御家解散。討入りを期して全国に散っていく
が、劇場はなくとも劇団は続く。


にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

大掃除ー前進座劇場ファイナル

 昨日と打って変わって静かな前進座劇場。
舞台では、五月国立劇場公演のスチール撮影。
 舞台でスチール撮影、一本刀土俵入の勾欄

 『三人吉三』班は、ポスターを張って頂いたお店などを御礼廻り。
地元では秋の武蔵野市文化会館公演が次回公演。
 
 さて、大掃除。
今頃?という声が聞こえそうですが、初春の吉祥寺公演班はこれが年中行事。
営業所、劇場部などの各部署と南座公演班は、年末の大掃除ですが、
前進座劇場の楽屋と稽古場は初春公演が終わってからの仕事です。

劇場表の灯は消えましたが、もうしばらくは
この稽古場と舞台で稽古した芝居が全国に出発します。 

にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

ターン・テーブルー前進座劇場ファイナル

搬出を終えた舞台で打ち上げ。
六代芳三郎が急死した時には、舞台に棺を置き
前数列の座席を外して通夜をしたが、
舞台で飲み食いするのは初めて。

 大きなターン・テーブルがあるのだから
中華にしたらという冗談も出たが、
劇場のレストランなどからのオードブルを並べて
劇場供養。

 営業所員のジュニアが回らぬ口で
お嬢吉三のツラネを披露する。
第五世代として彼が活躍するのはいつの日か。

前・劇場部長も駆けつけて、
舞台奥の切穴を披露。
ここから手動で盆(回り舞台)を動かせる。
停電や故障時のための機構だが、
一度も使うことはなかったという。

 あらゆる事態に備え工夫した先人の想いを目の当たりにし、
改めて忸怩たる思い。

にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

パワー・スポットー前進座劇場ファイナル

 井の頭公演は、前進座劇場から裏手へ歩くとほんの三分。
徳川三代将軍家光が開いたとされるが、
その一角、家康が好んで点茶に使用したという井戸、‶お茶の水“が残る。

ここがパワー・スポットとしてもてはやされていると、
Next公演に足を運んでくれた同窓生たちから耳にした。

 パワー・スポットとは、平易に言えばまぁ、充実した‶気"の漲っている場所、というところだろうか。
何しろ神田上水で江戸に命の水を供給していた井の頭、
池でボートに乗ればカップルが別れるというご利益を持つ弁財天のお膝元、
さぞ強力な〝気‴が充満していることは間違いない。

で、開演前に寄ってみた。
公園入口からスグだから、勿論、何度も前を素通りはしている場所。
銭洗い弁天に行ってもお金も洗わず返ってきた不信心ものだから、何をするでもなく
「ははぁ」と思って楽屋入りしただけだったが。

前進座が吉祥寺にやってきたのは、1937年。
前進座演劇映画研究所と住宅とが、畑の真ん中に現出した。
44年後、全国の皆様のお力添えでここに建ったのが前進座劇場。
ハコが出来てから、中の備品は演出部を中心に整備された。
開演時間を間違えないよう、今日明日の開演時間を示す札、
建設上の規制で判り難くなった舞台の上下への道しるべ、
第二世代の高齢化に伴って舞台への手すりも設えられた。
劇場につきものの神棚も手作り。

 中心となって劇場備品を作って下さった松田益平先輩はもう故人。
劇団を退いた方々も、一目見たいとファイナル公演に駆けつけて下さる。
何より、この劇場に深い想いを寄せて下さるお客様。
客席の想いと舞台の想いが熱い舞台を織りなしたファイナル公演も
九日が千穐楽。

 今、お茶の水に負けない想いが、気が、前進座劇場にも渦巻いています。


にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村

にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村
このページのトップへ

六つの花ー前進座劇場ファイナル

夜公演はNextだったので、
六日の公演を終えてスタンダードの公演はやっと六ステージ。
丁度ステージ数の折り返し。

 長期予報では霙(みぞれ)とのことで心配されたのだが、
幸運にも快く晴れ。
Next千穐樂は、ほぼ満席の中、幕を降ろしました。

 暮れの28日吉祥寺に少し舞った雪は、
カウントされていないようで、
気象庁的には東京の初雪は未だらしい。
雪遠見

 舞台は連日の大雪。
吉三たちへの鎮魂の雪は、役目を終える劇場に降り積もる。
舞台に降る雪は紙の雪。今は機械でプレスされたものが多いが、
古(いにしえ)は、髷を縛る
元結(もっとい)の切端の再利用だったという。
これを雪籠と呼ぶものに詰めて吊り、適度に揺らす。
今では当り前のものとして使っているが、
最初に工夫した人たちは大したものである。

 うっかり吸い込むと喉に張り付いて
苦しい思いをするということで
現代ではカキ氷のような
解けて無くなる雪を降らせることもできるが
なかなか紙雪の風情には及ばない。

『三人吉三』大詰の曲に、
‶四つの巷や 六つの花″とある如く
雪の雅称は、六つの花。
北海道の某菓子メーカーの名でもお馴染み。
これ、雪の結晶の形からきている。
サン・フランシスコ街頭の雪の結晶

雪の観察をしたお殿様や雪国生活のエッセーに使われた
結晶の挿絵があるから、
幕末人ならそんなことも知っていたのだろうと思っていたが、
この‶六つの花″‶六花″という言葉は平安時代に遡る。
古代中国人は既に雪の結晶の形を知っており、
その知識が輸入されていたというから驚き。

雪の殿様・土井利位が『雪華図説』を著した天保3年は
『吉三』初演の30年前。
この出版によって雪の結晶模様のファッションが流行ったという。
にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村
このページのトップへ

土左衛門傅吉の履歴書Ⅱー前進座劇場ファイナル

『八百屋お七』での傅吉は、お七・吉三を援ける役回りという。

現実の江戸に、土左衛門と呼ばれた侠客が居たらしい。
先に記したアンコ型力士に因んだもの。つまり、土左衛門・関の様に丸々とした親分だった。
一方、水死人の土左衛門を引き上げては供養する名物男も実在した。
江戸人の記憶にある三面記事も貪欲に取り込んで、
黙阿弥さんは土左衛門傅吉という魅力的な男のドラマを創り上げたのだった。
傅吉終了

土左衛門傅吉の末期の場は、
明治になって読売新聞に連載された『三人吉三』脚本には、

傅吉、仕掛けにて、喉へ刀の通ったまま、ぬっくと立ち上がり、ひょろひょろとなり、
吉三をきっと見て、ばったり倒れ、落ち入る。

と記されている。
止めを刺されながらも未だ立ち上がる怨念が描かれているのである。
犬の祟りという、凡そ前近代的な道具立てながら、
吉三前史ともいえる傅吉の暗い過去が、
吉三たちの人間ドラマを深く支えている。


 難しい、だからこそ遣り甲斐のある素敵な役。
この正月は、私にとっては改名丸12年。
そして、入座以来、当然のようにあった前進座劇場のファイナル公演。
節目の歳にこの役に出会えて幸せでした。
そして、その舞台にお運びくださった皆様、本当にありがとうございました。
前進座Nextプロデュース第一回公演は今日が千穐楽でした。

第二回へのお運びをお待ち申し上げております
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村
このページのトップへ

土左衛門傅吉の履歴書ー前進座劇場ファイナル

左衛門という言葉は、何割ぐらいの現代人に知られているだろうか。

未来のネコ型ロボットではない。水死人の別号である。
日常会話では決して使わないが、落語や時代劇を好きな方なら、
先刻ご承知。
 
 力士を2タイプに分けて、アンコ型とソップ型という。
ソップ型は締まった筋肉質、アンコ型はプックリとしたタイプである。
江戸の初めに、成瀬川土左衛門というアンコ型の相撲とりがあったという。
膨れて浮かんだ水死者がその関取に似ているからと、300年の後に知己をもった。
思えばこれも不思議な巡り合わせではある。

 『三人吉三』に登場する老侠客・傅吉には、土左衛門爺ぃという二つ名前がついている。
傅吉という名は、『八百屋お七』ゆかりの登場人物だが、土左衛門の名は水死者を見つけると弔うというその善行からついた仇名。
複雑な背景を持つこの役、
”黙阿弥作中でも「文学」を感じさせる人物“と、演劇評論家・三宅三郎氏は記している。

にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

「ヘロQ屋!」ー前進座劇場ファイナル

 『三人吉三』第二幕大恩寺前の場の大詰。
お坊吉三と土左衛門傅吉の死闘が今や始まらんという時も時、
掛かった大向こうが「ヘロQ屋!」。

 芝居の決まりに声を掛ける大向こうは、屋号を呼ぶのが基本。
江戸の役者は出身地や父祖の商い関係などから命名した屋号を持っていた。
近代以降、新派など本名で活躍する役者には名字で掛けたりする。

 同じ屋号の役者が複数出ているときには、
大御所の屋号に〝大″の字をつけ、他の役者は名前の一字を付けて掛けたりする。
山崎屋ならば、〝大山崎″、‶竜山崎″、‶辰山崎″という具合。

 又、‶六代目″‶十八代目″と、ちょっと聞くと車でも数えているようだが、
代数で掛けることもある。
「紀尾井町」などと、役者の住まいを掛ける場合もある。洒落た地名のところに住みたいものだが、
「駅前三丁目」では様にならない。
また前進座の場合は、半分くらいが「吉祥寺南町」になって
誰に掛けて下さっているのかよくわからない。
座の場合は、「前進座」と掛けて下さる方もある。


『石切梶原』で「剣も剣、切り手も切り手」の件に続いて「役者も役者!」と褒めたり、
『身替座禅』で女の元に忍んで行く山蔭右京に「行ってらっしゃい」などと掛けたりと、
洒落た高度な大向こうもある。掛ける本人がよほど洒落人でないと、悪うけに堕ちてしまう。

 さて、お坊を勤める関智一 丈は、もちろん屋号を持たない。
初めから「ヘロQ屋!」と掛かっていれば心の準備もあったのだが、
この大向うの直前までは、「関!」と掛かっていた。

 ヘロQ は、丈の主宰する劇団
「ヘロヘロQカムパニー」の略称だから、故ないことではないが、
‶屋″がついているのが変に可笑しい。
 お互い吹き出している余裕はなかったが、
心中、ちょっとずっこけ乍ら
立ち回りに入った。

 いろいろなことがありながら、温かい客席と共に、
前進座劇場の貴重な時が刻まれていきます。
Nextプロデュースの『三人吉三』は、これで中日を終了。
六日16:00の千穐樂を残すのみ。


にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村
このページのトップへ

一期一会ー前進座劇場ファイナル

 Next三人吉三が産声をあげました。
序幕が開いた素舞台に満場の温かい拍手。
無謀な試みに挑む面々、どんなに勇気を頂いたか。

 カーテンコールでは、お坊吉三役の
関智一 丈が、『ドラえもん』スネ夫の声も
生披露。
吉祥院の場

夏の朗読?劇『貧の意地』お初めてお目にかかった。
華々しい履歴の中で私の記憶にあるのは
アニメ版『人造人間キカイダー』のジローのみ。
その時ご一緒したアニメ『トリコ』主演の置鮎龍太郎 丈も
斯界の大物だが、
実は私、存じ上げなかった。

 これも、ヘロヘロQカムパニーさんが
前進座劇場をご愛顧いただいたところから生まれた、
劇場あって実を結んだご縁。

さて三回だけのNext公演、
明日4日は中日、明後6日は千穐樂。
演じた瞬間に消えて行ってしまうのが舞台、
お客様の心の中にしか残りません。
悔いなく勤めたいもの

演じた瞬間に消えて行ってしまうのが
舞台の運命、
客席にはまだまだ余裕がございます。


にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村

このページのトップへ

ダイアモンド前進座劇場


 今年は2日初日の前進座劇場。
そしてこれが、30年と3か月の劇場の歴史の幕引きです。
ダイアモンド前進座劇場

 この公演から、二月末の九州の鑑賞会さん巡演まで
この『吉三』班の総務室長。
 初日の集いは、司会進行に気が行っているから感傷に浸っている暇もなかったが
皆々の眼は万感の想いを湛えている。
 お客様にいい想い出をお持ち帰りいただけるよう、
9日まで一日一日を大切に勤めます。
にほんブログ村 演劇ブログへ
にほんブログ村にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村
このページのトップへ

折り返し点

初春恒例、干支の話。
十二支は本来動物ではなく、植物の生成栄枯を表す。
その意味を毎度記している。
巳は十二支の六番目、草木の成長が極限に達した様を表す。
この後は当然衰えを見せて枯れて行くほうに向かうから、来年からはどうも話がしにくそうだ。
まぁ、取りあえず今年は最高潮を表す歳。
そこから盛衰を繰り返すのもまた楽しからずや、というのが生きる醍醐味か。

十干を合わせると、こちらでも癸巳(きし・みずのとみ)は、折り返し点の30番目。

さて、あす初日の『三人吉三』は、“庚申”の干支に彩られる。
庚申は、かのえ・さる。60種類の干支の中でも、謂われ因縁故事来歴が
もっとも豊富なのがこの庚申。
 曰く、この日の就寝後に体内の虫が悪さをするので寝ないようにとか、
この日に懐胎したり生まれたりした子は、大泥棒になるとか。
泥棒云々は、石川五右衛門が庚申生まれだという伝説によるともいうが、
これでは60人に一人は大泥棒になる計算になる。
 同じ吉三郎という名を持つ不良青年三人は、庚申堂の前で義兄弟になる。

 十干十二支の中で、もう一つのスーパー・スターは、丙午。
この年生まれの女性は気性が激しくパートナーを滅ぼすと言われた。
前回の‘66年には出生率が大幅に減っている。
流石に今時気にする人も無かろうが、その次の丙午は2026年だから、意識変革の実態はまだ確かめられない。
丙午女性強気説は、恋のために放火した八百屋お七がこの年生まれだという伝説から発したともいう。
 三人の吉三の一人、お嬢吉三が”八百屋お七と名を借りて“という如く、『三人吉三』は八百屋お七の世界のパロディでもある。
にほんブログ村 演劇ブログ 歌舞伎へ
にほんブログ村

にほんブログ村 演劇ブログ 役者へ
にほんブログ村
このページのトップへ

Search

Information

JAMIRA

Calendar

12月 « 2013年01月 » 02月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。