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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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猩々の惑星に捧ぐ・后篇



 『戦場にかける橋』から11年後の『猿の惑星』には、文明とは何か、人種、文化間の溝とは何なのか、という問題がちりばめられている。
 共通する“知性”によって種族を越えられたかにみえたユリス(映画版ではアメリカ人テイラー大佐、当然ながら原作ではフランス人である)とジイラだが、小説家は最も高潮するユリス送別の場面に皮肉な溝を描いてみせる。

 美醜善悪を決めるのも文化、文化は分化でもある。価値観の相違、相互不理解から危惧や恐怖が生まれ、チキン・ゲームへと育っていく。


 核による滅亡の予感も、原作にはない映画版の特色である。それは同時代の共通認識でもあった。
 猿の惑星が核戦争後の地球であることを知った飛行士たちは、「とうとうやってしまったんだ」と呟く。彼らが地球にいない間の出来事だが、私のリスニングが間違っていなければ、その主語は“We”。


 『猿の惑星』完結篇は、一人の猿が700年前を語るという仕掛けを持っている。
 

 2670年の北米、老いたオランウータンが彼らの神話を語りだす。神の意思にそむいて戦争を始めた人間に対し、神は二匹の喋る猿―ジイラとコーネリアス―を送り、その息子シーザーによるクーデターは核戦争に発展、生き残った猿類と人類は緑の野で新しい社会を築く。

 偉大な祖先の物語として語りだされた映像の冒頭、カメラが追い続けるのは殺猿を犯すことになるアルドー。
 六十年代後半、自然科学の世界でも同属殺しはヒトの専売特許ではないことが明らかになっている。これは一方の考え方には光明であり、また一方では絶望的な宣告だった。



 シーザー革命後、兵器は一人のオランウータン賢者が管理する小屋に集められている。
 “危険の認定も出来ないのに武装するのか”と痛烈な疑問を投げかけた賢者は、放射能人間との戦いが終わって戻った武器庫の破壊を提案するが、却下される。危険は去ったわけではない。辛抱強く待たねばならないと。
 相手を理解して辛抱強く待つことしかない。復讐の連鎖や相互不信は、全滅をしか導かない。それは放射能に侵された禁断地帯の人間たちの中でも語られる。


 物語は終わった。そののち戦さはない。が、この先はわからない。
 シーザーが去って600年、それは『続』で地球を破壊するまで1300年の地点となるが、猿類と人類は平和を保って共存している。素直に見ればどちらも過ちを犯す存在だと判って作り上げた共栄社会だが、国外の脅威である放射能人間に壊滅的打撃を与えたからもたらされた平和、という見方も出来る。
 
 死者には未来のことも見えているのかもしれない、という賢者の言葉と共にカメラは亡きシーザーの銅像に寄っていく。その目からあふれ出る涙の映像で五部作は完結する。


 
 明るさを期待できない未来でも、歩き出すしかない、そんな決意ともみえる『BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES』。
 もう33年前の作品である。
深窓の令嬢・千葉

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猩々の惑星に捧ぐ・前篇



 禁断地帯の地下に住む放射能人間と猿族との最終戦争によって二千年後の地球が崩壊する映画第二部『続・猿の惑星』(原題:猿の惑星の深淵に)では、反戦を叫ぶ猿たちが軍馬の前に座り込む。
 
 並んでTV放映を見ていた父が「ベトナム戦争を皮肉ってる」と言ったのが、現実とフィクションとは連動しているのだと知った最初だった。


 『猿の惑星』五部作が撮られた68~73年は、アポロ計画の真っ只中であると同時に、米国のヴェトナム出兵後半期とも重なる。原作が発表された63年に始まったアメリカの直接的軍事介入は73年の撤退で一応の終結を迎える。

 映画と原作との決定的な違いは、“猿の惑星”が地球の成れの果てかどうかでも、主人公の運命でもなく、宇宙飛行士がフランス人かアメリカ人かにあったかもしれない。
 ケープ・ケネディから謎の惑星に不時着した飛行士の最初の仕事は、小さな星条旗を立てること。建国200年、征服の歴史しか知らないサルたちによる惑星第一歩。



 第五部完結篇は、シーザーによるクーデターの十余年後を描く。核によって大都市は壊滅、緑の野に築かれた猿の社会の中で、人間もそれなりの権利をもって生きている。

 核壊滅地帯に生き残る人間との戦争、猿と共に住む人類の処遇を巡る争いの中で軍人アルドーが“猿殺し”の過ちを犯す。「猿は猿を殺さない」は、第一部から繰り返されてきた言葉。

 猿を殺したゴリラの名『アルドー』は、嘗ての猿人伝説中で最初に目覚めた猿の名である。彼は原罪を犯すアダムとなった。

 事実を知った猿たちの「猿が猿を殺した」というシュプレヒコールは、TVの吹き替えでは、ゴリラ将軍に対する譴責の言葉と聞こえた。だが、改めて見ると“猿は猿を殺すものなのだ”という発見にも見える。

 人間と同じ劇的な歴史を彼らも歩み始めた。
 
 ひとたび起きた“殺猿”は、第二の“殺猿”を引き起こす。
 子を殺されたシーザーは動物的なうなり声を上げつつ、犯人アルドーを樹上に追い詰める。格闘の末アルドーは転落死する。殺し“合い”の歴史が始まった。 
 復讐の為なら殺してもいいのか、というシーザーの問い掛けに賢者オランウータンは、その答えはわれわれの“未来”が決める、と答える。


 踏み出したサルたちは元には戻れない。
 間違った戦争と評価のほぼ定まったヴェトナムから撤退したその年、人より人道的な社会を目指した猿の挫折から始まる物語しか彼らは描きえなかったのかもしれない。
いこい 或いは マクベス・福岡

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『崩れ』



 人の心の中にはものの種がぎっしり詰っていると思う、と幸田文女史は記す。
 してみるとこの本を手に取らせたのは私の中の一体如何なる種だったのだろう。

 明治の文豪から四代続く文筆の家、NHKのコラムでその四代目が二代目のこの作を語るのを、途中から聞いたのは公演を終えた盛岡の宿。その日文庫を買ったばかりのさわや書店で、翌日『崩れ』を探していた。
 
ホテルの部屋に備えられたメモ用紙の一枚には、「崩れ」と記した左右に「芽ぶいた種は大事に育てなければ」「自然は超えられない、その声に耳を傾けること」と、TVコラムの言葉を書き留めてあるが、書店に早速向かった動機付けとしてはこのメモもピンと来るものではない。


 72歳を迎えてから芽吹いた一つの種は、高所恐怖症の幸田女史を山歩きへと導いた。


 静岡安倍峠の優しい景色の陰に潜む大谷崩れの荒涼に打たれた女史が求めた関係書籍を紐解くと、日本は崩れに彩られた国だと分かる。
 この崩れの山河を伝えなければという想いに突き動かされて、強くはない足腰で崩れを見て歩く旅が始まる。
 この気に掛かり方の、この想いの正体が何なのか、まだ作者にも判然とはしていなかったろう。

 崩れの危うさを、人の心を飲込んでしまいそうな迫力を、富士山の端麗を裏打ちする崩れの厳しさを、各地の崩れが女史の心に映していく。 それはまたあるときには、地滑りにあった新潟松之山町の痛みであり、有珠山災害避難者の秋晴れのような明るさであった。


 「巨大なエネルギーは弱さから発している。」
崩れは巨大な暴力と目には映るが、それは地質の弱さから発生する現象である、大沢崩れで出会ったその言葉の響きが女史の心を鎮める。

 生きることの本質に繋がる啓示に似たものを、日常の下に潜む崩れは、崩れを含む風景の寂しさは含んでいたからではなかったか。

 と思ってみたところで、私がこの本を手に取ったわけは依然謎のままである。



 月刊誌に十四回の連載は、「まだ、書き加えることがある」と単行本化が見送られ、“崩れ”行脚は続けられた。

 それから13年の後、作者の永眠半年後に雲仙普賢岳が火を噴いた。「母の待っていたもの、書こうとしていたものは紛れもなくこれだと思った」と、三代目の文筆家は、単行本のあとがきに記している。
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世田谷団十郎の坂道

 
 
 NHK大河ドラマが、第九作にしてオリジナル原作を依頼した『春の坂道』。
 徳川将軍三代の陰から太平の基を築いた男としての柳生但馬守宗矩がその主人公である。
 敗戦後四半世紀、’71年に問う作品にとの意気込みで書いた原稿紙は丁度1971枚になった、と原作小説の付録冊子には記されている。
 

 「学問によって」「武道(武術でなく)によって」「人間を作り変えねば、戦乱の世は終わらぬ」。家康と父柳生石舟斎の悲願を受け継ぐ宗矩の坂道は、秀吉の外征に始まって三代将軍家光の明国援兵計画の阻止まで続く。
 

 1942年、報道班員として海軍に徴用された作者は、“釈荘八”と箱書きした爪を家に残して中国各地、タイ、マレー等に従軍し、戦記小説を発表する。
 この年の野間文芸奨励賞受賞者は三名。これらの戦記、従軍記での荘八の他に、『龍の目の涙』による浜田広介の名も見える。

 1945年四月、川端康成らと鹿児島県鹿屋へ派遣。神雷特攻部隊員の“底抜けの明るさ”に打たれたこの感激家はすぐさま宿舎を引き払って特攻基地に飛込み、作戦が変更される六月末までの二月間、五次に亘る出撃を送った。

 執着や欲望から開放されて明るく澄んだとみえる人々の中で暮らした体験は、後の作家生活の原点となる前に、先ず彼の生命を救った。

 時局講演先で迎えた敗戦に虚脱し自殺を考えた彼は、手元に残された隊員たちの署名簿と遺品とを託すために師・長谷川伸を訪れた。
 長谷川は、渡された品をそれぞれ白い袱紗と黒塗りの手箱に納めて荘八の前に置いた。今後の人生はこの心を活かすためにあると。


 
 代表作『徳川家康』(’50~67)は、人間そのものが変革しなければ滅亡が待っているという希求に基づいた理想小説だと作者自ら語っている。
 人気のない家康を描くと聞いて「分かった!織田今川二大強国に挟まれた小国三河を、敗戦後の日本になぞらえる気だ」と喝破したのは作家海音寺潮五郎。

 その『家康』が経営者必読の書として広まったことが、作者晩年の政界への傾斜に繋がり、評価を分ける。


 
 晩年まで文士劇で活躍した山岡荘八の渾名は“世田谷団十郎”。彼もまた世田谷文士の一人であった。

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【“世田谷団十郎の坂道”の続きを読む】
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ある花言葉

 
 「どんな花でも花言葉はあんの?」
 「そりゃもうちゃんとあるわ」
 「ほな、菊は?」「気高い乙女」
 「スミレ?」「つつましき女性」
 「水仙?」「片想い」
 「カンナ?」「木を削る」



 文字で見てもどうということはないが、海原お浜・小浜師匠の上方弁とテンポで聞くとなんとも可笑しい。漫才「花ある生活」の一節。




 花言葉は、アラビア起源とも英国起源とも言われるが、国が地域が違えば、イメージも多彩。その手の本を見ると一つの花に幾つもの花言葉がある。
 “木を削る”は見当たらないが、カンナにも“堅実な未来”“情熱”など様々な花言葉がある。



 この夏、『広島咲希望花カンナ』という新作浄瑠璃と出会った。
民話を主な題材に創作義太夫を送り出しておられる橘凛保さんと野澤松也さんのコンビによる作品。


 広島とカンナ、聞きなれない取り合わせだった。「夏に咲く花夾竹桃」は、広島の市花にもなっている。
 被爆と同じ夏が巡り来た時、同じように咲く夾竹桃を、75年は草木も生えないといわれたヒロシマの市民たちは被爆地に最初に咲いた花と呼んだ。


 『ひろしまにさくきぼうのはなカンナ』は、凛保女史が広島原爆資料館を訪れた終戦59年の秋に芽を吹いた。
資料館の出口に飾られたカンナの写真に希望と勇気を貰った女史は、やがてその由来を訪ねることになる。
 
 爆心地近くで、朝日新聞松本栄一カメラマンが、一月半後に撮った一枚。
はて、資料館にそんな写真があったろうかと思われる方もあろう。“来館者に希望を持って帰ってほしい”と当時の館長さんが、2002年頃に地下の倉庫から埃を払って飾ったもの。それ以前の来館者は知るべくも無い。

 出会うべくして出会ったカンナを主人公に、太棹の響きは希望と共に新しい被爆の物語を送り出した。



 『広島咲希望花カンナ』のCDは、この春から資料館にも置かれている。野澤松也と橘凛保の創作浄瑠璃の会ウェブ頁は、
http://mr-jyoruri.serio.jp/



ヒトがヒトの頭上に原子爆弾を投下してから、今朝61年。


広島咲希望花カンナ

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