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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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命名

 

 アシカ舎の岩の上には、三日前に生を受けた仔が母親の隣に寝ている。
 フサオマキザルの小僧は、母の背中の上から、父っちゃん坊やのような大きな顔で愛嬌を振り撒く。
 タンチョウのヒナは、身体に似合わぬ長い足を持て余しているようだ。 

 風太とチィチィとの間の双子は本日が生後18日目。定点カメラから編集した彼らの映像が動物科学館で見られる。
 レッサーパンダの血統登録を担当しているあの日本平からブリーディング・ローンー繁殖のための動物の貸し借りーで千葉に来ているのが風太。長野茶臼山からの雌と結ばれて、今月目出度く二世誕生と相成った。


 千葉駅からモノレールで12分の千葉市動物公園は、’85年開園だから今年21周年。144種727頭匹の住人が住む。

 ゲートをくぐって賑やかな声に導かれるように左に進むと、ループ状の鉄棒を巧みに渡るフクロテナガザルが迎えてくれる。水路に囲まれただけで外界と隔てる壁のない陽だまりは開放感に満ちている。
 声の主は彼らと、集団で吼えていたワオキツネザル。ここは猿舎が並ぶモンキー・ゾーン。市民の要望で生まれた若い動物園は、家畜の原種ゾーン、草原ゾーンなど7つのブロックからなる。
 


 どこの動物園でも市民参加型の試みはいろいろとなされているようだが、動物名募集は古典的参加方法の一つ。
 ここ千葉でも、檻の主の表札の横に命名者が掲げられていたりする。

 どうしても命名パターンが出来てしまうようで、動物園のある地名や動物名の一部を入れるのがスタンダード。地域で親しまれた名には“襲名”もある。
 ピュータ、ピューコなどと一家がある秩序をもった名前で統一されているのは、また微笑ましいが、マンネリのものも出てくる。同姓同名カバのザブコには、あちこちでお目にかかったような気がする。

 一方で笑いを誘う個性派命名もある。オタリア(オットセイの仲間)の“オタ”は、いまどきオタクを連想するし、ツキノワグマのダイスケ・ハナコは、二頭の夫婦関係を想像してしまう。こういう名は忘れない。
 

 熊本市動植物園の雄カバは、五月三日生まれで、ケンポウくんという。
 長寿を祈りたい。

 
釣れた釣れた・千葉

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・・・いずれ姉やら妹やら



 何れがアヤメ、杜若・・・

 俚諺に言うごとく、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブは紛らわしい。
何れも初夏のものだが、開花時期は半月ほどずつずれて上の表記順となる。

 植物学的には、みな同じアヤメ科。グラジオラス、クロッカスと科を共にする。アヤメもわかぬとは、真の闇に物の区別もつかないたとえだが、まことこの三種区別がつきにくい。


 六月の半ば、平泉毛越寺(もうつうじ)浄土庭園の花菖蒲園は、まだ気の早い花が咲き初めたばかりだったが、ここの案内板で彼らの区分がついた。
 一つは葉脈の違い。葉脈がみえないのがアヤメ、葉の真ん中に主脈と呼ばれるひときわ太い葉脈が通るのがカキツバタ、葉脈はみえるが主脈がないのがハナショウブ。
 生息地については、『伊勢物語』八つ橋の項に登場するごとく、カキツバタは水中から生えるもの。アヤメはやや乾地を好み、ハナショウブはいささか湿地好き、となる。 
 花についても一応特徴が記してあったが、これを見分けるのは私には難しそうである。


 因みにあやめとしょうぶを変換すると、共に“菖蒲”となる。古典でアヤメといえばサトイモ科のショウブ。目立った花はない。
 ショウブは尚武と音通し、また葉が剣に似るところから、武をたっとぶ草として端午の節句に欠かせないものとなった。

 剣道具の袋にちりばめられている文様を菖蒲革(ショウブカ)という。
 十字架の両側に外になびく葉が三本ずつ点いた単純なもの。これが、武具の付属品や、歌舞伎衣裳で言えば郎党奴の袴などにも見られる。
 この一族の真正面をきった立ち姿は、武人に通ずるりりしさも持っている。


 花札は一月から松、梅、桜、藤、アヤメ…。
 が、八つ橋が描かれると、これはどう見ても水中から生えるカキツバタ。試みに手元のゲームの絵札を見ると葉の中央にしっかりと主脈が描かれている。
 
 絵師の目は綾目を分かっていたようだ。


なるほど水中から生えている・盛岡中津川上の橋のカキツバタ群生地


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 今日偶々の天候か、それとも土地柄なのか、池を渡る風が激しく樹々に吹き付ける。
 松本零士の作品に出てくる歩く木のように、彼らも踏み出さんばかりに狂おしく身を揉む。

 奥州平泉、毛越寺わきの観自在王院の阿弥陀堂は失われ、再現された舞鶴が池に風が吹くばかり。

 義経と運命を共にした百年の都は、先だって世界遺産暫定リストに記された。
 奥州藤原氏四代が築いた黄金の都市。マルコ・ポーロのジパング伝説も、平泉のこと。
 前九年、後三年、二つの戦の世を受けて、現世浄土の祈りを込めて計画された都市だったという。


 天台宗中尊寺に名高い金色堂は、鎌倉時代以来鞘堂に収められて野天にその姿を見せることはない。四十年近く前に行われた大修復以降はコンクリート製の鞘堂が建てられ、以前の鞘堂はそれ自体が文化財として移築保存されている。

 大修復の苦労を、讃衡蔵(宝物館)のヴィデオで見られるが、剥落した夜光貝の破片をも一つ一つ照合していく気の遠くなるような作業をはじめ、それぞれの工程が既にひとつのドラマである。この金色堂の基底部分に藤原四代の遺体が眠る。
 四代泰衡の首桶から発見された蓮の実は、故大賀博士のもとに預けられていたが、永島時子さんというお弟子さんの手で眠りから覚め花を咲かせた。


 平泉一帯は、世界遺産暫定リストに記載されている。
 四日前に閉幕した国際専門家会議は、自然と融合し、浄土思想を基調とした平和都市であることに世界遺産登録の意義を見出している。


 “更にあらたな正しい時代をつくれ”
 “宙宇はたえずわれらによって変化する”

 賢治先生はそう歌っていた

 “ああ諸君はいま この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る この透明な風を感じないのか”
毛越寺

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賢治先生の家




 花巻の名は、花巻城内に多く植えられた桜が渦を巻いて北上川に散り掛かる景色に発するという。
 城は現在、城門、時鐘の他幾つかの構築物を残すばかり。門をくぐると、夏草の遠近に櫓跡の木札がたつ。池のほとりに歌碑がひとつ。

 わがこころ 豊かなる日は ひとひらの雲さへ花のごとく匂える

 49年前、還暦を迎えずに鬼籍に入った関登久也という詠み人は、賢治の親戚。生前の賢治のエピソードを伝え、その作品を研究する著作もあるという。歌の心が床しい。



 池の向うの広場にあがると小学生が球技をしている。
 花巻小学校の、ここは校庭なのだろうか公共の広場なのだろうか。昨今のご時勢では、うっかり校域内に入ってしまったら不審者扱いされまいか、と当方は梨下瓜田に自粛金縛りの状態。が、先方はそんなことに頓着する様子はない。

 

 ともあれ花巻駅前からあちこちブラブラ歩いてここまで一時間半。この調子では埒が明きそうにない。略地図の端にみつけた貸し自転車の案内たよりに駅に戻る。これを手に入れれば、虎に翼をつけて野に放ったようなもの。
 
 賢治の生家からグイグイと飛ばして、北上川を渡る。中洲の真ん中を赤い花の色がつんざいている。行けども行けども田圃。道を間違えたかと思った頃、賢治記念館の一帯に着いた。


 いい時間になったが、ここまで来たからには、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)は見ておきたい。
が、これまた行けども行けども着かないばかりか、案内板も見当たらない。

 

 なにやら草叢を捜索中の地元消防団さんに聞くと花巻農業高校の中にあることが分かった。
 はて、そんなところに入っていいものかしら。校門から出てくる生徒さんに聞いてみるが、やはり“ラスチジンキョウカイ”という言葉が通じない。
 こちとら国文出身の上、演劇界にはこの協会から名をとった“地人会”があるから馴染みが深いが、地元でも知られた名ではないらしい。

 言葉を添えるうち、「賢治先生の家ならこの中です」「そこから入れますよ」という土地訛りの返事に、戸惑いつつも咎められることなく校内の賢治旧宅に会えた。


 賢治生誕に十年遅れて今年百周年の当校は、賢治が一時教鞭をとったところ。高校の一般公開も試みられているらしい。


 母方の祖父の隠居所だった住まいに移り、“農民”のための協会を開いた賢治の試みはボンボンの道楽とも当の“農民”たちに映ったことも事実らしい。
 井上ひさし『イーハトーボの劇列車』では、父親役と兼ねる尾行刑事への、エスペラント語授業の場面がその矛盾を愛情こめて指弾する。
 羅須地人協会は、北上川のほとりからこの地の農家に移譲され、その後花巻農業高校がここに移転してきた。


 傷ましい事件に“近所の人にも気をつけろ”と教えなければいけないのか、という戸惑いの言葉もあった。
 学校空間が何の心配もなくおおらかに共有できたらそれが一番いいのだろうけれど。

 高校の向かいは花巻空港、当然ながら金網には立ち入り禁止の文字。
百年

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花嫁到着

 

 盛岡市制100周年記念に作られた盛岡市動物公園は、1989年生まれだからまだティーン・エイジャー。


 盛岡市と秋田市の緯度はほぼ同じだから、共に本州最北の両翼を担う動物園。三月半の間は冬ごもりとなる。

 市街から20分だが標高340mの岩山の中、杉木立に囲まれた立地。


 エントランス正面は猿山。
 順路に沿ってアヤメ咲くプロムナードを行くと、日本生態園。トウホクノウサギ、キュウシュウノウサギをはじめ、貂、鹿、狐、狸、月輪熊、猪ら、日本発の獣たちが迎えてくれる。

 小高い順路は、そこから姉妹都市ビクトリア(カナダ)との交換動物コーナーを経てアフリカ園から鳥類ゾーンへと続くが、順路の大通りから脇に入ると、木漏れ日とせせらぎに彩られた小路が四通八達、各コーナーを結ぶ。

 この辺りが地の利を得た動物園の強み。季節が変れば、また違った趣を見せてくれるのだろう。

 地形を生かした木立のなかの散策路には、カエル池もある。ヤマアカガエルやトウホクサンショウウオが産卵に訪れるという池は小さなおたまじゃくしに占拠されている。

 ピューマの母は岩戸の中で子育て中、ライオンの仔は母と一緒にお昼寝中を見られるようになっている。この季節動物園はベビー・ラッシュ。 

 負けじと『たろうの花嫁』というポスターがあちこちに見えるが、多摩動物園からの花嫁マオの輿入れは一月ほど遅れていた。アフリカゾウの新妻は、翌日到着したらしいが、新しい環境に馴染むのを待ってお披露目は一月後からの予定。

 象舎に張り出された全国の象分布図(2003年現在)によると、アジアゾウが36園66(♂12♀54)頭、アフリカゾウは26園61(♂12♀49)頭が日本に住んでいる。
 オスメスのバランスの偏りは、象牙目的の乱獲による現状をも反映しているようだ。

 お目出度の報を待ちたい。


鞘当て?・盛岡

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ありがとう


 午前中に一本だけの路線バスは、県庁前を8時23分。
 杉木立の中、九十九折の山道を越えて20分ほどで動物園前停留所に降りた。開園は9時半。こんな時間にここにホッポリ出されてもちょっと困る。

 街を離れ山間部に立地する動物園の趣は格別だが、いかんせん足が良くない。公共のバスは何時間に一本というのが普通。 
 いしかわ然り、旭山にしてもバス便はさまで便利とは言えない。もっとも今日だって終始私一人しか乗っていなかったのだから無理はないのだが。
 地理が分かってみれば、ここなら一時間も見ておけば歩けるだろうし、直通バスだけでなく近隣のバス停の情報を出してくれるとありがたい。



 バスの道すがら左手に見えた盛岡動物慰霊塔という石碑の方に山道を戻ってみた。

 四半世紀前に出来た動物霊場は、動物園とは関係なく家庭のペットたちの霊園。


 仏陀の教えは悉皆成仏。明治以前にはどの寺でも動物たちの供養を等しく行っていたと石碑は記す。
生命に貴賎はない。


 折しも、不忍池ではカミツキガメと卵が発見された。幼い姿だけを見て、巨大に成長する動物を安易に購入した飼い主が捨てたものとみられている。
 人の指くらいは噛み千切る獰猛なカミツキガメは神奈川などでも見つかり、琵琶湖でもあちこちに海外大型魚が増殖している。



 日当たりの良い斜面に墓石が並び、ヒメジオン、ハルジオン、ハナショウブが乱れ咲く。
 六年を隔てて一つの墓石に刻まれたチビとデカとは、この世でも共に過ごしたのだろうか。

 墓域を買うばかりでなく、鳥鼠兎などの合同慰霊碑の周りにペットの名を刻んだ小さな角柱を置いて墓の代わりにすることも出来るし、贈る言葉を刻むプレートのコーナーもある。


 「やすらかに」と刻んだプレートと並んで、多いメッセージは、
「ありがとう」。
いのち・花巻

なぜか主なき外来動物の舎・天王寺

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久兵衛さんの遺徳



 動物たちが近い。

 正門すぐのフタコブラクダもニホンコウノトリも開園以来の住人インドゾウも、手の届きそうなところに立っている。

 四年前にリニューアルされた猛獣館では、ライオンとスマトラトラがガラスのすぐ向うに佇み、北極熊は水槽のガラスに向かってジャンプを繰り返す。


 今回は無理かと思ったが、一時間半の訪問なら可能と踏んだ。東北南部が梅雨入りした今日、仙台駅からバスで25分の八木山動物園は降りしきる雨の中。
 意外にも動物たちは殆どが屋外獣舎で迎えてくれた。開園したばかりの園内、飼育係さんたちは獣舎の清掃に余念がない。

 ビニールの合羽に身を固めた小学生の一団と後先になりながら左回りに歩き出す。

 猿山の向うにツキノワグマの姿が見える。その隣はタヌキの住まい。猿、狸に挟まれた草原がイノシシのエリア。堀を挟んだ共同空間に国産の動物たちが集うレイアウトは、好ましい。

 
 園内の小さな山を越えると、南にはガン生態園やアフリカ園。天王寺が先鞭をつけたガラス張りのカバ舎はここにもあるが、岩と見紛う住人は目鼻だけを水面に出してドデンと朝寝を決め込んでいる。それでも幼稚園児の一群はその大きさに大騒ぎ。

 赤土の上、シロサイは哀愁を漂わせながら佇み、アフリカゾウは高木に鼻を伸ばす。ゆったり歩く二頭を眺めるうち、木々の向うにもう一頭が見え隠れに現われる。本人たちはどう思っているか知らないが、奥行きのある眺めは素人目には彼の地に居るかのような臨場感。



 このアフリカ園の場所が、かつての八木山球場。
 1934年11月全米選抜チームと全日本チームとの第四戦がここで行われ、引退を翌年に控えたベーブ・ルースが日本でのホーム・ラン第一号を放った。
 真珠湾攻撃はその七年後。野球の出来る平和を願ってベーブ・ルースの像がアフリカ園内に建っている。


 球場を造ったのは仙台の財界人、五代八木久兵衛。
 福祉意識の高かった翁は、昭和初期に越路山一帯を開発、野球場、庭球場、遊園地をのち仙台市に寄進した。
 この土地が現在八木山動物公園になっている。

雨に跳ぶ北極熊・八木山

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のんほい



「あそこにハンモックを吊るしたい」

 オランウータン舎の前に佇んでいた女性飼育係さんがつぶやくように言う。

「それは出来るよ」

 自転車で通りかかった年配の飼育係さんが答える。はらはらと桜散る長閑な朝、開園後まもない豊橋の動物園。





 豊橋総合動植物公園は、浜松側に一駅戻ったJR二川から徒歩六分。動物園、植物園、進化の過程を辿れる自然史博物館と遊園地の四つが一堂に会した施設である。園内を専用バスが走るほど園内は広い。

 水路の向うは野鳥園。園は、21種の鳥について繁殖賞を得ている。これは、初めて園内での出産を成功させた園に贈られるもの。自然界の動物たちが危機に瀕している現在、動物園の大切な役割の一つ。


 オランウータン舎の隣は極地動物舘。住人は数種類のペンギンたちとラッコ、そして北極熊。彼らの食事タイムは一つのショー。

 
 オランウータン、極地動物館に面したカンガルー舎の檻には、引越しのご案内が掲げられ、空き家の中には一もとの桜から花びらが降りしきるばかり。カンガルーたちは間近にオープンを控えたオーストラリア館の新しい環境に体を馴らしている最中。新館の柵越しに日向ぼっこする姿が見えた。
 


 この総合公園の通り名は、‘のんほいパーク’。

 「ねえ…」という呼びかけと「…だよね」という共感、確認に用いられる豊橋言葉が、「のんほい」(もっとも名古屋の「なも」と同様、余程のお年寄りしか使わない絶滅危惧種方言であるが)。
 「のんほい」と夢を語る中から、この動物園はまだまだ変化進化を遂げていくだろう。


カバと共に今年新訂のIUCNのレッドリスト入りしたシロクマ(のんほいパーク極地動物館)

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