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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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猩々の惑星



 一時流行った韓流TVドラマは、大抵吹き替えだった。声を当てている方達には申し訳ないが、韓国映画は観ながらも、TVドラマに嵌らなかった理由の一つは、その吹き替えが嘘っぽく見えてしまったことだった。


 嘗ては二ヶ国語放送すらなく、TVで楽しんだ海外作品はみな吹き替え。『コロンボ』の小池朝雄氏など、本人の声よりも本人らしいと思わせる吹き替えが多々あった。

 『猿の惑星』もその一つ、自分のことを「オイラ」と言う中村メイコ女史のジイラ博士が印象的だった。ところが女史がジイラを演じたのは、たった一回だという。
 猿の惑星第一作の吹き替えは、実は三つあるらしい。続篇とTV局を更えての本編でジイラ博士を演じたのは、『ヤマト』のスターシアでも有名なテアトル・エコー女優故平井道子女史。
 メイコ女史と共に夫コーネリアス博士を演じたのは近石真介氏と思っていたのだが、それはTV局を変えてからのことで、初代コーネリアスは故山田康夫氏。とすると私が思い込んでいたチンパンジー夫婦の組み合わせは存在しない。  


 ジイラたち科学者はチンパンジー、ゴリラは軍人、‘猿の惑星’の真実を隠蔽しようとする政治家ザイウス議長がオランウータンだった。議長の声を当てているのは、初放送では熊倉一雄氏、次の局では大塚周夫氏。
 政治家ザイウス議長は喰えない男だが、なかなかいい味だった。その影響でもあるまいが、幾つかの動物園に通う中、オランウータンはお気に入りのひとりになった。


 嘗ての分類では“ヒト上科オランウータン科”に三種の類人猿は総て含まれていたというが、現在では軍人と科学者はヒト科に移行して、人と別れた時期が早い政治家が自分の科に残されてしまった(彼をもヒト科に分類する説もあり、類人猿学界は百家騒鳴)。
 森の人と呼ばれるオランウータンの生態は、類人猿の中でもズバ抜けて謎に包まれている。個人で生きているものか緩やかな群れを成しているのか、まだまだ森の人は判らない。ヒトと早く枝分かれして別の道を辿った彼等はもしかしたらヒトたちを越えた存在なのかもしれない。


森の人の住むボルネオにはこんな言い伝えがあるという。

彼らは実はヒトの言葉もしゃべれる。が、人語を解することが分ると人間に働かされるから黙っているのだ、と。


手

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通天閣の隣の動物園

 「動物園前」という地下鉄駅に何度降りたかわからない。が、動物園そのものには足を踏み入れたことがない。大阪での昼公演のあと駆けつけたとしても閉園時間、訪ねる機会を得なかった。

 郊外に移転する動物園が多い中、町のど真ん中にある天王寺は逆に貴重かもしれない。JR、地下鉄が隣接し、阪神高速はその支柱が敷地内に踏み込んでいる。支柱に近い大きなバードケージは意外な拾い物。檻に入ると鳥の国の中、すぐそこに電車の音が聞こえるというのに。
 巨大なケージの丸天井の上(つまり檻の外側)に、アオサギの巣が数多営まれている。
 

 ここは日本で唯一珍鳥キーウィーが見られる動物園だが、それよりも河馬舎に驚いた。
 プールの中をガラス越しに透かし見られるだけでなく、水中には魚たちがいて主の巨体や糞に群がる。絵や写真でしか見たことのない鳥や魚と共生する河馬の生活が目の前にある。

 アジアゾウの住むアジア熱帯雨林ゾーンやキリンたち草食動物のアフリカサバンナは近年完成、彼らの住む環境を再現する。他にも猛獣の館が普請中。
 岩場を巨大な鳥篭状に覆ったたった一匹の山羊舎もいずれリニューアルされるのだろう。シロクマ舎は先代が亡くなって、豚まんの“蓬莱”から贈られるゴーゴ君を待っている。
 引っ越した後の旧動物舎がそのまま観覧者の休憩所に提供される。
 創立から90年を経た園は、たゆまぬ変身を続けている。


“なんでスナドリネコやねん?”檻前のプレートもいかにも大阪。

なかなか動くところを見られないコアラが、えさの時間でもないのに木から降りて地を歩く姿に出くわした。が、ここは全面撮影禁止。携帯で一枚撮ったおばさんは、係員の注意に「あ~そうですかぁ」という白々しい返事と会心の笑みを浮かべて立ち去った。

 園を出るとそこは通天閣の下に広がる新世界。串カツ屋や居酒屋が並び、大衆演劇の小屋もある。行く手の人だかりの中は、バンと乗用車の接触事故らしく、なにやらもめていると思ったら一人がおもむろに傍らのタバコ屋の置き看板を振り上げた。
「何しとンねン早よ止めんかい」
人だかりの中から三人の警官に檄が飛ぶ。 

 “ヒト”もなかなか面白い。
通天閣

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アスラン見参



 大仏と鋳物と藤子不二雄のまち高岡で日曜の昼公演と荷積みを終えて、八時からのレイトショーに出掛けた。


 倫敦を爆撃する独逸軍機の映像から、映画『ナルニア国物語第一章』は始まる。
 空襲の恐怖を経験する子供たち、写真の父は戦死したものか。子供たちは情緒不安定なまま異世界に旅立つ。

 四兄弟が心ならずもナルニア大戦に巻き込まれる理由となるフォーン(森の精霊)のタムナス氏の父も戦争で亡くなったという設定。最初に彼に出会う次女ルーシーが戦争に行った父のことを口にしたことがタムナスの改心に影響する。

 次男エドマンドの心の陰も、戦争と父の不在が大きく影響している。エドマンドが石にされる前のタムナス氏に出会うなど細かい改変が、エドマンドの心の闘いの物語でもあることをクローズアップする。



 TVスポットや予告などで断片的な映像を観ないようにしていたので、各場面の演出を新鮮に楽しめた。
 
 改めてネット上から見てみた予告編は、善VS悪の戦いという括りに一寸引っかかる。ナルニア世界のとらえ方としては間違っていないのだろうが、現実世界の戦争にまで波及してしまわないかという点で。まして、現実の空襲をしているのは、“悪”と一刀両断しやすいナチスである。
 

 百年ぶりにナルニアに現れたサンタからのプレゼントが武器であるという悲しさ、長女スーザンの戦いへの拒否反応は、きちんと描かれる。そして、空襲から疎開してきた長男ピーターのナルニア戦における作戦第一号は、鷲豹?による“空襲”である。
 異世界の戦争にも割り切れない想いを持ちつつ見ることは、映画の贈り手も望むところだと思う。子供の観客たちは何処かに違和感を残して観てくれただろうか。



 作者と二重写しになる教授をもう少し見たかった気もするが、押えるところは抑えていたし妥当な登場時間なのだろう。映像は文句なしに素晴らしい。特撮合成は大変な手間が掛かった労作。延々流れるスタッフ名のテロップは一曲のバックミュージックでは足りない。



 館の外、現実世界はなごり雪。

東山モニュメント

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ぽっとこせ

 
 『八郎』、『龍の子太郎』を持ち出すまでもなく、蛇体変化譚は枚挙にいとまない。が、私が初めて聞いたそれは、何処を如何伝わった話なのか、子供のころ中津川の祖母から聞いたのち同じ話を聞いたことがない。

 母親が病気で寝込んでしまい、娘がご飯の支度をするようになったが、研いだお米の水を捨てるとき何粒もの米を一緒に流してしまっていた。
 
 ある朝流しに行くと、そこに真っ白な蛇がとぐろを巻いて「どうじゃッ」と睨んでいる。娘は慌てて母親の枕元に行き仔細を話すと、それはお米だから爪でちぎって食べてしまいなさいと母は教えた。言われた通りにすると蛇はきれいになくなった。娘はそれから米をこぼさないように気をつけたという。


 物語というよりは教訓的なたとえ話だが、私が小学二年の初夏に亡くなった祖母から何度も聞いたように思う。祖母の話はこの“どうじゃッ”のほかに“ポットコセ”があり、この二つで持ちきっていた。


 お使いで牡丹餅を買いに行く途中、品物を忘れないよう声に出して繰り返していたが、途中の小川を「ポットコセ」と勢いをつけて飛び越えたところ品物の名と掛け声が入れ替わって買い物が分らなくなってしまうという単純なもの。「ボタモチ、ボタモチ、ボタモチ・・ポットコセ」と入れ違ってしまうところが面白くお気に入りだったようだ。

 “ポットコセ”の方は、手塚治虫氏の伝記にも同じ話が登場する。お使いの目的と川を跳ぶ掛け声は違うが、割とポピュラーな話のようだ。


 祖母の話を聞いて育った子供が、ご飯粒を残せないのはさておき、なかなか物を捨てられないのは、“どうじゃッ”のモッタイナイ精神が染み付いたのだとすると、三つ子の魂百まで、物語の力は侮れない。
 一つのお題目に固執していると何時の間にかそれが変質しているのに気付かないことになるのかもしれないけれど。
東山の蛇

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ヒトの檻



 浜松からの移動日は再び雨。遠州鉄道に乗る前に、舘山寺温泉行きのバスに乗った。市街から40分ほど、浜名湖のほとり、温泉の手前に浜松市動物園はある。
 130種500の動物たちの住いは、隣のフラワーパークとともに舘山寺総合公園を成す。猿山の向こうにはフラワーパークの枝が茂り、猿が飛び移らぬようにかワイヤーを巡らしている。立地環境は上々である。
 

 何処の動物園も、今は獣舎の前に様々な情報を出している。固体情報に始まって習性や種が直面している問題など、ここに紹介していることもこの貴重な情報源から得たものも多い。

 アムールトラ無柵放養舎のプレートには食事の中味。馬肉5kg鶏頭20個とまでは兎も角、一日の飼料代1300円也という世話場の表示が面白い。
 コンスタントに食料が入手できるわけではない野生の状態を鑑みて、月曜は絶食日。裏の獣舎に既に用意された生肉は48時間ぶりの食事。一頭暮らしのトラは岩場をそわそわと歩き回り、十字架に掛かったような姿で裏につながるドアーに抱きつく。一月末の雨は冷たいが、どんな食べ方をするかと小一時間待ってみることにした。



 虎は、園の入口に立つ絶滅危惧種を記した看板に名を連ねる。独特の毛皮も狙われたし、近年は骨が漢方薬になるということで再び標的となっているという。八亜種のうちジャワトラ、バリトラ、カスピトラの三亜種が既に姿を消した。現在地球上に存在する5000頭は、百年前の5%にあたる。保護運動が遅れていたらこの数さえもおぼつかなかった。

 日本平動物園‘ヒトの檻’のプレートの説明書きには、“他の生き物すべてを絶滅させる力を持つ危険な動物でもある。”とあった。

 

 アジアの各地が参加した1970代のWWFオペレーション・タイガーで、印度は23の保護区を作った。この活動でインド森林産業収入は激減した。現在では地域社会の利益と虎の保護とがともに成立しなければ動物保護は長続きしないとの認識に立って、共存の道が模索されている。
  
 トラの保護より人間の福祉が先というインド国民の声に、当時の首相、インディラ・ガンジーがこたえた言葉を中川志郎氏の『珍獣図鑑』が紹介している。

 「人間は、この地球上で、ひとり生きていけるものではない。あらゆる生物が関連しあい、それの生命を守ってこそ、真の幸福がある。トラは死んでもよい、人間さえ幸福になれば、という考えは結局は、人間をも滅ぼすことにつながる―」

 
猫でない証拠に竹を描いておき

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声の劇場



 1925(大正十四)年七月十二日は、日本のラジオ本放送が始まった日である。

 午前九時よりの天気情報、十時よりの君が代、そのあと山田耕筰作曲作品の数々や謡曲などの番組の中、午後一時過ぎから坪内逍遥『桐一葉』が電波に乗った。このスタジオ再現の歌舞伎中継は、日本ラジオドラマの草分けとも言われる。
 愛宕山の放送博物館にはこの日のタイムテーブルを記したプレートがある。淀君を生涯の当たり役とした五代目中村歌右衛門を初めとする豪華メンバーが並ぶその中に、前進座創立者の一人中村翫右衛門の名がある。 


 六年後、前進座が創立のその年に初めて取上げた鶴屋南北作品は、『謎帯一寸徳兵衛』。高い評価を得て、三年後の再演には、ブルーノ・タウトを客席に迎えた。ナチスに追われた建築家は、日本滞在中に再発見した桂離宮などとともに前進座のこの公演をも著作に紹介している。

 その後三演されなかった『一寸徳兵衛』の映像を観ることは出来ないが、幸い1959年NHKラジオの歌舞伎特集第三夜に取上げられたものが残っている。南北劇団と呼ばれた前進座に南北作品のお鉢が廻ってきたらしい。
 劇団草創時の主な役者たちを黒澤映画になぞらえて“七人の侍”と呼んだ。チョウ・カン・クニ・ヨシ・ジョウ・チョウ・ハチ即ち長十郎、翫右衛門、国太郎、芳三郎、菊之丞、調右衛門、八蔵が、内訳だが、その七人の侍が揃った充実の陣容。
 的確なアナウンスで役者の動きも目の当たりにするような臨場感である。


 山川静夫さんはNHKのラジオ中継の名アナウンスを聴いてこの道を志したというが、同じく元NHKアナウンサー竹内三郎さんの“舞台中継むかし噺”という文章には、様々な中継裏話が記されている。

 ラジオ中継時代、二階東の舞台寄りがアナウンサーの席で、声の通るアナウンサーだと舞台の役者に聞こえることがあった。台詞を言うきっかけが来たがアナウンスがまだ続いているのに気付いた役者の方が終るまで台詞を待ったというエピソードを、舞台中継を担当していた先輩の話として紹介している。

 話を聞いて嘆声を漏らした竹内氏に、その先輩はこう締め括った。

 「前進座だそうですがね。フフフ」 

講談・寛政三馬術でも有名な愛宕神社出世の石段

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獅子吼



 雨もよい、大森山動物園は秋田駅から二駅、さらに二十分ほどの山のふもとにある。
 秋深く、開園前のしじまに獅子の吼える声が響く。正門前のキリンの像を見ながら待つことしばし。事故による骨折から三ヶ月、義足のケアもむなしく一歳を迎えず死んだ“たいよう”と母モモの像。

 市内の児童動物園時代の20年を引き継いで、園の中心に塩曳潟(しおひきがた)という湖水をもつ大森山に移って早や32年。北の動物園の例に違わず、冬季特別開園の日を除いて十一月末から三月下旬までは休園する。


 公演はないものの、十二時から秋田演劇鑑賞会十周年のパーティーに出席の後に福島県いわきに移動、と今日も慌しい一日。九時の開園時間を待って一時間だけ大森山を訪れる時間が出来た。
 ここには140種類ほど、700の生命が住む。秋田産の鶏三種など地元ならではの住人もいる。 


 ハーレムを造る習性に反してここのアシカは一夫一婦のようだが子供が生まれたためか、たださえ狭いプールを仕切ってオスは隔離されている。
 ペンギンはどこの動物園でも見られるフンボルトペンギン一種類だが二十羽余の群れ。ガラス一枚で透けて見える手前のプールはなかなかの見ものである。
 三大珍獣に数えられることもあるシフゾウが見られるのは日本では他に三箇所しかない。

 白と金と銀、毛並みも体格もそれぞれのシンリンオオカミ三頭はどういう関係なのか、時々唸り合い取っ組み合う。小柄な金色はフェイントを掛けると一所懸命檻に沿って追ってくる。何を考えているのだろう、どんなコミュニケーションをしているのだろう、と雨中にしばし佇む。ここは『王者の森』。食物連鎖の頂点をなすライオン、トラ、ユキヒョウらが集う。
 狼の檻の向かいには、出入り自由の檻が一つ、説明版には『ヒト』と記される。彼も王者の森の一員。


 突然ワライカワセミの一家が嘲るように笑い出し、カツカツと乾いた音はコンクリートの壁に向かって黙々と角を研ぐトナカイ。貸切りに近い動物園は不思議な空間を提供する。


 ワライカワセミ舎の床には竹を組んだ止まり木つきの食器。傍らのプレートには“夏といえば流しそうめん、流し泥鰌を作ってみました”と記されている。
 旭山の前に行ってみた札幌・円山動物園のチンパンジー舎には蟻塚があった。流石に中味はシロアリではないが、自然界での生活の再現と食っちゃ寝生活を避けるための工夫である。
 TVなどには取上げられないが地道な努力はどの動物園でも重ねられている。
 数年前に訪れた一月の京都動物園も閑散としていたが、檻の前に佇めば埋もれたスターたちがキラリと光る。 


  近年はどの動物園も年間パスポートを導入、更なる努力を重ねている。マスコミで取上げられてしまえば、芋の子を洗うような中でゆっくり見ることも許されない。

 行くなら今、今のうち。

旭山では見られないアングル

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