unputenpu

一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

共 栄



 『象のいない動物園』に登場するのは、東京・上野動物園と名古屋の東山。東山に生き残った二頭―マカニー、エルド―の話は出るが、京都にもう一頭の象が生き残っていたことは余り語られない。
 大阪天王寺動物園アジア熱帯雨林コーナー前のゾウ史年表によると、戦後すぐ死亡したという象の名は“共栄”。おそらく戦中のプロパガンダからとられたと思われる名を聞くと、戦後を生き延び得なかったことまでがこのゾウの運命の様に思われてしまう。

 その天王寺動物園では、戦後タイから送られた還暦近い春子が健在だ。当園ではゾウ糞から作られたエレファント・ダンと呼ばれる有機堆肥を毎土曜日に無料配布する。園内に栽培されるコアラ用のユーカリの木などもこの肥料で養われている。 

 象糞から紙を作る試みは、タイやスリランカで行われ、日本の動物園でも象糞紙のノートなどが売られている。売り上げはゾウの保護や熱帯雨林の保全に寄与している。
 東山ではコアラの糞から紙を作っている。使えるものは有効活用するリサイクル発想は、これからいよいよ重要になるだろう。  

 天の生理現象である雨も同じ。雨水を溜めて利用する事は、都市型洪水による水の汚染を予防するためにも重要視されている。これは日本発の運動のようだ。
 2000年七月に台北市立動物園が、世界初の雨水利用動物園となった。その輪が広がりつつある。
 いしかわ動物園は、オランウータンの空中散歩道に面して雨水の溜まった池を有する。浄化処理された中水(上水と下水の中間に位置づけられる再利用水)は、清掃、散水等に使われている。東山の故・重吉と並び国内最年長河馬の記録を更新しつつあるデカ婆さんも雨水を利用したプールに憩っている。
 象やキリンの住まいを過ぎると動物の顔にデザインされた赤十字の看板が見える。傷ついて保護された鳥獣を癒して自然に返す動物リハビリセンターだ。

 昨夏、東山動物園の樹木への殺虫剤散布が問題になった。同じ名古屋の万博会場など、化学物質過敏症というアレルギーを持つ人たちへの配慮が先に立ってはいるが、‘原則として’農薬散布をしない方針も広がりつつある。
 そのためには来園する我々にも、毛虫を見て大騒ぎしない覚悟くらいは取り敢えず必要だろう。ペテンやマヤカシでない、共に栄える世界のためには。

交通事故の犠牲者

スポンサーサイト
このページのトップへ

 と と と と と と の文字が出ない

 
 中学に入って学科ごとに違う教師に習うことになった。わが104の担任は音楽担当。
 その年の合唱大会の曲目は、『OH WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN聖者が町にやってきた』。これは多分に担任の意向が入っていたと記憶する。
 横文字を習い始めたばかりの一年生が片仮名頼りに一くさりは英語で歌った。聴く人が聴けばこの局を選んだというだけでも上位に行く、と音楽教師が語ったのはこのときだったか、翌年別のクラスで『流浪の民』をやった時だったか。

 この時のプログラムを見ると、十クラスのうち三クラスが同じ『ぼくのクラリネット』だったのは、合唱曲としてポピュラーなものだったのだろうか。
 『クラリネットをこわしちゃった』『クラリネット壊れちゃった』と呼ばれることもある原曲はフランス民謡。石井好子女史による訳詞でNHK「みんなの歌」に登場したのは1963年だと言う。
 歌が進むにつれて出ない音は増えて行き、とど、ドとレとミとファとソとラとシとが出ないことになる。子供心に「何だ、それじゃ全く吹けないじゃないか」と思ったものだ。


 さて、パソコンのキーボードに不具合が生じた。 
 マシンのトラブルに備えて、キーボードからのコマンドなどの代替手段の習得は心がけていたのだが、そのキーボードの幾つかが応えなくなってしまったのである。
 片肺飛行のタイピングでは、言葉の言い換え、読み替えに頭はフル活動。
Uが打てないから、ブンもフミも駄目、アヤという読みを思い出して“文”を出す。カズもスウも駄目で、思いついた言葉はアマタ(数多)。
 少し前に駄目になった1と3は平仮名かナムロックキーで打てるが、9はナムロックでも同じキー、Uが無効ではKYUもKUも駄目。となると残された手は“=8+1”。“)”は“括弧”と打って変換する。 他にも促音を使うなど、さまざまな方法を試みたが、どうにもならない時はカットアンドペーストという原始的な手が苦肉の策。何のことはないふた昔余り前の切り張り脅迫状と同じ手法だと気がついて、吹き出した。 

 手間のかかることおびただしいが、打てないキーも、工夫次第でそこそこどうにかなる。
 人間の部品も、二十歳前後から概ね下り坂だという。多かれ少なかれ、いずれ使えない機能が出てくる。足りないキーを補いながら生きる稽古をしておくのも悪くなかろう。
クラリネット

このページのトップへ

ゴールデン・シート



 役者がさまざまな係を分担することで、芝居の巡演は成り立っている。
 入座まもなくから数年間勤めたのが、『生活係』。楽屋の憩いの場―“お茶場”の用意をしたり、頂き物のお菓子などを並べたり。最近では演劇鑑賞会さんがご用意下さった小屋食(コヤショク・地域によって“お通し”とも呼ぶ)のカンリもその仕事。おむすびなどは数を数えて「ひとり二個」などと頭割りの目安を掲示する。

 仕込み時間の短いとき、二回公演の昼夜(チュウヤ-昼の部と夜の部とのあいだ)に出前を取るのも生活係。まだコンビニエンス・ストアは普及していなかった。
 お茶場の整備は、もう一人の生活係である先輩女優さんが搬入中に済ませているから、私の分担は出前関係。
 照明さんたちがやっと手の空く時間は、役者が顔を始める時間と重なる。出前の届くのが遅れたり数の間違いなどがあったりすると、てんてこ舞いすることになる。

 で、搬入後の休憩中に小屋(公会堂でも文化会館でも、芝居を打つ場所をみなこう呼ぶ)の周囲を散策して《会館周辺お食事処MAP》を作成、それを掲示板に張るのが日課になった。それから出前の注文を取りにいくと、出前の件数は減る。
 
 「この地図とっといて本にしろよ。それで、『ここに時代の流れを見る』、なぁんて言うんだよ」芳三郎先輩がそう言って笑った。


 全国を回っていても申し分のない小屋はそうそうあるものではない。大道具さんも照明さんもそれを手伝う若手の役者も、悪条件の中、時間との闘いで仕込みをした。
 使い勝手より見た目の斬新さしか考えない設計者もいる。古い小屋は我慢するものの、新しくできた小屋がそれだと怒りさえ憶える。


 私が広島市民劇場にいた頃の例会場は平和公園の中、原爆資料館の左にあった広島市公会堂。
 二階の舞台から小さなリフトで降ろした荷物を狭い楽屋廊下を通って運び出す公会堂は、今にして思うと条件の悪い小屋。狭い階段を役者さんと二人で大スピーカーを降ろしたこともある。でも、私にとっては、今も忘れられない芝居たちと出会った掛け替えのない小屋だった。

 各地の人たちにとって、どんな小屋でも、そこは掛け替えのない小屋。新しい小屋があるから、今までのものはいらないというものでもない。客席数、アクセス等、利用者にとっては他の小屋では補えない条件がある。
 老朽化する小屋の維持は大変な仕事。改修の予算がないという理由で、小屋がつぶれていこうとしている。旭川の公会堂を守る運動が始まったが、他にも同じ問題を抱える地域が増えている。
 
 舞台は生きる力をくれる場所でもある。
 加藤健一事務所は、阪神の震災後、逸早く神戸オリエンタル劇場で無料公演を催した。その劇団が今関西公演を諦めて出張所をたたんでしまったのは、三都の核となる大阪の拠点劇場が閉館してしまったためだという。

 会館周辺は便利になり、出前を取る機会はめっきり減った。しかし、時代の流れは小屋の周りより小屋そのものにより激しく押し寄せているようだ。

このページのトップへ

続 猩々の惑星



 雨の浜松市動物園、屋内舎に時を託つ森の人は、飼育係が投げ入れた一本の枝の葉をきれいに食べてしまい、残った枝をくわえると獣舎を閉ざしたガラスのパテを延々と掘り続けた。大脱走を企てていたわけでもあるまいが、そのシルウェットは可笑しく哀しくそして神聖。
 
1961年5月29日産まれの初子(はつこ)が、その名の通り日本初の動物園産オランウータン。翌々年の『アサヒグラフ』は一年間彼女らの写真で表紙を飾り、取材記事を連載した。

 現在、日本の動物園に生きるオランウータンは、十五施設に三十頭余り。
 本来の生態である空中散歩を見せる試みも、いしかわ、旭山、多摩で行われている。中でも多摩動物園の空中散歩道終点は、ささやかながら森と草はらを設えた飛び地。ここでの生態の観察が期待される。



 オランウータンの名は、マレー語で森の人の意。その和名である猩々(しょうじょう)は、中国伝来の架空動物から来ている。能舞台に赤い長毛の鬘をかぶって登場する猩々は、酒を好む仙獣。 
 浮世を離れた哲人のごとき風貌はそのままだが、現代の猩々は仙境に遊ぶわけにいかない。各園のオランウータンに共通する麻袋を被るクセは、敵に備えて身を隠すようにも見える。

 残された化石によれば、オランウータンの世界は今よりずっと広かった。

 森の人の存在を世界に知らしめたのは、1869年にラッセル・ウォーレルが出版した『マレー群島』。
 人類の進化の重要な鍵と紹介された彼らを襲ったのは、“集団虐殺に等しい”標本採取。

 現在も、ペットとしての密猟や森林破壊など、最も新手のサルの仕業が彼らを追い詰めている。 

豊橋のウーコとウラン

このページのトップへ

大江戸零地点



 父御と母御と ごとごとと 一石橋で待てばよい

 本来は“ごととごと”。父ゴと母ゴとを受けて、五斗と五斗とで一石とリズム良く洒落る、わらべ歌だそうだ。橋の命名由来も両岸に“後藤”家が建っていたからという。『子連れ狼』の主題歌に使われた冒頭の歌詞では、主人公が押す箱車の音を響かせている。


 一石橋は日本橋川に架かる橋で、迷子掲示板が建っていた。石柱の左右に窪みを設え、左側には捜している子供の情報、右には保護された迷子の特徴を貼るようになっている。世界に冠たる百万都市江戸である。日々の迷子も数多あったろう。
 現物は今も現地に建つらしいが、五、六年前江戸東京博物館でレプリカを見て子供のころ聞いた歌の意味が初めて分った。


 
 この江戸東京博物館を入ると先ず渡るのが、日本橋。江戸時代の木橋を半分だけ再現したものだ。
 家康が入府して大規模な埋め立て工事を行った中で生まれたのが、神田川から分かれて隅田川に注ぐ現在の日本橋川。日本橋は江戸開府の1603年架橋と伝えられる。明治に架けられた石橋はそれから数えて十九代目、国の重要文化財にも指定されて、この三日95歳の誕生日を迎えた。

 五街道の起点、江戸の玄関口として名付けられた日本橋は、現在でも全国の道路の起点、日本国道路元標を有している。
 このランドマークが、川ごと高速道路に覆われたのは、東京オリンピックの年。用地取得の必要ない川の上空を使うという効率的な選択だった。
 
 以来42年、日本橋には空がない。

 地元を中心とした四十余年の移設要望が、首都高速の老朽化が進む今、俄かに具体性を帯びた。現首相が残り少ない在任中の展開を求めて声を上げた。一方、五輪再誘致を狙う都知事は、別の場所に日本橋を作って外国人にはこれが日本橋だといえばいい、と冷ややか。

 首都高の橋脚が魚の棲まないドブ川を生んだ。

 主に四つある移設案だが、かかる費用は3000~5500億ともその倍とも言われる。財政難の中だが、こればかりはライオン宰相の肩を持ちたい。

迷子標

日本橋

このページのトップへ

Search

Information

JAMIRA

Calendar

03月 « 2006年04月 » 05月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。