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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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八郎の町へ

 八郎潟駅は、秋田から各駅で40分弱。
青森からの貸切バスが秋田に着いた時は泣き出しそうな空だったが、鈍行が走るうちにお陽様が現れた。
駅から八郎潟残存湖までは30分ほど。道の両側は遥かの山まで田植えの済んだ水田。
秋田駅の観光案内書で呉れたのは、駅から湖まで。
閉館直前に湖畔のうたせ館(八郎潟展示館)で聞くと、埋め立てられた大潟村に干拓博物館があるという。
 車で三十分というその場所は、旧八郎湖をほぼ縦断した位置。
本邦第二位の面積だった八郎湖は、干拓地がその殆どを埋めている。
      琵琶湖の三分の一とは言え、こんな大規模な干拓とは

戦後五年から20年掛けて完成した巨大な浮島は、山手線がすっぽり入るという。
地図で見ると周囲にわずかな水域を残すのみ。が、今目の前にする大潟橋だけでも歩いたらかなり掛かりそうだ。
                   大潟橋

 自転車をお借りして渡った島の道は北海道のそれのように一直線。沿道は桜の並木。春は菜の花とともに
道を彩る。
途中一千分の一の高さに築いた“八郎富士”のモニュメントがある。その頂上は海抜0メートル。
この島の大地はマイナス3mほどということになる。
                        小型ながら大潟冨士

 突き当たりの道標には左に寒風山とある。
斎藤隆介氏の創作民話では、巨人・八郎と共に湖に沈むのが、寒風山。八郎潟を知ったのは、この『八郎』だから、
八郎潟に来る一つの目的だったが、干拓博物館は右。今回は見送り。
                        道標
 
ラジオから聞こえてきた“八郎太郎”の伝説―三人での山仕事の際に見つけた岩魚を我慢しきれずに賛美とも食べてしまった若者が龍に変化するーに対して、「山の民が岩魚を一人で食べたくらいで龍にされてたまるか」と、怒りを込めてオリジナルの『八郎』を作者は一気呵成に書いたという。八郎は津波から村を守り耕地を造る巨人として生まれ変わった。 
現実の八郎潟は丁度、世紀の干拓事業が緒についた頃だった筈。
                    見慣れない風車は最新式

 戦後食糧難時代が生んだ自然の改変。
開発の是非は論の分かれるところだろうが、垣間見た所では幸いこの人工島は一つの“自然”環境を成しているようだ。
四十年前に読んだ物語が導いてくれた旅。次回は別の方面からでも寒風山に会いに来よう。 
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