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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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焼いてください

 

 日々旅にして旅を住処とする身の置き所は、宿と楽屋。

 楽屋はさておいて、宿泊事情は劇的に変化した。旅館の大部屋が当然だったものが、今や巡演コース表の中から旅館を見つけ出すことが難しい。


 
 ホテルが日常となると、朝食はヴァイキングが多くなる。

 先日泊まったホテルの朝食会場では、食品アレルゲンのプレートが付されていた。小麦粉・蕎麦粉・牛乳などは勿論、驚いたことに大抵の料理に何かしらのアレルゲンが表示されている。

 アレルギーと免疫は元来同じもの。
 研究の進歩が原因不明だったものをアレルギーと認定したこともあるのだろうが、一寸前とは比べ物にならないほど沢山のアレルギーが身近に存在するようになった。
 日本人を取り巻く衣食住環境が、この数十年で急激に変化したことがその原因とされている。



 体調不備で舞台に立つのは辛いもの、ましてや旅先では。
 某青少年ミュージカルで、主役以下袖に入ってくるたびに用意した洗面器を使いながらその日の舞台を明るく勤めたという涙ぐましい話も聞いている。
 
 牡蠣や青魚など、食品がどうこうより体調が結果を左右する場合も多い。消化の不備や蕁麻疹。沢山の扮装をする芝居では、何れも辛い。


 旅館が当たり前だった入座当時の初旅で、先ず教わったのは卵は焼いてもらえということ。劇団員だけでなく照明さんや大道具さんも、一度は酷い目にあった経験をもっていた。
 私は今すっかり横着になって生卵を平気で食べるが、もっとキャリアのある人はホテルでも油断無く「焼いてください」という。


 当時は旅館の方でも心得ていて、「どう焼きますか」と返って来た。これには実は隠れた余得もあった。
 目玉焼きを頼むとハムエッグが出てくることがある。そんなときは、先に朝食を済ませた人が、後から来た人に御親切にもアドヴァイスをしていた。

 目玉焼きにしてもらったら卵が二個焼いてあったことがあるという。マナコは二つあるからだそうだ。

抱卵中のカンムリヅル・熊本

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不惑超人


 40年前の今日、日本初の特撮カラー番組『ウルトラマン』の放送が始まった。
 超人が現われない先行作品『ウルトラQ』は、この年の一月二日に始まっているから、今年はウルトラマン40周年であり、ウルトラ・シリーズ40周年でもあることになる。

 芦花公園に程近い世田谷文学館で、一昨日から記念展が始まった。
徳富蘆花はじめ朔太郎、茂吉、横光、乱歩、風太郎、寺山、世田谷所縁の文人は多い。彼らを顕彰する文学館が今回採り上げたウルトラマンは、世田谷生まれ。
 
 特撮映画の神様、円谷英二がこの地に起こしたプロダクションは、TVシリーズ『ウルトラQ』を制作、“毎週新しいゴジラが出てくる”番組は、裏で放映されていた虫プロダクションの『W3』をノック・アウトした。
 半年後、この枠を引き継いだのがウルトラマンだった。

 アニメーション作品、海外版など様々なヴァリエーションを含めて、現在放映中の『ウルトラマンメビウス』が、第16作とされる。
 後続作のレベルはそれぞれだが、40年前に生まれた作品がまだ命脈を保っているのは、観客の保守化なのか、創作力の低下なのか、と疑いたくもなる。


 展示の最初に置かれているのは、四十年前の本日付の円谷英二の日記。
 脚本家たちとブラウン管の前に座った監修者は“仲々の出来”と安堵の感想を記しているが、翌日には別作品のラッシュを見て台本の弱さを引きずってしまったという悔恨の言葉が記される。

 制作資料の展示の裏に、脚本、特撮、デザイン等々々、それぞれの分野のサムライ群像の姿が浮かび上がる。
 第一シリーズ(『Q』『マン』『セブン』をこう呼ぶ)のメイン・ライター金城哲夫も、マンネリに流れずこれまでに無いものを作るという気概をそのノートに記している。いつか傑作は生まれると信じて明日も頑張ろう、と。 

 これだけの想いを傾けたものがそう簡単に滅びっこはない
 
初代

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大家族



 平川動物公園の花菖蒲園はすっかり季節を終えて、整備中だった。東北から南下してきたわれわれは、どこかでハナショウブ前線とすれ違ってしまったらしい。

 つい動物園入口というバス停で降りてしまった。もう一つ乗れば園の前だったが、これも一興。オレンジの蝶やモンキアゲハがいざなうように飛ぶ。


 ここは鹿児島市街と知覧の間。平川烏帽子岳の中腹に、錦江湾公園と隣り合って建つ動物園を入ると、雨に濡れそぼつキリンやダチョウの草原が広がる。
 桜島を借景にしたアフリカ園から猛獣舎を過ぎると順路は洞窟の入り口。レースのカーテンをくぐって洞穴を出ると、そこはフライングケージ。檻の出入り口が二重扉になっているのが相場だが、出口側も類人猿舎に直結する造りは洒落ている。



 深夜のバス移動で狂った体内時計が、今朝は四時に身体を起こした。早朝のBS1はなかなか面白い。

 鷲にでも襲われたのか、耳を爛れさせたワオキツネザルの仔を、母が、兄が、姉が、膿んだ耳を食い千切って助ける。共生する原猿類の家族生活をカメラは映し出していた。

 バオバブの木こそないが、当園では池の中の離れ島に十頭余りの群れが住む。もともとよく出来たヴィジュアル系だが、それぞれが地に立ち上がり、木に駆け登るダイナミズムは、檻に住む仲間とは較べ物にならない。


 定番の猿山にはマントヒヒとバーバリーシープが雑居している。山羊は超然と岩の上に立ち、狒々たちは幾つかのグループに別れてパトロールを繰り返す。見慣れた猿山よりも遥かに面白い。ヒトを展示する時は、掘っ立て小屋でいいから、学校と議事堂くらいはヒト山の一角に設置しないと面白くないだろうなどと思いが飛ぶ。

 日本一のコアラの大家族というのがこの動物園の一つの売りらしいが、コアラばかりではない、ラマもキリンも一二頭で住んでいるときとは違う顔を見せる。

 群れる生物はやはり群れで育つのがいいのだろう。



 動物園に逃亡は付き物、というフレーズが耳に新しい。夜行動物の館で、毛むくじゃらの二匹が足元にぶつかって来たのには肝を冷やした。 睨み合ってよくみれば虎縞の猫とペルシャがかった仔猫だが、短い尾に精悍な面魂はなかなかの貫禄。野生のヤマネコが迷い込んだのではあるまいかと、実はいまだに半信半疑なのである。



ワオキツネザルのお向かいのマンドリル・ひらかわ

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花と象



 福岡の地下鉄の各駅にはそれぞれシンボルマークがある。
花を捧げたゾウの駅で降りる。
 福岡三番目の路線、七隈線は、昨年二月に開通したばかり。
 
 動物園に近いはずの出口から上がったものの、地上には何の標もない。スーパーの店員さんの助けを借りて動物園入口の交差点まで来は来たが、どちらへ進んでいいやら皆目見当がつかぬ。近隣と思しき通行人に尋ねて坂の上の園にたどり着いた。

 ゲート前に着くバス便は沢山あり、決して不便なわけではないが、歩いていくと分かりにくい。
 尋ね尋ねていくのも乙なものだが、もう少し道標を整備したら如何なものだろう。

 園内にも特定の順路はなく、コースは来園者の自主性に任される。

 季節柄飾り羽の抜け落ちたフウチョウ舎の脇から橋を渡って先ず北園。
 育児放棄されたコンドルの雛たちを見ながら進むと、外れの小高い建物はツシマヤマネコの家。野生の対馬山猫は現在100頭ほどが生存しているとされているが、交通事故などでも命を落としている。この動物園では2000年から七年連続で繁殖に成功、今年も三頭が誕生した。
 同じく地域に固有のツシマシカなどでも、当園は繁殖賞を得ている。

 大雨の予報の日とて、来園者は多くない。カメラを抱えた一団がいたが、ツキノワグマが身体中をかきむしっているところに居合わせたのは私だけだったから、その連続写真は独自のスクープと自負している。


 昭和天皇即位の御大典を記念して計画、五年後に開園したのが、御大典記念福岡市動植物園。現動物園の前身である施設は、戦局の悪化により昭和十九年六月六日に閉園、翌日大型動物を処分した。

 現在の福岡市動物園は、戦後八年目に開園し、半世紀余の歴史を刻む。老朽化は否めず、様々な再建計画があったが、大規模移転は見送ってこの地での再生プランが進んでいる。


 これらの歴史は、資料館の壁面展示で知ることが出来た。
 掲げられていた50周年記念誌は、関係各位に配られた非売品。手際よく纏められた園の歴史の合間に挟まれた裏話コラムが活きている。
 
 例えば、動物園に『付き物(?!)』の逃亡エピソードはかくの如く。
 今ほどの交通量のない頃には西新交差点でシマウマが御用になったこともある。コラムの筆者はペリカンで始末書を取られたと結ばれる。
 
今からでも売れそうだが、園のウェブ頁に掲げる形ででも広く公開していただければ幸いである。


 資料館にいる間に通り雨があった様子だが、殆ど濡れることなく動物園をまわり終えた。今日は植物園にまでは手が回らない。園を出て直ぐのバス停に腰を降ろすのを待つように天の水桶がひっくり返った。


前科者?・ふくおか

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止めてみよなら…




 江戸の封建社会とはいえ、歌舞伎の女は忍従するタイプばかりではない。真の勁さを持ったスーパー・ウーマンも沢山いる。

 大力の遊女お金があばれ馬の手綱を踏み止めたという伝説が、琵琶湖畔に伝わる。
 これが芝居の世界では、名産野洲晒の晒し女となり、それが木曽義仲に見染められて巴御前になったとも発展する。

 引き抜いて幾つもの役を踊ってみせる変化舞踊が流行ると、近江八景由縁の人物を構成した“閏茲姿八景(またここにすがたはっけい)”の一曲となった。
 堅田の落雁と晒し女という趣向のこの景が、今は独立した『近江のお兼』として踊られる。
 背景幕は、琵琶湖堅田の浮き御堂。
 

 さて、その琵琶湖のあちこちに外来魚が棲息する。
 ブラックバスなどが生態系を乱すと言われて久しいが、近年発見される来訪者たちはさらに物騒な危険動物と呼ばれる。
 
 彼らの現在を追うドキュメンタリーは、人口の密度の高い湖畔に外来生物の姿が集中することを指摘する。安易に飼育したペットが捨てられたのだ。 

 鰐のような口を持ち、体長三メートルにもなるアリゲーター・ガーは、ジュラ紀から生き続ける生きた化石。亜熱帯ミシシッピに住む魚だが、その適応力は、日本での越冬を可能にした。

 カメラは巨大魚ピラルクを飼っている方のお宅を映し出す。住まいの一階部分をすっかり水槽にして、掃除にはご長男が水着にデッキブラシで水槽に入る。これだけ設備を整えても跳ね上がる魚の尾が窓ガラスを割ってしまう事には対策をたてかねているご様子。
 “ピラルクを一匹飼うには、子供をひとり育てるくらいのお金と手間と覚悟がいる”


 琵琶湖でも見つかるワニガメは、先日上野不忍池での産卵が確認されたが、同属のカミツキガメは二十年以前から佐倉印旛沼での繁殖定着が確認されている。
 
 野に放たれた暴れ者たちは、荒馬よりずっと始末に悪そうだ。




 近江に女性知事が誕生した。
 新幹線新駅、ダム建設の開発の見直しを求め、琵琶湖環境への配慮を希求する新知事のキャッチフレーズは世界語になりつつある言葉。
 開発の無駄遣いへの指弾だけでなく、せっかくある環境を活かさないことへの愛惜をも含んだ“もったいない”。

 
 環境社会学教授が立候補に踏み切ったのは、文章でどれだけ訴えても世の中が変らないからだという。
水槽狭しと機敏に動くワニガメ、80センチを越す・平川動物園

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檻のそと



 熊本駅前から大荷物を抱えたまま市電に乗ったときには滝のような雨だったが、動植物園前駅に降りたときには晴れ間。ここからさらに十分ほど歩くと動物園ゾーンの入口。123種1069頭匹が暮らす。
 ここでも新しき生命の季節、冠鶴と大鶴が並んで擁卵している。 

 
 本来有料の動物資料館は展示替え中で無料。元園長らが企画を持ち寄って活発に展示活動をしているらしい。常設展にも、ゾウの牙や大腿骨を持ち上げて実感できるコーナーなどの工夫が見られる。
資料館の前にある囲いには、3~40匹のアカミミガメ。家庭で養われたミドリガメの末だろうか。

 熊本市は中国桂林やテキサス・サンアントニオなどと姉妹都市。
 園内にも、アメリカ開拓時代の家を移設したキャビンと中国水上庭園とが隣り合う。連日の雨で増水した池の中州はすっかり水没している。ここからは植物ゾーン。
 植物園定番の温室も花畑も勿論あるが、十種余りの生垣を展示してその効用を示した一角が興味深かった。

 
 園に面した江津湖は阿蘇山由来の湧水湖。市内のあちこちに湧水のある熊本では水不足はないと言う。
 園内をアカネや糸トンボ、お歯黒トンボが乱れ飛ぶこの環境は得難い。



 ここはまた、中国の珍獣、シフゾウ(四不像スーフーシャン)が見られる数少ない動物園の一つ。鹿と馬と驢馬と牛の特徴を持つがそのどれでもないというのが、命名の由来だが、鹿の仲間に分類される。決して鵺のような化け物ではない。
 野生のものも動物園のシフゾウも死に絶えた後、英国の大地主の庭に放たれていた50頭ほどの群れから繁殖、野性にも戻された。が、現在でも絶滅危惧種であることにかわりはない。

 1900年に野生のシフゾウが姿を消したのは、義和団事変の戦乱の為だったと言う。どこかの動物園の“ヒト”の檻にかかっていた「もっとも危険な動物」と言う肩書きは伊達ではない。
 
 爬虫類館にワニは今不在。その留守宅には、ワニガメとカミツキガメとが住む。


西安からの使者、金絲猴キンシコウ・熊本

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足を伸ばして…



 昼食を買いに出たスーパーの向うに、“動物園まで500m”の標識が目に飛び込んできては、足は頭のいうことを聞きっこない。

 大牟田市民の憩いの場、延命公園内にある動物園は10月に創立65周年を迎える。新装オープンからでも14年。現在、住人は100種600頭匹。
 
 ゲートをくぐってすぐ左はリスザルの王国。鳥のゲージに入れる施設は多いが、リスザルのは初見。カメラ持参で動物園を歩く身には檻に隔てられずに動物にまみえることが出来るのはありがたい。とはいえ、その気で出たわけではないからカメラは不携帯。

 「触ってもいいんですか」と、子供連れの母親が尋ねる。なるほど、作業着に雪駄履き、関係者と見る方が普通だ。


 20分くらいしかいられないから、フランソアルトンと表札の出た檻の前で黒っぽい猿と話をしている飼育係さんに見所を聞くと、モモイロペリカンのペリーは42歳の最年長、隣の檻のマントヒヒもなかなかの長寿だという。
 「向うの熊に三時半から餌をやりますが」「二時半開演だから仕事中ですね」 

 ペリーのいるバードケージに入ると、茶色の孔雀が貧弱な尾羽根をしきりに広げている。メスの孔雀もこういう仕草をするのか、あるいは幼いオスか。カメラに収めておきたい絵には事欠かないが、たまにはこんな訪問も一興。

 当園の目玉ホワイトタイガーは体調を崩して姿を見せなかったが、間もなくお誕生のメスライオンが代わりを務める。
 腕時計もしていないから気がせいて入り口へと引き返す。ライオンの向うに橋を隔てたゾウ、キリン、レッサーパンダは見損ねてしまった。

 「小さい動物園ですけど、動物の個性は豊かですね」
 
 この動物園もこの四月から指定管理者制度のもとに入った由。 
 予算的にも大変なのだろうけれど、この辺りの子供にとってはかけがえのない動物園、簡易食堂の食券みたいな入場券でなく、楽しい想い出の宿る半券を作って頂けないものだろうか。
白孔雀・熊本

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おっ立て



 外から役者の世界に入ると、新規に覚えなければならないことが津波のように押し寄せた。
 紐の結び方もその一つ。舞台を仕込むにも、荷造りをするにも様々な結び方が必要になる。

 物を縛るばかりではない。着物を着るとは、取りも直さず、沢山の紐を結ぶこと。
 角帯の貝の口、一文字、袴の紐や三尺を結ぶハコ結び、辺りがとりあえず必要になる。
 
 トラックの荷物を固定するナンキン結びや、舞台のバトンに雪籠や振り竹を結ぶテッカン結びも、新入生の必須科目。その他“世の中にこれほど結び方があったか”と驚くほど複雑な方法には事欠かないが、一番使うのは矢張り基本の蝶結び。子供でも知っている結び方だが、簡単なものほど難しい。

 「‘おっ立て’だよ」と結んだものを指摘されても最初は意味が分らなかった。
 雌紐をくぐって上に出た雄紐を、そのまま上から輪にした雌紐にかぶせて結べば、普通の蝶結び。雄紐を下にもっていって被せれば蝶の羽根が紐と垂直になる‘おっ立て結び’。 

 何かの拍子に靴の紐などが立て結びになってしまって直らない経験はあったが、無意識に反対側に回していたわけである。観察力がなかったと言えばそれまで。蝶結びに二種類あるなどと思ってもみなかった。

 手甲脚絆の紐や太刀を結んだ紐をおっ立てに結んでいたら不恰好。だが、このおっ立て、駄目な結び方というわけではない。おっ立てにはおっ立ての役割がある。

 舞台は、その日その日の花。公演が済めば片付けて次の公演地に飛ぶ。

 建築関係の方が舞台の家を見て「こんなんじゃすぐ壊れちゃう」と言ったが、芝居のうちに一生住む訳ではない。必要以上に頑丈に作ったら、バラすことを考えろと怒られるのが舞台の建物であり、幕である。

 舞台の背景は、ドロップと呼ばれる幕に描かれる。ドロップには乳(チィ)と呼ばれる紐が付いていて、舞台上空のバトン―鉄棒―にそれを結ぶ。
 この時は片方だけの花結び“カタハナ”に結ぶ。結ぶにも解くにも手間がかからない。
 一方、付け外しをほとんどしない吊りっ放しの会館の黒幕などは、両花、それも結びの羽根がバトンと平行になるおっ立てに結ぶ。

 屋台の土台は蝶番で繋げたり、ボルトを使ったりするが、これも今回っている『佐倉義民伝』では紐で蝶結びにしている。

 一夜の花のあちこちにいろいろな蝶が飛ぶ。
襦袢の襟を合わせる胸紐もおっ立てにする

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