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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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余一

三月極日、昼前からの暴風は大分おさまったものの、雨の中。
傘の群れは、新宿末廣亭前から十字路を越えて甲州街道まで達し、
また十字路に折り返していた。
 十日ずつの上中下席のない31日、一日おまけの余一会特別興行。
その夜の部が、此処をこよなく愛した談志師匠を偲ぶ一門会だった。
土曜日恒例の深夜寄席も重なって、この日の末廣亭は三部制。
 余一とは床しい言葉。もう居ない家元を偲ぶ区切にも何やら相応しい。
 
 
 昼席が撥ねた頃、雨があがり傘を畳んだ行列は客席に吸い込まれる。
上手桟敷に座を占める。
  
噺を聴きに行くのは独演会、二人会や名人会、圓朝会などの企画が殆ど。定席に足を運んだのは志ん朝師匠が出ていた浅草演芸ホールが多分、唯一。本牧亭や木馬亭、大須演芸場に行ったのも定席ではなく独演会など。
ここは寄席の定席だから一度来たいとは思いながら今回が初めての筈。が、寄席番組などで子供の頃から見慣れているから初めての気がしない。
 一寸時間が開いたから一時間だけ寄ってみようという感覚が本来なのだろうけれど。
 
 客席が三分の一落着いた頃、開口一番の出囃子。
立川の人でなく春風亭なのは昼の部との責任分担の為か。定刻には300余席が埋まった。

17時から21時までの番組は、噺10席に漫談、漫才、紙切り、仲入り後に吉川潮顧問司会の座談会がつく。
それぞれ師匠とのエピソードを挟みながらというのがこの日の趣旨。
二つ目以下の弟子たちには、今日がどの師匠につくかを決めるリミットだともいう。

『権兵衛狸』など家元で何度も聴いた噺は、継承と工夫を愉しむ。
志らく師匠は、「談志に似てるな」と小さん師匠に可愛がられたエピソードの後に「談志を偲ぶ会で小さん師匠の十八番かけることはないんですが」と、『親子酒』。
 三代、四代にわたる不思議な師弟関係にあれこれ想いを馳せながら番組は進み、
正楽師匠のプロジェクターを使った“立川談志物語-川の流れのように”の後、
紙切りも変ったね、とトリに上がったのは龍志師匠。
打ち出し予定まで二十分を切っていたが
『百年目』。

 不思議な師弟たちの競演の締めくくりには絶妙の選定。
無論打ち出しは大幅に遅れて“深夜寄席”の開演十分前だった。

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ふぁーすと・こんたくと

 もう十年越しで探している魚がいる。
ゲンゲ、所によってはゲンゲンボウ。“下の下”からの命名だと云う下魚。但し近年は幻魚などと表記されてなかなか箔が付いているが珍奇なわけではなく地元の魚屋ならば、一山幾らの魚である。
 とも書く。
深海魚の一種で?ぬるりとした肌が持ち味。北陸の冬の味覚だが、鮮度の問題で他の地域には出回らないようだ。
 この季節に来た際に地元の居酒屋を何度か探したが、揚げ物が殆どであとは一夜干し。目当ての煮付けにはついぞ出会えなかった。この季節に北陸に来る機会はそうそうない。
富山、金沢で公演してふたたび富山で千穐楽を迎える今回の旅で何とか逢いたいものと思い、居酒屋巡り。
あまり外食はしないのだが、今回の北陸ばかりは連日の
が、富山での二日間は矢張り揚げ物にしか出会えなかった。
 金沢移動日に覗いた名高い近江町市場には、ひと山200円、夕刻ともなれば100円で購われていたが、市場に出店している高級店のメニューにはない。こんなものでお腹を一杯にされたら居酒屋は商売あがったりだろう。しかし折角改装した近江町市場。場内で買ったものを調理してくれる店が一軒くらいあってもいいものをと切に思った。
 金沢公演は雨。終演後、見当をつけた居酒屋は、金沢野菜が自慢。筍の塩焼きなど美味だったが、ゲンゲンボウは扱っていない。またの機会は何年後かと思いつつホテルに戻る道すがら、大店に挟まれた狭い間口の入口黒板に“げんげ煮付け”と無造作な文字。
 この前髪を捕まえないと二度と捕まらないと、異例の二軒目。
御夫婦が営む店は生ビールとゲンゲの煮付だけの注文を快く受けて呉れる。
 煮付け随分辛い煮付けだが、多分一般家庭ではこうして食べられているのだろうと思わせる味。
兎にも角にも永年の懸案から第一歩。さて、セカンド・コンタクトは何時の日か。

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庵木瓜

 富山から神戸まで、バス会社からの余裕を持った行程表では合計一時間の途中休憩をはさんで七時間。
十時に出て到着は夕方五時という一日仕事だったが、春分の好日、道は捗り、一時間余り早く到着した。
 布引の滝に行ってみようかと思ったが、宿は湊川神社のはす向かい、新神戸の裏手にある滝には一寸遠い。フロントで貰った略地図を眺めながら歩きだしたら、竹中大工道具館というのが眼についた。
         竹中大工道具館前
 途中関帝廟や同文学校などを眺めつつ、探し当てたのは、
入口前に法隆寺のエンタシスの柱を頂く小さな博物館。
但し閉館までもう15分。次の機会を待つ事になった。
先日までいた国立文楽劇場、五月に毎年お世話になる国立劇場の施工で、竹中工務店の名は身近だが、
創業402年と記されているのには吃驚。
信長の家臣だった初代・竹中藤兵衛が尾張の国で創業したのが、1610年なのだそうだ。
元号で慶長15年、関ヶ原から10年、5年後に滅亡する豊臣氏がまだ大坂城に勢力を張っている、江戸時代最初期である。
十四代目が明治期、神戸に出てこの大工道具館の地に創業したのが現・工務店の初め。
それからでも113年ということになる。
 ここへ来る途中、塀に囲まれた一角が気になったが、そこはもう三十分ほど閉まるのが遅い“相楽園”。
明治出来の家屋、庭園だが、戦時中に市に寄付され戦災に遭いながらも、文化財級の建物も移築して街中にその姿を保っている。
 蘇鉄園や江戸期の御座船などが回遊の目を楽しませる。
大門と番屋とは、空襲を生き延びて古を伝える。
入る時には気付かなかったが、その瓦に庵木瓜(いおりもっこう)の紋が散らされてある。
庵木瓜

 曾我兄弟に打たれた工藤佑経の紋だから、歌舞伎ファンには『寿曾我対面』の屋台に散る模様として親しい。木瓜(もっこう)紋自身は、信長の織田瓜などでもお馴染み。
尋ねると、屋敷の旧主・小寺家の紋で、家の中から鳥が巣立つという縁起のいいものだと、云う。
 木瓜は、植物紋と理解していたから、一寸違和を感じたが、後で調べると、
この紋の起源に諸説あって管理人さんの言う鳥の巣説も確かにある。“木瓜”は、バラ科のボケの別名、これも起源説の一つにあるらしい。

程近くには石垣だけが残って公園となっている花隈城があり、
庭園の中にある樹齢500年の大楠は花隈城で信長に叛旗を翻し滅びた荒木村重の手植えと伝えられる。
この争いで足萎えになった黒田官兵衛の旧姓が小寺だったことを想い出す。
相楽園の小寺家、工務店の竹中家は、秀吉の名軍師二人と関わりがあるのかどうか。
創造を楽しみつつ帰途に就いた。

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桃の木三重

 『毛抜』粂寺弾正の出の合方は、桃の木三重。
“三重”(さんじゅう)と名のつく曲は、
『仮名手本忠臣蔵』五段目の定九郎などに使われる忍び三重が有名な他に、
対面三重、愁い三重、行列三重などなどだが、語源や定義ははっきりしない。

“桃の木三重”は、長唄『木賊狩(とくさがり)』の前弾きと同じ手だが、
これまた前後関係は不明と、『歌舞伎下座音楽集成』は言う。
弾正

「先ずお迎え申しましょう」という私の台詞に続いて
(正確にはその後の「お入り」という“呼び”が切っ掛けだが)
流れる木賊狩。これ立川流家元の出囃子でもある。

立川流は、落語協会の真打昇進問題を原因に建てられた流派だけに、昇進基準に一家言ある。
二つ目、真打それぞれ50、100の持ちネタの他に、“歌舞音曲“という一項がつく。
 達者な噺なのに、ここに引っかかって何年も足踏みする前座・二つ目もあった。


噺家が高座に上がる時にかかるテーマ・ソングが出囃子。
三味線は専門の方がいるが鳴物は前座の仕事。
「噺はどうでもいいんだ、痴楽の上がるとこが観てぇんだ」
『綴方教室』の四代柳亭痴楽にはそんなファンもあった。名人文楽をはじめ噺家は皆、上がりを研究したという。
 名人たちの“上がり”の形態模写を家元自身も披露しているが、
二つ目時代、まだ黒髪の小朝による模写の映像を見る機会を得た。
若き家元―まだ家元ではない、落語協会の立川談志―はその横で撥を廻しながら、
太鼓を打つ。『花王名人劇場』だったろうか。
嬉々として鳴物を勤める家元が眩しかった。


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園内完走

作業着に雪駄履きで会館近くのスーパーに行ったら、動物園まで500mの標識があったので慌ただしく覗いたのは六年前。当然カメラは持たず、写真のない“足を伸ばして…”という記事が残っている。導かれた標識

大牟田を訪れるのはそれ以来。
 博多から一時間。昭和初期かそれ以前と見えるビルが保存されて郷愁を誘う。カルタ発祥の地でもあると云う。


 今回の公演は第二月曜。選りにも選って、今月唯一の休園日であった。
翌朝は、十時二十二分の西鉄に乗らねばならない。前回は20分ほどだったからそれでも約10分多くいられる。
入場料は六年前と同じ

九時に宿を出て、荷物を抱えたまま動物園のある延命公園まで三十分。
開園時間を待って先ずは園の一番奥、前回到達し得なかったゾウとキリンとレッサーパンダ、オオカンガルーのエリアに赴く。多少途中の動物にかまけたとは言え、細長い園を突っ切って道路をまたぐ延命橋を渡り、キリンの許についた時には既に十分が経過していた。
 アミメキリンのリンは外で食事中だが、アフリカゾウのハナコはまだ室内。この二頭は共に単身。
 ホワイトタイガーのお目見えは11時からだから今回も会えず仕舞い。

 日本最年長のモモイロペリカン・ペリーは健在。この二月九日で来園半世紀を記録。
バードケージから、個室に移っていた。
六年前と同じく、青いユニフォームの飼育係さんたちは積極的に説明して下さる。
二度とも駆け足でゆっくりお話できないのが残念。
 来園半世紀
 
 正門取っ付きのリスザルの森を通って門を出るとこれから入場する幼稚園児達の行列。入れ替わりに駅へと急ぐ。駆け足ながら、ほぼ貸切状態での贅沢な再訪でした。


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天神の天神さま

 九州一の繁華街は福岡・天神。
地名の由来は容易に想像がつくが、さて何処に天神様がとなると、地元は知らず
首をひねる人が多いのではあるまいか。
鳥居左わきの石柱が件の文字

 楽屋入り前に尋ねた水鏡天満宮は、オフィス街のビルの谷間。
神木の楠は、左側のビルに遠慮しつつ枝を伸ばす。
戦後、繁華街が南下しているので、観光客が歩くエリアからは外れている。

 大宰府に左遷される途次の菅原道真がやつれた姿を水鏡に写した伝説の神社。福岡城建設の際その敷地から現在地に移されたと云う。

 廣田弘毅を描いた城山三郎『落日燃ゆ』の冒頭に出て来る神社が此処。
鳥居の扁額を少年・廣田が書いたというエピソードが象徴的に出て来る。
以前、県社・警固神社と取り違えて何処にそれがあるのだろうと探したことがあった。取り違えたと云うよりも、繁華街のど真ん中にあるこちらの神社の方を想い浮かべながら小説のその件を読んだのだった。
廣田弘毅像

廣田の長男の証言では、書いたのは鳥居の扁額ではなく、鳥居脇の神社名を刻んだ石柱の文字で、17歳の頃だったという。日清戦争戦勝を記念して建てられた石碑の裏には四人の施主の一人に廣田弥平という名がみえる。  
もっとも、扁額を書いたのだと証言した神社関係者もあった由。筆者の署名のない鳥居扁額は、子供の伸び伸びした字を感じさせ、そんな処から話が混同されたのか、或いはどちらも書いたと云うことはないのだろうか。
鷽も沢山

 堂々たる狛犬の脇には、鷽が並び、牛が寝そべる天満宮に、朝から参拝客もちらほら。
見物人のこちらは一寸肩身が狭い。
飲み屋ビルもフィット

 スナックなどの入った右側の小ビルの二階は、手摺を赤く染めて景観を合わせている。
水鏡天満宮が現在地に移転して今年は400年。


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記憶の街

恵比寿様

二年半前、『法然と親鸞』の旅は、盛岡の次が仙台、間に移動日と道中日(旅先で公演も移動もない日)があった。本隊と別移動して、この機会に気仙沼という町に寄った。
気仙沼港
この地名を覚えたのは、萩本欽一氏の番組で活躍した素人タレントの愛称に依った。
 船
駅から荷物を抱えたまま港へ。大正年間に初の本格的冷凍工場が出来た港。港町ブルースの碑が建ち、港町ブルース
モダンな商店、商店街   商店
屋上に体育館を持つ女子校、女子校
個性的な風景が迎えて呉れた。
船着き場で大きな荷物を預かって頂いて、散策。突堤に恵比寿像のある浮御堂や岬
鮫の水族館、魚市場
魚市場皆鶴姫漂着地などを巡った。
海鵜銀行の前から長距離バスで仙台に入ったのは夜、翌日、仙台で道中日、初めて松嶋を歩く機会に恵まれた。


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陽だまりの動物園

おや子?
十日ぶりに搬入出も公演もない移動日。
博多でのチェック・イン待ち時間を減らす為、熊本の宿出発は11時過ぎ。随分ゆったりとした朝になる。
博多についた足で市の動物園に。大リニューアル中の動物園の継続観察。もっともアジア熱帯複合展示ゾーン完成はこの秋。象舎のノーズチューブも未使用?

一足先に完成した象舎には前回移動完了したばかりだったが、まだ新居に馴染みきらないのか、展望台への階段は閉鎖されたままだった。
 初回は地下鉄で行ってバスで帰り、前回はバスで行って西鉄薬院から一駅乗って帰ったが、今回の宿はその薬院駅に程近かったので徒歩往復。ここで記事にするのも三回目。
レッサーパンダのおばあさんも日溜まりで食事中
 
 ツシマヤマネコ居住地は半非公開で、運が良ければ草はらの向こうに動く影を観られる位だったのだが、繁殖業務から外れた一、二頭に逢えるようになっていたのは有難い変化。ツシマヤマネコ

 ここの猿山は創立35周年記念に造られたもの。その向うに見える吊り橋は老朽化で渡れない。園の歴史の古さを感じさせる。50頭余りの住人達は陽のさす側に集まって集団毛繕い中。
猿山の周りにはハングル文字のガイド板も並ぶ。
猿たちの憩い

風は強いが、子供動物園脇の斜面には紅白の梅が満開。
 動物園の坂を下りると九州電力のエネルギー館。発電についての展示を見て帰途につく。

原子炉模型、火の鳥未来編のマザーを憶いだす

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さくら401

さくら401号
 旅初日の岡山からは、瀬戸大橋を渡って三時間のバス移動で松山。
三日目は長崎県川棚町で仕込。
小雨の朝六時、貸切バスで松山・大街道に面したホテルを出て20分余で松山観光港
1時間8分で広島の宇品港に。学生時代に四国を一周した時もここから松山に渡ったが、あの時は三時間かかる安いフェリーを使った筈。スーパージェットなるホーバー・クラフトに乗るのは初めて。
廣島を離れる前に熊本を訪ねた時も、宇品から別府に出ている。郷里への帰省も大阪南港までの夜行グリーンフェリーに乗って、京都で半日費やしてなどと云う事をよくやった。馴染みの港だが、船着き場の建造物の新しさは、当時の名残がないことを示している。
 瀬戸大橋

 宇品港からJR広島駅は比治山下を通る“一番”の路面電車で約三十分。
私が住んでいたのは市の西方、先達て工事中の刑務所からの脱走者が潜伏したあたりだから、この路線にはあまり馴染みがない。
 海岸を離れると、皆実町という電停を通る。廣島大学が市内にあったころは最大の学生下宿街だったが、統合移転後は随分事情が変わっていることだろう。教育実習に通った附属小中校は、まだここにある様子。
比治山の陰になって原爆の閃光を免れた段原地区を経て、広島駅前に。
 新幹線までは未だ一時間ほど時間がある。駅構内を散策。
天満屋八丁堀店閉店の文字に吃驚。広島の繁華街・八丁堀には、全国区の三越、中国地方の雄・天満屋、地元広島の福屋が三幅対をなしていたものだった。容赦なく時は移る。
天満屋閉店

 博多も小雨、ここからは貸切バス。其山PAでトイレ休憩をして川棚の小屋についたのは、12時半をまわった頃。一寸大変な搬入だが、幸い雨はここまで追って来なかった。

 演劇鑑賞会さんでの巡演では、なるべく無駄のない移動になるよう公演日が調整されているが、各地の主催者さんを結ぶ今回の様な上演では、こういう離れ業がしばしば。
 昨晩は福岡県田川市で公演、今朝は鹿児島市で搬入。公演、搬出終了後貸切バスで博多に移動、日の出四分後の新幹線で肥薩の道を下っている。
 近年貸切バス移動が多く、折角通った新幹線も乗る機会はないと思っていたが、お陰で九州新幹線を初体験。
さくら401号、号数までが春めいて好ましい。
東海道・山陽新幹線では聞かない韓国語中国語のアナウンスが新鮮。これも時代時節。

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