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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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再始動


地人会が活動を再開した。正確には地人会新社という。
第一回作品は、嘗て地人会で上演された南アフリカの作品。
赤坂REDシアターと云う地下の小さな空間での二人芝居だった。

 突然の解散にもびっくりしたが、これまた意外の復活劇。

 実は、『シズウェは死んだ?!』が『こんな話』として上演された時(同じ二人が演ずる『島』と云う作品と二本建だった)も見ているし、旗揚公演以来かなりの公演を観ている。
奇しくもこの六月に閉館するアトリエ・フォンテーヌでの
アーノルド・ウェスカー『クリスティーヌ その愛のかたち』が、その旗揚げだった。
全自由席ドリンク付のひとり芝居。同じ頃に見た坂本長利丈の『土佐源氏』とイメージが重なる。

フォンティーヌから眼と鼻の先の俳優座で時を同じくして
五月舎が矢張り木村光一訳・演出で上演していたのが、
ウェスカーの『青い紙のラブレター』。
『調理場』や同作をミュージカル化した『ザ・キッチン』他、
近年余り上演されないウェスカーは、木村氏と地人会の根っこだった。

これも地人会の夏季恒例だった朗読劇『この子たちの夏』を挟んで、
第二回公演は明年四月、ウェスカー三部作の一つ『根っこ』。


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ビーバーのぼうけん

諦めないビーバー

 動物園巡りは、公演の序でが殆ど。
尤も、序でと言えない位の綱渡りで一時間余りの訪問も多い。
が、その程度の序でも、関東近辺の園では叶わない。

 日光寺院群巡りが意外に早く終わりそうになって、
この序に宇都宮に廻れるかもしれないと思い付いた。
元々綿密に計画していれば、華厳の滝にでも廻るのが順当なのだろうが、相変わらずの行き当たりばったり。
ビーバー休憩中

 駅に行ってみたら電車の便が悪く、宇都宮駅に2時20分、
バスは5分後だったが、30分余り日光街道を戻るので1000円の入園料を払って敷地に入ったのは
3時過ぎ。
 入園の取っ付きは、夏に向けて大清掃中のプール、
併設遊園地を見つつ動物園の矢印の方向に向かうと、
河馬の像が迎えて呉れる。
オランウータンの他にもテナガザル、チンパンジーら類人猿が
 旧態依然の施設だが、3歳のカバが新着、
虎の檻には近年亡くなったのか人形が鎮座していたが、
ライオンもゾウも類人猿もいる陣容。
ブログを始めるなど意欲的な試みはあるものの、
説明板などが剥げ落ちたままなのがちょっと残念。

 猿山や、猛獣舎の壁には、スポンサーなのか中華料理店の広告が記されている。
みんな人懐っこいのは、100円で買える餌の故か。



 オランウータンが住む園である為に是非訪れたいと思っていたのだが、はてこれは情報が間違っていたか知らんと思いつつ巡るうちに、薄暗い金網の向こうに1頭の雄が姿を現した。やんちゃなリュウ

 掲示に依ると、上野で生まれた国内唯一のスマトラ・ボルネオ両種の申し子。
飼育係をてこずらせるとの説明に違わず、聞かん気の面持ち。


 アジアゾウの宮子は、一歳でやって来て不惑を迎える。
生後24日のキリン

キリン、マーラ、ワラビー、アメリカビーバー等は出産ラッシュ。
四頭産まれたビーバーの一頭は圧死してしまって三頭の仔が居る筈だが、
私が見ていた間に左奥の巣から
繰返し飛びこんだのは、一頭のみ。
失敗

泳いでいた年長ビーバーたちが、彼を捕まえて巣に戻すが、
戻された途端に少年(?)は果敢に飛びこむ。連れ戻す三頭は仔ビーバーの兄弟たちと云う。
 外敵がいる世界なら、いやいや動物園の中でも
烏などに浚われる危険性は重々なのだから、兄弟の処置は的確であるのだろう。
兄弟にも捕まらないくらい巧みに泳げるようになった時が、
一人前かな。


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結構

 二寺一社を巡りつつ様々な疑問が去来する。
厩には生きた神馬が二時間半勤務中

 金ピカは、安土桃山文化のお家芸と云う先入主が私にはあるのだが、
現存する最も派手な建物は多分この日光東照宮。

 建築様式としては権現造りの完成と説明されるが、美術史的にはどういう扱いになっているのだろう。
この彫刻群は、桃山文化のこぼれ華とも思える。
徳川政権はその始祖を神に祀りあげるにあたって、派手好みの秀吉の上越す絢爛を誇示して
以後はそれを禁じてしまったのだろうか。

神君・家康廟所への長い石段の終わり掛けに建つ札

もう一つの疑問は、
維新政府は、家康を祭ったこの施設を何故破壊しなかったのか
ということ。

こちらは、場違いに思える板垣退助の銅像が解き明かして呉れる。
維新戦争の折、此処に篭城しようとした幕府側・榎本武揚、焼討とうとした新政府・薩摩、両者から
東照宮を守ったのが、板垣であったという。
 となると、文化財保護思想を彼に齎したのは何だったかという
新たな疑問も生まれるが、これは宿題。


金ピカの殿堂は彼方此方普請中。
輪王寺本堂は400円で屋根の高さから修復を見せる。
虫害が予想以上に酷く、改修資金が及ばなかった旨が記されているからこれも苦肉の策か。

神橋を渡るのも有料
 大猷院で主要建物をほぼ観終わると12時過ぎ。
もう一つハシゴ出来る場所を思い付いたので、
宝物殿や庭園はパスして帰路につく。
 改めて訪れる機会があるかどうかわからないが、
そろそろ心の満腹状態でもあった。
実在非実在の生き物たちの競演

「日光を見ずして結構と云うな」
「日光見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」とは誰が言い出した言葉か。
記憶の中で膨らんだ壮麗絢爛に、現物は勝てないということだろうか。



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心柱

 震災後、海外の観光客が激減して閑古鳥が鳴く日光の映像が報道された。
この機に行ってみようかと思い乍ら果たさず、
心の何処かに引っかかっていた。

                   五重塔
    
 スカイ・ツリー開業の日から、東照宮内の五重塔の心柱を初公開が始まる。
懸垂式五重塔の心柱構造が、新しいタワーにも採用されているのに因んでのこと。
開業の日は、うちの国立公演千秋楽。その直後なら足を運べるかもしれない。

前進座で800回余り上演してきた『五重塔』は、
“誰もやらなかった工夫”懸垂式心柱の五重塔を建てたいと云う執念を燃やす
“のっそり十兵衛”と親方川越の源太らの物語。
原作のモデルとなった谷中・五重塔は、関東大震災にも倒れなかったが、
不倫心中の巻き添えで炎上した。

 朝、電車の時間を調べると六時過ぎにホーム・タウンを出ると九時過ぎに日光駅。
駅からは日光街道を歩くこと十数分、赤い神橋(しんきょう)と天海大僧正像が見えて来ると、
そこからが世界遺産“日光の社寺”。

 
 五重塔は、二社一寺のうち東照宮の鳥居をくぐった左側。
300円を支払って裏手に回ると初重の観音開きの中、四体の金色仏に囲まれた柱にも金色が施されている。
脇から縁の下を覗くと土台石の臍に出っ張りを突っ込んだ心柱の下端も観察できる。
ちなみに縁の下部分は木地のまま。
 心柱見学

心柱が地面に着いたら切るのだと云うが、建築以来未だ切ったことはないと云う。
一旦焼失後再建されたのは、文政元年(1818)だから、間もなく200年。
先の地震では、灯籠9基の屋根が落ち、敷地内の石垣も緩んでいるが、塔は無事だった。

 この耐震構造のからくりには、諸説あり、その原理は未だ詳らかではない。



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金環触

 “金環触”というと、石川達三原作の社会派映画を、先ず思い浮かべてしまう。
同名の小説が久米正雄にもあり、こちらも戦前に映画化されている。
 薄雲が格好のフィルターに

石川版の趣意は、外は輝いても内部は黒く腐っている政財界を蝕の姿に重ねたもの。
久米版は、どうやら男女の三角関係を三つの星に準えてのタイトルの様子。
何れも残念ながら、夢のない話。

名前に馴染ぬがあるから、しばしば見られるものかと思っていたら、
同じ土地では100年単位での稀なものとか。

 雲の濃い空模様が懸念されていたが、
俄かに買った観察グラスを通して太陽の姿が見えた。

 幸いドアを開けると朝日が見えるので日食の始まりから
何度か覗いて、金環状態の終わりを見届けて出勤。

 心なしか、街に厳粛の気が籠る。太陽を見上げる母娘や早く出勤した職場同僚たちと思しき姿もちらほら。
人工衛星からみると月の影が列島を縦断する様がはっきり判るそうだが、
知らずにいれば、一寸陽がかげった位の明るさ。
源平合戦の最中、源氏が畏れて総崩れになったという話がある。
古人は天体に敏感だったのか、戦に臨んで太陽神を見上げたりしたものか。
偶々見上げた太陽が欠けていたら、この世の終わりか神々の怒りかと思うだろう。
 
 通勤電車の窓際にも、グラスを取り出す人の姿。
国立劇場の駅に着いて確認すると、月はもう太陽の左下に掛っているばかり。
東京では次回300年後とか。

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お披露目

 稽古の日々は早く過ぎる。
今回は余裕があった方だが、それでもあっという間に国立劇場搬入の日。
 交差点の少年
四ツ谷から国立に向かう交差点に立つ釣竿をもつ少年は、
例年この日には初夏らしい爽やかな軽装に衣替えしているのだが、
不順な天候ゆえか、袖無しではあるものの一寸分厚い、何やら割切れない格好。
 
 楽屋の大部屋が改修されて、
固定式の化粧前と襖の代りに可動式パテーションが新設。
今公演が初御目見えとのことで、
搬入時、六枚のパテーションをレールに沿って移動させるのに
搬入メンバーと楽屋番さんが鳩首して試行錯誤。
ようやく六枚すべてが開いた時には、全員拍手。
「トップ・バッターが前進座さんじゃなかったら大変だった」と
楽屋番さん。

 前進座が国立劇場に初出演したのは
小劇場での『さんしょう太夫』だったが、
大劇場には南北『杜若艶色紫』などを
皮切りに、今回が丁度30回目。

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前進座『鳴神』75周年

明治43年に『鳴神』を復活した左團次は、訪ソ含めて上人を8回勤めた。
その最終上演は1937年一月、前進座での初演はその半年後、
創立六周年を迎え吉祥寺に拠点を移した年。舞台で研究所落成の挨拶をし、
千穐楽の翌日に完成披露会をもっている。
以後10年ほど『鳴神』上演は前進座。

十八番の上演は創立三年目の『勧進帳』に始まり『助六』『暫』と続いて四本目。
その後、五本を上演しているから、十八番の丁度半分を上演している。

 大劇場での歌舞伎上演では、1944年の11月が真山青果もの二本と『鳴神』、
翌年11月の帝劇に矢張り『鳴神』と、敗戦を挟んでガラリと変った世に共に登場している
(地方巡演等を加えると戦中のラストは『毛抜』、戦後は九月にラジオ放送した『助六』となる)。
ロス・アンゼルス カーテンコール

 一昨年のカリフォルニア公演までで『鳴神』約1275回以上。
中国公演もこれに含まれる。
五班に分かれて巡演していた頃の公演回数を正確に数えきれないところがあるため、
ロング・ランの作品は"〇〇回以上”という表現がよくつかわれる。


“改訂版“と呼ばれるものを加えると1600回程ということになる。
が、これはカウントしないのが通例になっている。
戦後五年の頃に上演されたもので、雲の絶間姫と見えたのは実は里の娘であったという“改訂”である。
 今読める台本上では、科白が聊か現代調になり、くすぐりが入っている他には、
上人を落した絶間姫が、里の娘の本性を表し渇水を引き起こした鳴神上人を農民の敵として罵倒して、懐剣ではなく農作業用の鎌を以て〆縄を切るという数行の違い。
だが、大らかさや普遍的な人間性といった『鳴神』の良さは失われてしまうように思える。
 これを行き過ぎと反省して、『鳴神』上演史から除いたのは、見識であった。

 この他にも、農民の雨乞い踊りの前幕を付けたり、押戻しを出したり、
團伊久磨作曲の洋楽入りの上演、面灯りの使用等々、
まだ天上する龍一つでも上演の度に様々な工夫が試されてきている。

 邪道かもしれないが、洋楽入り上演は楽しいし、
鳴神の影が古怪に映る様も効果をあげている。
無論、役々の高水準があっての上のことだが、これはこれで面白いのである。


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踊る”ずぼんぼ”

岩屋


 京の北、志明院が鳴神の岩屋のモデルと言われている。
ここは、鴨川の源流の一つ。
 京南座で『鳴神』を上演した時に、登ってみたが、探し当てられず後に再訪してやっと意を達した。
下山の途中でとっぷりと暮れて雪も降り始め、心細い帰路だった。
それでも現在は疎らにバスも通る舗装道路。黒雲坊、白雲坊の両僧が師の坊に命じられて下った道の不気味さは、こんなものではなかったろう。

北山

山を下る白雲坊の引っ込みに使われるのが、“ずぼんぼえ”という唄入りの二上り曲。
この詞は、獅子舞の囃子文句だと云われている。

 詞の中に出て来る“ずぼんぼ”とは、江戸時代の玩具。
紙の箱を伏せて四隅に錘(おもり)を付けたものを団扇で煽って遊ぶという、省エネルギー。
この箱に獅子舞の意匠を加えれば、獅子舞が踊る様になる。虎などの意匠もある。

 木版で 多色刷りされたキットを買ってきて切り抜いて組み立てたものらしい。
昭和の頃の学年誌の付録にも、この手の物が多かったが、今はどうなのだろう。

 ともあれ、ふわふわと風に翻弄される”ずぼんぼ”は、
誰やらに似ている。



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映画十八番

 前進座映画の代表作『人情紙風船』を初めて観たのは、
大学の教室。映画研究会の上映会だった。

『河内山宗俊』『阿部一族』を映像ライブラリーで、
その他の映画は前進座劇場での“前進座映画の夕べ”で大体は見られたが、
現存十数本のうち、未だ見る機会を得ないのが、『美女と怪竜』。
『歌舞伎十八番の内 鳴神』の映画化である。
       鳴神の荒れ


 現在上演される『鳴神』は、
元禄風を意図して二代左團次が『雷神不動北山桜』から起こしたものであるのはご案内の通り。
『―北山桜』は、“毛抜”“不動”という別の歌舞伎十八番の趣向をも含む長編戯曲。

 新藤兼人氏のシナリオは、独立した『鳴神=北山岩屋の場』には登場しない人物たちを配して、
雲の絶間姫がこの場に登場する背景を描く。
45年前の国立劇場杮落し第二弾で『―北山桜』の通しを補綴した
戸部銀作氏は、この映画も想い出しつつ筆を執ったと書いておられる。

 江戸の舞台で演じられる『―北山桜』の舞台から一転、
現実(?)の鳴神騒動が展開、大詰めは再び舞台の飛び去りという構成。
十八番の映画化は、黒澤明『虎の尾を踏む男たち』の他にはこれがある位であろう。

侍女二人を伴って巌の前に立つ雲の絶間姫は、女優。
宝塚退団後映画入りして五年の乙羽信子女史
(後に狂言形式の舞台でも絶間を勤めた)。

となると、出番のなくなるのは前進座の二人の絶間役者だが、
無責任な関白・基経に嵐芳三郎(五代)、
権力奪取を狙う悪人・早雲王子を河原崎国太郎(五代)という配役。

 絶間と三角関係をなす『毛抜』部分の登場人物、
錦の前と文屋康秀、小野家の面々、も姿を見せる。
鳴神上人の戒壇建立に異を唱える叡山僧に吉田義夫丈、
新藤作品に欠かせない殿山泰司丈が鳴神の弟子・白雲坊、
という個性派の活躍も興味深いところ。

 音楽が前年『ゴジラ』を手掛けた伊福部昭氏というのも、床しい。


 極く偶にフィルムセンターなどに掛るが、
ソフト化はされていないのでそういう機会を狙うしかなさそうだ。


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