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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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水つき学校




 「サワンド学校は水つき学校 廊下を河童が泳いでる」

 天竜川を挟んだ二つの村の小学生の囃し合いから物語は始まる。この夏の水害ニュースを聞くにつけ、浮かぶのは『水つき学校』だった。
水に浸かったあとの廊下の泥洗いは、拭いても拭いても、床板の隙間から土が出てくる。毎日泥の臭いばかり嗅いでいると教科書の匂いが懐かしくなる。雨が一日続けば、机や椅子を二階の教室に上げなければならない学校生活。
 誰からともなく唱歌を口ずさみ始めた生徒の行列は、知っている歌がなくなると、「勉強してえ、本読みてえ」と囃しながら校内を歩く。
 

 下流にダムが出来てから激しくなった水は下から漬いてくる。国と電力会社を相手取った長い大人たちの闘争。
 ダム撤廃の根本解決一本槍の主人公の父の運動は思い通りにはいかない。意見のぶつかり合い、そこに生まれるエゴや人間の弱さをも少年は垣間見ていく。

 “おれたちの旅行貯金をみんな使ってくれたっていい 水のつかんところへ学校をうつしてくれ”という子供たちの声はゆっくりと大人たちをも動かしていく。村会議長の医者は、山本有三の『米百俵』を引き合いに、有線放送で村民に呼びかける。

 

 死人と多くの流失家屋とを出した集中豪雨で、村のドンの田もすっかり流される。急転直下、機械化農業モデル地区として、ダムを残したままの“大団円”となる。ダムとの闘いの行方は現在進行形としながら、 少年はしっかり両目を開いて歩んでいく。
社会科の教科書には出てこない一つの世界がそこにあった。

 作者加藤明治は、その名の通り明治44年生まれ。20の頃に15年戦争が始まっていることになるが、戦時中の経歴は児童書の著者紹介には記されない。敗戦の三年後中学教諭となり、四年後から18年間長野県下中学校長を歴任。辞任したその年に急逝している。自らの経験と種々の記録から創作された  
 『水つき学校』は、1960年に筆を染め、三年の連載と二年間の推敲を経て世に現われた。今読んでも新鮮な名作だと思うのだが、図書館に残っているものを探すしか手はないようだ。

飯田への高速バスから半分落ちた橋が見えた。そこがサワンドだった。

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