unputenpu

一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

「学問は、最高の遊びである」

            
 役者の名を冠した模様が今でも使われている。
音羽屋の“斧琴菊”や成田屋の“鎌輪ぬ”は、「良き事聞く」「構わぬ」という語呂合わせで
高麗格子、芝翫縞といった文様は手拭などに染められて、贔屓筋に使われているが、
役者由来と云う事が忘れられてしまったデザインもある。
初代佐野川市松が舞台で使用したので一世を風靡したと云われるのが、市松文様。   

 記者会見と云うと市松模様が出て来るのに気付いたのは五年くらい前だったろうか。
政治家の会見には市松模様と決めたのかと漠然と思っていたら、
よく似ているがそれぞれの政党カラーが違い党章が入っていた。
そう思ってみると記者会見と云うとその団体のロゴマークの入った市松模様。

 記者会見場に一手調達する業者でもいるのか、判で押したように同じである。
おめでたい席には亀甲や蜀江錦もお似合いではないかと思うがまだ無いようだ。
広大理学部校舎

 広島大学が鬱病の治療法を発見したと云う。
医学部・薬学部は、霞と云う町にあり、本部の千田キャンパスとは違っていたから、あまり縁はない。
歯学部に治療に行ったことがある位である。実験台と云うわけでもないだろうが、一般の歯科医に行くより安かったのだった。
 学生自治部が出していたオリエンテーション・ブックに、
“金星型美人(手書きだったから変換ミスではない)が多い霞キャンパス”という意味不明確な言葉があったのを妙に良く覚えている。

 今朝の会見では、流行りの市松模様の一方の色には大学名が、もう一方には“学問は最高の遊びである“と云う文字が躍る。これはなかなか洒落ていた。
スポンサーサイト
このページのトップへ

,石炭記念公園

  廃坑若葉してゐるはアカシア 山頭火
    塵肺訴訟の碑

 筑豊・田川の駅から炭鉱跡と思しき煙突と鉄骨の竪坑櫓が見えた。
徒歩で田川の会館に向かう途中に、通りかかったそこは、炭鉱を記念する公園。
 炭鉱夫の像や炭坑節発祥の碑、塵肺裁判の碑などのモニュメントが並ぶ。
二十年近い裁判の後、国の責任が認められたのは2004年。炭鉱の歴史はもっと大昔に終わったものと思っていたが、博物館に残る三池炭鉱閉鎖の新聞記事は1997年だった。
江戸初期から原始的な形で始められた石炭採掘の歴史が終わってまだそんなに経たない。
三井炭鉱で生まれた炭坑節がレコーディングされたのは、1932年と云う。 
折しも、中国の鉱山に生き埋めになっていた人々が救出のニュースが入った。
落盤、ガス爆発、酸欠、エネルギー産業の最先端は昔から危険と背中合わせだった。
 現在、国産の石炭はない。が、国内生産していた頃の使用量の三倍を輸入しているという。

例えば太陽光発電のパネルが用済みになった時、処理困難な有害物質に課してしまう虞れはないのだろうか。きちんとした情報を得て、コストだけでなく様々なデメリットも認識したうえで選択をしたいと思う。それでも人間の考えることを越える事態が出て来る。原子力に押し切られた過ちは繰り返せない。
 炭鉱住宅

屋外には掘削機械の展示と並んで、明治から昭和にかけての炭鉱住宅が再現されている。
 一番旧式の明治住宅にかかる表札は「山本作兵衛」という洒落よう。
山本作兵衛表札

78年に92歳で死去した作兵衛氏が、炭鉱生活を描き始めたのは65歳の時。その画業は生前から表彰、叙勲と評価されていたが、この五月末、日本初のユネスコ世界記憶遺産に認定された。記憶遺産は、景観建物などの世界遺産、能、文楽、歌舞伎が認定された無形遺産と並ぶユネスコ遺産事業。『アンネの日記』やマグナカルタが選ばれ、日本からもようやく『鳥獣戯画』『源氏物語絵巻』などを推薦する動きが出ているが、逸早く提出した田川市・福岡県立大学の動きが稔った。
   飯塚商店街に飾られた看板

当館二階にも作品の複製や遺品が展示される。
 往事の炭鉱生活を活き活きと遺す作品群だが、氏は私の絵には一つ嘘があると云う。
炭鉱の中は暗く、こんなにはっきりは見えない、と。
このページのトップへ

夜の水族館

ペンギンの空中ダイヴ
 下関・海響館のペンギン施設が完成したのは昨年三月一日。
ここを訪れたのは一月だったから、まだ工事中だった。
下関らしくふぐ(ご案内のように下関では〝ふく“と呼ぶ)の展示が充実した海っぺりの水族館。
巌流島や門司港への桟橋、唐戸市場を懐に抱き、港では水揚げの様子も観られる。

 ペンギン施設の為にもう一度訪れるのには二の足を踏んでいたのだけれど、八月いっぱい実施中の〝夜の水族館“は、半額だとのこと。昼の公演を終えて唐戸市場で腹拵え、18時の開場を前に水族館前には結構な人だかりが出来ていた。
 
 ペンギンは南半球に広く分布する鳥。ここの展示施設は亜南極ゾーンと温帯ゾーンとに分かれている。
亜南極ゾーンではペンギンの他にインカ
子供のペンギン。プールの規模としては本邦最大とか。プール満中をくぐるトンネルもある。
屋外のフンボルトペンギン特別保護区は日没で閉鎖されるので、先ずはここに急ぐ。
じゃれているのか闘争か   太陽に吠える
 楕円すり鉢状の大きなプールと砂地のあちこちに巣穴のある空間を、人の通るデッキが縫い、ペンギンたちは想い想いに佇む。 
巣に藁を運ぶ個体、つがい並んで岩の上に憩うもの。天をまっすぐ見上げての不思議な啼き声は何を訴えるのか、一羽が止むと向うで、向こうが終わるとまたあちらで、リレーのように啼き交わす。  
プールの中では、水を得た魚ならぬ鳥。高速遊泳の余勢を駆って水面からダイブする姿が見物の目を驚かす。 
他の園とは一味違うペンギンたちの姿だった。
 下関では河豚をフクと呼ぶ

関門海峡を背景にしたイルカ・プールのショーは、前回ちょっと退屈で中途退座したが、今回のショーは照明の工夫とスピーディーな展開で飽きさせなかった。ショーは満席、はねた後は展示の人口密度が跳ねあがる。渡された赤い懐中電灯で暗い水槽の中生き物を捜すコーナーなど、工夫した夜の水族館、1000円ではお釣りの来る充実ぶりだった。
このページのトップへ

巌流島

 1612(慶長17)四月の十三日、小倉藩領・舟島で決闘があった。
勝者は宮本武蔵。敗者は小倉藩指南役の巌流・佐々木小次郎。
以降、敗者の名をとって島の名を巌流島と呼ぶ。
            武蔵の舟?
 
というのが、巌流島の決闘についてのもっぱらの説だが、確かな資料はなく決闘の年限も敗者の本名も大分怪しい。殆どが後世付けられた尾鰭にあたるようだ。

 さまざまな伝説に包まれた島は、現在、下関市所属。下関唐戸の港から船で十分ほど。
一度渡ってみて識別できるようになったら岸からすぐ近くに見えているのに気付く。武蔵と小次郎


大正時代に埋め立てられて、往事の六倍の広さになっていると云うが、
1960年代の40戸ほどをピークに、73年に無人島となった。
埋め立てられた処は対岸同様三菱重工造船所の敷地となっていて、立ち入りできない。

 踏み入られる範囲の突当りの丘に建つのは、武蔵・巌流対決の像。
大河ドラマで取り上げられた際に建立された像は、
それぞれ作者も違い、除幕も別々に行われたらしい。
 
 像の向こうの砂浜には、木船が一艘。
何の説明もないが意図するところは明らかだろう。

ちなみに死の年の坂本龍馬が下関滞在中、
お龍とともに渡海、花火を楽しんだとも云う。

対岸は、山陽道の西の端。河豚などを扱う唐戸市場が栄え、
2001年に開館した水族館・下関海響館が建つ。

義経と知盛の壇ノ浦の合戦もこの近く

このページのトップへ

ナイト・ズー

 夏の金土日は、夜の動物園実施中とのことで、終演後、市民が守る動物園、到津の森へ。
二年ほど前、東山動物園のナイト・ズーを覗いたが、その後の予定が詰まっていて暗くなる前に出て来たから、動物園の夜景は初めて。
 エントランス、昨日の雨に濁る池の表面にはびっしりとアメンボ。記憶をたどってもまばらにいる風景しか浮かばないのだが、
子供の頃にはあんなにアメンボがいた頃があったろうか。

 先着40名のバックヤードツァーは疾うに締め切られていたが、マダガスカルの森―エリマキキツネザルとワオキツネザルの檻―にお邪魔できる企画と、ムササビの飛行観察だけでも大きな目玉。
                エリマキキツネザル


 一年半前の訪問時には、まだ新アライグマ舎とレッサーパンダ舎が完成したばかりだったから、マダガスカルの森には初御目見得。
通常でも二階通路からキツネザルたちを見下ろせる施設は画期的。鉄格子を通してしか会えないキツネザル舎が全国には未だ圧倒的に多いのである。エリマキキツネザルの家
 18時になると、右側のエリマキキツネザルの入口から入って、猿たちの様子を眺めつつワオ―の檻へ。パンダ見物のように
せかされるかと思ったが気が済むまで居させてくれる。尤も檻の外は長蛇の列。以前からこの園にいるワオキツネザルは旧舎に残って、新施設の住人は犬山モンキーパークから来た一群れ。

 旧舎に残されたワオキツネザル

メスライオンのメスジャンはこの二月一日に死去。前回は二頭並んでいた温熱装置付きの岩石の辺りに佇むオスのキングは、所在なげ。
独りのキング
在世中のメスジャンとキング
ゾウたちに餌を手渡せるのはこの園の楽しみの一つだが、今回はお腹を壊しているとのこと。夏中子供たちの相手をして食べ過ぎたのかもしれない。

 丘を少しのぼった辺りに狸やムササビの居住区。前二回は冬場で、狸団子になっていたから、夏毛の狸はまるで別人。ムササビ舎は、いつも巣箱を見るばかりだった。
動物園用意の虫よけスプレーで防備して、待つ中に、巣箱から出たムササビたちが檻の高みをぐるぐると駆け廻りだす。立ち止まって首を上下に振るのが、着地点との距離を測る動作だと云うが、度の個体がいつ跳ぶか目星がつかず、見はぐれたりする。天候や風向きによって当り外れがあるそうだが、この日は結構大盤振る舞い。

ムササビ舎を後にした途端に豪雨。そのまま園を出てバス停に向かったが、あの後予定されていた花火大会はどうなったことだろう。
このページのトップへ

Search

Information

JAMIRA

Calendar

07月 « 2011年08月 » 09月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。