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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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既成事実


小便を浴びた蛙のようなケロリとした顔で、関電社長は次の稼働原発に言及した。
新型戦闘機の国内への輸送を完了して、安全が確認されるまで飛ばさないと首相は言う。
王手をかけて、一手待ったを受け入れたかのよう。

 新たな動きが無いから報道は一段落。これから半月ほどオリンピックで持ち切っている隙にひっそりと新たな既成事実が築かれかねない。
 平和の祭典にケチをつける気はないが、どうしても十年ほど前の謎の白づくめ集団報道をおもい出してしまう。二週間程の不思議な報道のあと忽然と姿を消し、報道機関は口を拭ってその正体を追及しなかった。
あれ以来、オウム犯逮捕報道でさえ、他の事象から眼を逸らす為ではと疑ってしまう。 

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小美人のディレンマ


 ザ・ピーナッツの曲は“モスラの歌”位しか知らないと思っていたが、訃報ニュースで流れる歌謡曲には、聞き憶えがある。あの時代の歌謡曲は、息が長く世代を越えて浸透していたようだ。
とは言え子供たちにとってザ・ピーナッツは、巨大蛾を守護神とする島に住む親指姫のような小妖精。
 
無人島と誤認の下、数度の水爆実験に三分の二を吹き飛ばされたのが、ポリネシアのインファント島。日本の第二玄洋丸遭難を切っ掛けに住民の存在が発覚、実験国“ロリシカ”は調査隊を派遣するが、
その一人が小美人を見世物用に誘拐する。
 島の守護神は二人を奪還すべく見世物興行中の東京を襲い、二人を連れた興行師を追って海を渡り、その羽風でロリシカ国ニューカーク市は壊滅する。
後には地球怪獣連帯をゴジラに説く巨大蛾モスラだが、この第一作では本能に従って小美人を連れ戻すだけの存在。が、その巨体ゆえに小美人を救おうと近付けば、小美人を吹き飛ばしてしまう。


 強大国“ロリシカ”はアナグラム。命名したのは、仏文出身の戦後派大作家トリオ、中村真一郎 福永武彦 堀田善衛。三人のリレー小説として『発光妖精とモスラ』が発表されたのは1961年。映画封切りも同年。今回初めて映画を観たら、MPが登場するのにびっくりした。尤も歴史的には進駐軍撤退という事項は現代に至るまで年表にはないという。
時代は安保成立直後。米大都市が壊滅する映画など作って問題なかったのかと不審に思ったが、これはアメリカの配給会社の要望であったという。


 小美人見世物ショーが行われる大劇場には、オーバーやマフラーを着たまま客席に座る人びとの群れ。ほんの半世紀前の日本には普通にこんな生活があったのだ。

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25年後のサラダ記念日



 “7月6日はサラダ記念日“と詠んだ歌集が社会現象にまでなったのは、丁度四半世紀前。
歌人が四年間の高校教師生活を送った地の文学館での展示を見る機会を得た。


 平明な言葉と豊かな感性、等身大の女性としての軽やかな恋の歌、生徒への眼差し、家族への想いが、多くの人を惹き付けた。
 歌集をちゃんと紐解いたわけではない私でも、幾つもの歌を諳んじられる。

 その後の歌業には余り縁が無く、歌集の名だけを記憶に留めている『チョコレート革命』の一寸ビターな恋の歌には初めて出会った。歩む通路の両側にベールのように並ぶ一首一首が沁み込んでくる。


 試験を受ける子らを身籠った日の母達を想い、また"母となる日が我にもあらん“と想像した歌人が、母となり、子育て中の仙台であの震災と原発事故に遭ったことを、この日初めて知った。
 小さな命を抱えた身に、“直ちには”健康障害はないという説明や、根拠のない“安心”を説くTVやその口真似の酒席の男の言は意味がない。
 今、母子は南の島に居る。
"愚かな母と言うならば言え”。


“日本は終了しました”
単純な入力ミスに笑えず、見入ってしまう今。
 我も他人も、この国土も、四半世紀前とは変ってしまった。



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※『俵万智3・11短歌集 あれから』は今人舎から、この三月十一日に発行されている。
 短詩形文学の三十一文字全てを記すのが心苦しく、歌の断片を引用する文章に成ってしまいました。
 作者にも読まれるかたにも大変失礼なことをしたかもしれません。
 せめて、これをきっかけに元の歌に触れて頂ければ幸いです。

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伏見の夢

坂本さん家?

中京、下京、八坂神社は、祇園祭の月を迎え、
鴨川の河原には床が並ぶ夏の京都。
山・鉾が乱立するのは中旬以降

 平安神宮脇の京都会館が改修中なので、京都労演例会は近郊あちこちを転々としている。
今回は伏見の会館。京阪三条から急行で十分だから、便利な場所。とは言え、一月京都に居てもわざわざここには来ない。

二日目は二時までに会場入りすれば足りるから、朝から伏見散策。
 会館のある丹波橋の向こう、中書島で降りる。駅前には小振りの菰樽を積み上げて、酒処をアピール。
中書島駅前の菰樽

中書島の地名は、秀吉の側近・静ヶ岳七本鎗の一人脇坂安治から。ここに居を構えた脇坂の官名が中務。中国風に言うと中書。宇治川とその支流に囲まれた洲であるから中書島である。三十石船着き場から寺田屋を臨む


 大阪八軒家と結ぶ三十石船の船着場辺りに、幕末二度の殺傷事件の舞台となった寺田屋がある。もっとも現在の建物は明治出来であると云うのが定説。この日は月曜で中は観られないが、私の他にも訪ねて来る中年女性の一団。前は車通りの多い道でうっかり立ち止まるとクラクションに追われる。
三条小橋の池田屋は今は居酒屋

 この船着き場は、八軒家に始まる熊野古道に連なる。

黄桜の河童
 東側には黄桜や月桂冠などの酒造施設や資料館が並ぶ。
伏見桃山駅を越えると赤い鳥居、御香宮神社のものである。神社の手前には一寸クラシックな作りの教会。キリシタンの歴史を考えれば明治以降のものに違いないのだが、ついつい秀吉以前のセミナリオなどを連想する。
 神功皇后を祀る神社の歴史は古いが、命名は清和天皇に依ると云う。この近くには桓武天皇稜あることを想い感無量。尤も争ったのはそれぞれの子孫と称する源平であって、本人たちは何ら預かり知らぬことだが。狛犬は年代を読みとれなかったが、堂々たる体躯が心地よい。本殿の蛙股や装飾は極彩色。

 その桓武陵と伏見桃山城は、さらにJR奈良線の向こう。向うへ抜ける道を捜しながら歩いていたら直に丹波橋に出てしまった。踏切を渡って城のある見当を目指す。庵号を記した表札のあるような趣味人の住む高級住宅街を歩く。
 城内は現在公開されていないから、遠くから城を眺めて引き返す気だったが、何処まで行って森に囲まれて見通しは利かない。いい加減諦めた頃にひょっこり伏見桃山城運動公園と記した大手門が現れた。城はその脇に再建されている。1964年というからかれこれ半世紀。博覧会用に造られたもので考証は定かでないが、なかなかの姿。時代劇のロケにもよく使われているらしい。
ちなみに本丸跡は、現在明治天皇陵になっている。伏見桃山城


 帰途桓武陵を通る。円墳を想像していたが、二重の垣の向うに見えるのは白い鳥居のみ。その向うの森の中は塚があるのか社があるのか確かめようがなかった。

伏見城下町には、桃山島津、桃山井伊掃部など、懐かしい戦国大名や家臣団の名が残る。徳川の世に容れられなかった七本槍の福島や、石田治部少輔らも此処に名をとどめている。
その一角で『鳴神』は千穐楽を迎えた。

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微笑みに勝る化粧なし

東大寺の門

奈良文化会館は、春日山のほとり。正面を出るとすぐ鹿に逢える。

 信号を渡れば興福寺境内。明治の廃仏棄釈前には、今の街中まで一帯興福寺のものだったらしい。
幸田露伴の『五重塔』に何度も出ている所為もあるが、見れば見る程、五重塔は見事である。
阿修羅像に会っている暇は今回もないが、国宝の仏像の17%は、興福寺にあるという。

 小学校の修学旅行で、初めて奈良を訪れるロケーションに生まれたから、修学旅行生の姿が微笑ましく、また眩しい。
修学旅行生たちと鹿

 興福寺五重塔も大仏殿以外の東大寺境内も無料で拝観できるのは清々しい。が、春日神社鳥居脇の看板に小鹿公開中の文字。春日神社内の鹿苑で三百円とって見せていると云うのは、聊か浅ましさを感じる。
 南大門の仁王像は木造仏では最大級。細かい金網で斜がかかり、不思議な質感。シャッターを切ると
寺院写真の大家・入江秦吉氏にでもなった気分。
入江秦吉になった気分

 東大寺域で、西洋女性に頼まれて鹿に煎餅を遣るショットを映していると、二度ほど臀部に痛み。傷にはなっていないから加減を心得ているのだろうが、神鹿からお布施の催促だった。

 日課で稽古している『勧進帳』の義経一行は、東大寺大仏再建勧進の山伏という触れ込み。源平合戦の余波で大仏殿が焼け落ちた頃の話である。大仏殿の窓から尊顔だけ拝めるような気がしていたが、あれは歳越しと八月十五日だけとのこと。時間切れで取り急ぎ会館に引き返す。

奈良演劇鑑賞会さんは、今年創立二十五周年。
二日目の公演を終えて、出演者が参加して会員さんたちのレセプション。
今は亡き初代事務局長・磯貝さんの写真が飾られる。あのエネルギッシュな声が聞こえてきそうである。
“文化不毛の奈良に演劇鑑賞会は根付かない”と創立当時言われた、とのエピソードが紹介される。“文化不毛の地”とは全国各地で聞かれるフレーズだが、磯貝さんを中心に編まれた素敵な人の輪が大輪の華を咲かせて更に引き継がれている。
奈良演劇鑑賞会恒例、ホテルに張られた歓迎ポスター

 三十年来闘病を続けている会員さんの挨拶が心に残った。
恩師の方から“微笑みに勝る化粧なし”という言葉を贈られて、微笑みを取戻せる時間として鑑賞会を続けておられる。演劇は生きる力に成る。
 仏像の微笑み、人々の微笑みが迎えて呉れる奈良に次に来られるのは何時だろうか。

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