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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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侠客の足跡

 一月十七日。
 この鎮魂の日に墓所を訪ねることになったのも何かの縁だろうか。
 今日は仕事の入っていない唯一の一回公演。南座の前から203番のバスに乗った。京都市内のバスは一律220円。

 岡崎神社前で降り、お東の別院と岡崎神社の間の細い道を行くと金戒光明寺の敷地に出る。三重塔に続く石段を登ると途中で参道の道標が左に招く。参道は西雲院を通って会津墓地に至る。
 大小の墓は思い思いの方を向いて建つ。
会津守護職本陣史跡の文字も

 黒谷金戒光明寺は法然上人が庵を結んだところ。浄土宗の大本山だが、幕末には京都守護職に任ぜられた会津公松平容保がここに本陣を置いた。
 勤皇の志士が跋扈する無警察状態の幕末京都の治安維持を命じられた会津は、何とかこれを避けようとしたが請けざるを得ないと結論したとき君臣相擁して泣いたという。
 新撰組を使った武力平定が薩長の恨みを買い、賊軍として辛酸をなめるに至る悲劇を既に予感していたかのようである。

 長州が撃退された禁門の変での237霊、幕府が敗退した鳥羽伏見での115霊が葬られている。鳥羽伏見の埋葬者の少なさは敗軍の混乱を想わせる。
会津墓地   小鉄は息子と共にここに眠る


 このとき会津桑名の戦死者を葬った会津の小鉄の墓は、途中の西雲院にある。
 
 再び203系統のバスに乗る。40分ほどで着いた時には北野天満宮は薄暮の中。目的の常夜灯を探すことが出来るかと危ぶんだが、大鳥居の直ぐ脇に、新門辰五郎奉納の石灯篭は建っていた。
 奉納の元治二年二月は、禁門の変から第一次長州征伐が成功裏に終わった翌年である。
辰五郎奉納の常夜灯  新門辰五郎の文字

 歴史の本では極々脇役の新門辰五郎と会津の小鉄。ここ京の町には彼らの足跡が残っている。
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+5円 -5円

 スーパーの納豆の棚がすっからかんになっているのを不思議に思っていた。
十日ほど前には賞味期限の近づいたものが値引きして売られていたというのに。
 どうやら七日に放送された健康番組で採り上げられたのが原因らしい。ダイエットに効くという内容だったことが、過剰反応を招いて品薄状態を引き起こした。彼方此方の屋根の下で痩身を夢見て日夜納豆を掻き混ぜていると思えば涙ぐましい。
 ペコちゃんのケーキも食べられないわけだから、効果は上がるかもしれない。

 さて、今スーパーの話題と言えば、やはりレジ袋有料化だろう。現在プラスティックゴミの10~15%をレジ袋が占めているという。わがホームグラウンドではレジ袋にゴミを入れて出すことが認められているし、基本的にはマイバッグを使っているが、それでも何かの折に貰ったレジ袋がゴミになる。
 ゴミ分別の厳しい名古屋では有料のゴミ袋に限られているが、名古屋のスーパー・ヤマナカは、市の指定ゴミ袋をレジ袋として採用している。

 関東を中心とする“つるかめ”は、随分前から一枚一円を実施しているが、大手ではこの十一日から一枚五円を実施したジャスコ東山二条店が皮切り。十五日には、サミットが杉並区と連携して二月半の実験に入った。
 やってみるとさしたる抵抗もない、というのは、周到な周知にもよるのだろう。

 もっともレジ袋削減の試みは大昔から実施されている。買い物袋を20回持参すれば100円還元されるスタンプカードは、大手の多くが配布している。一回五円の値引きである。但し店頭で見る限りレジ袋を使っている人が圧倒的に多い。
 目に見えて五円出すのは嫌だが、今見えない五円は意識に上らないものらしい。

 無駄な消費のダイエット。一時の流行に終わらぬことを祈りたい。

88年に松山で買ったマイバッグ
【“+5円 -5円”の続きを読む】
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鉄火肌

 どうも私には鉄火肌の女性に惹かれるところがあるらしい・・・



 何かの対談だったろうか、手塚治虫先生のこんな発言に出会ったとき、“鉄火肌の女性”とはどんなものだかさっぱりわからなかった。
 なんだか赤く火照っている様でもあり、刃のように冷たい様でもあり。
 鉄火は、鉄の熱せられた様だが、“触れなば散らん”ならぬ“触れなば焼けん”という風情を指すだろう。

 鉄火場と言えばギャンブル・センターのことで、これまた火の出るような勝負が繰り広げられていたことであろう。
 その鉄火場での勝負の合間に食べられていたところから、鮪の巻き寿司に鉄火巻きの名がついたという説は有力らしい。が、鮪の赤身は見るからに“鉄火”。サンドウィッチの命名とは微妙に違うのではないかと疑いを持つ。


 鉄火肌、伝法肌は主に女性に与えられる称号。男の場合は勇み肌だろうか。任侠の徒である。
 三昔ほど前の東映任侠路線から連なって、任侠と聞けば現代の指定暴力団を連想するが、“弱きを扶け、強きを挫く”という男伊達の世界。

 
 幕末、官軍の攻撃を受け清水港に屍を晒した咸臨丸の乗組員を、留める周囲を押し切って次郎長は手厚く葬った。
 火消しの頭新門辰五郎は上野彰義隊の戦死者を、博徒会津の小鉄は鳥羽伏見の戦いの犠牲者たちを黒谷の会津墓地に葬ったとも伝えられる。
 草莽の士のこと史実を確かめることは難しい。講談浪曲で創られたエピソードもその事績には混じっていることだろう。

 が、命は命、仏は仏。“負ければ賊軍”埋葬も許されないという権力の理不尽が罷り通る時代、それに従わず筋を通すヒーローを民衆が求めたことは疑いない。

 
 治安維持法下で、“生きべくんば民衆とともに 死すべくんば民衆のために”と人権擁護に勤めた弁護士 布施辰治は、好んで色紙にこう書いたという、
『任侠 是弁護士の使命也』

 
鉄火巻

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紅あん



 千なりという菓子がある。

 名古屋の菓子司、両口屋是清が製造販売しているドラ焼きに似たものだが、カステラ風の生地の面に、瓢箪が五三の桐を囲んでいる。 

 チクロなど食品添加物が問題になった頃、様々な着色料も問題となった。 それまではタラコももっと鮮やかな赤色をしていた。急に色のさめた鱈子は不味そうに見えたものだった。

 この時に紅餡は一旦姿を消した。替わって登場した白餡は粒を残して工夫したものだったが紅餡好きの私にはなんとも物足りなかった。
 同好の士が多かったと見えて、別の着色料を使ってやがて紅餡は復活した。今でも千なりは紅餡に限る。


 年末、わが国ではトランス型脂肪酸が突然話題となった。

 私は丸元淑生氏の『豊かさの栄養学2・脂肪』などを読んで以来マーガリン等とは縁がない。
 あの本からでも十年以上。今頃になってと思ったが、その自分も珈琲のフレッシュがトランスとは思っていなかった。家ではブラックで飲むくせに出先では必ず使っている。考えてみれば一月も保つミルクがあるわけがない。

 油を水素などで結合、硬化させたトランス脂肪酸は、発明実用化からほぼ一世紀を経てその危険性が発覚した。が、それから十数年、この国では一般の話題には上らなかった。
 今回はニューヨーク市の規制をうけて急にマスコミが採り上げたものらしい。それでも実際の動きはまだまだ。こうしたことに関しては、アメリカが風邪をひくと日本がくしゃみをする程度のようだ。

 私たちは、給食に出てくる銀紙に包んだサイコロ型のマーガリンで育った。
 添加物によって滑らかでふわふわになった食品を美味いと感じる舌を持っている。如何足掻いても、添加物・加工品抜きにわが味覚の歴史はない。
 神経質になってばかりいられないが、食の現場の意識が変わっていかなければ、これからもこんな世代が増えていく。
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≪背伸び≫の必要


 成人の日。

 一月十五日でない日が成人式というのがやっと私の感覚に定着してきた。“ハッピーマンデー制度”によってミレニアムの年から十五日の成人式はあり得なくなった。それまで皆勤していた南座の京都では、この日は三十三間堂の通し矢の日だった。

 今年は歴代最少の成人による式だという。例によって荒れる成人式がある一方で、予算がなく全国からの寄付で賄った式もある。
 
 親に楽をさせたあげたい、社会に責任をとりたい、TVカメラの前の発言は気恥ずかしくもあるが、ホッとさせる。タテマエは嫌いだが、式で狼藉をする連中が自分に正直に生きている素敵な奴等とは思えない。頑張ろうよ、背伸びしたら等身大では見えないものがあるかもしれないよ、と言ってみたい。

 新成人が生まれた86年はバブル景気が始まり、スペースシャトル・
チャレンジャーが爆発し、チェルノブイリ原発が事故を起こし、まだあった社会党で主要政党初の女性党首が生まれた。そして私が前進座に初出勤した四月一日には男女雇用機会均等法が発効した。JR発足は丁度一年後である。

 世界では今や十八歳で大人の権利義務を授けられる国のほうが多数派らしい。成人、“人に成る”とはどういうことなのだろう。入座20周年は昨年四月に迎えたが、成人式は今日らしい。
 
 
 こんな自分が何が成人だ、と思う。でも少数派の八六年生まれの皆さんと一緒に背伸びをして次の世界に行ってみたい、と思う本日ただいま。
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刻は風なり



 さて、亥の年である。
 日本ではこれは猪ということになっている。猪突猛進…まっしぐらの一本気という好印象は、蛮勇、猪武者のマイナーイメージにも通じる。
 
 六年生のとき、“夏の子供教室”といった企画で、東山動物園の飼育係を体験したことがある。私の担当は日本猿だったが、余りにギャラリーが詰め掛けた為に興奮してしまい(猿が、です)、粗く切った野菜や果物を入口からそっと入れるに留まった。
 こども動物園の豚も、何時にない人の多さに驚いたのか、右に左に凄まじい勢いで走り回る。「猪突猛進」とはこのことか、と目の当たりにした初めだった。
二回り前の賀状


 丁亥という干支の横に“刻の巡りは”云々という一筆を認めていたら、亥の字と刻の字は良く似ているのに、迂闊ながら初めて気づいた。
 リットウは無論“刀”のはずだが、はて、猪と時とはどう繋がるのだろう。
 高校時代の漢和辞典から大漢和、説文解字も引っ張り出してはみたものの、如何せんこちらの理解力がついていかない。

 が、亥は豕と同じく、象形文字。刻に於いては、鏤刻することが原意で、亥は音を表すに過ぎないというところらしい。漏刻―水時計―の目盛りから時の意が出たという説明もあるが、ことの後先は兎も角、時は刻まれるもの、というイメージは現代のわれわれには親しい。


 時はいろいろなものを刻みながら刻々と過ぎていく。
その刻み去り方が日々早くなる。一瞬に通り抜ける矢風のように一年が流れ去る。
 彼方此方に皺を刻まれるばかりでもつまらないから、せいぜいトキの中に何か刻み付けて一年を送りたいもの。


 元日や 今年もあるぞ 大晦日        出典不詳
説文解字・刻の項とイノシシ

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