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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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冬のビオトープ


 旅の班中にもNHKの朝ドラを観ている人は結構いる。観始めてしまうと一回も欠かせない。同好の士が集うと「明朝出発が八時だけど、今日の宿はBS2入るかな」という会話になる。
 朝のタイム・テーブルが拘束されるのでなるべく避けている私だが、うちの代表が出ていた『天花』のあと続けて『わかば』というのを観始めてしまった。少女の頃、阪神大震災で建築家の父を亡くした主人公“わかば”が造園設計の夢に向かって伸びていく物語。

 主人公に辛く当たる庭師の先輩が、「木だって切られれば痛い、よく研いだ鋏で若く回復力のある枝を切ってやる」のだと小言をいう。
 “芝居は無筆の早学問”、何かを知ると新しく見えるものがある。そう聞いてみると、通りがかりに見掛ける日曜植木屋さんの錆びた鋏に気が行くようになった。
 
 『ビオトープ』という言葉もこのドラマが聞きはじめ。小学校にビオトープを造るのに主人公たちが協力する。
 ビオトープとは、BIO(生命)とTOPOS(場所)を合成して独逸で出来た言葉。池を中心とした街中での自然環境回復の試みというのが日本での用法の最大公約数といったところか。
 
 その後実物を目撃したのは、通りがかったマンションのエントランスと、東山動物園メダカ館の傍らに整備が進んでいたのとの二つ。これもドラマがなかったら目に入ったかどうか。



 五年ぶりに訪れた富士宮は、いつの間やら“焼そばの街”になっていた。中規模店は総て潰れて、富士宮駅裏手の巨大ショッピングセンターが町の消費を一手に引き受けるようになったのもこの間の変化。

 そのショッピングセンター敷地の隅にビオトープがある。富士の裾野のこの町はそこここに水の湧く里でもある。

 紡績工場の跡地だったここにショッピングセンターが出来る際、
もともとこの一角にあった湧水の保存を呼びかけ、1700㎡のビオトープが出来た。
 前回この地を訪れた2001年暮が、通水式から二月ほどを経てまだ草も育たぬころだったことになる。その後、田植え稲刈りや様々なワークショップも行われ湧水の里に着々とビオトープは根付いているようだ。

 一月のビオトープはひっそり静まり返っている。ここを起点に市内にビオトープのネットワークを広げ、富士宮固有の生態系を支える“緑の回廊”を作るのがまだ遠い夢だという。

 この地を訪れる楽しみがまた一つ増えた。

富士の見えるビオトープ

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お伽噺を読める年齢 OLD ENOUGH TO START READING FAIRY TALES AGAIN

  

 うっかり点けているTVからも『ナルニア』情報が入ってしまうこの頃だが、取敢えず‘ライオンと魔女と箪笥’を読み終えて、ようやくポスターを直視できるようになった。
読み終えたその足で第二作(執筆順)‘カスピアン王子’を入手した。前作から現世時間で一年後の物語だが、第二次大戦は終っているようだ。尚、これは翻訳では『カスピアン王子のつのぶえ』。

 ‘ライオンとー’の扉には、“親愛なるルーシーへ 名付け親より”と献辞が記されている。が、“女の子の成長は本が出来上がるより早いことに思い至らなかった”ルイスは、主人公と同じ名前の少女に本を手渡さなかったようだ。けれど、ファンタジーを読むには大きくなり過ぎた少女が“いつかお伽噺をもう一度手に取る年齢になったとき”に作者は望みを繋げている。
 この献辞の言葉そのものが、現世とナルニア国との異なる時間、お伽の世界の効用等々、C.S.ルイスが‘ライオンとー’に込めたもののインデックスにも見える。

 
 ソビエトとナチスに翻弄されたフィンランドの『ムーミン』が、戦中の作品では洪水に追われ、戦後第一作では地球そのものを危機に陥れる彗星に脅かされているのは今見ると興味深い。並外れてマイペースな登場人物たちがふんわりとその危機を乗り越えて日常を守る。
 大戦五年後のイギリスで産まれた‘ライオンとー’は、現実世界の空襲を逃れた子供たちが別世界の闘いに巻き込まれる中で成長する。キリスト教的な赦しや表現上のオブラートはあるものの、そこは確かに領土回復戦争と殺し合いの世界。 
 

 余計なところに目が行って純粋に楽しめなくなっているのかもしれない。けれど再び手に取ったお伽噺はなかなか面白い。

   
大森山の獅子

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小さなトロールと大きな戦争

 子供のころ、『白雪姫』も『バンビ』も『シンデレラ』もウォルト・ディズニーが作ったお話と思っていた。さほど読まれない物語をもディズニーが世界に広く知らせた功績は大きい。一方で、それを“ゆがめて”伝えた罪はあるにしても。

 ただ映画は兎も角、ナルニアがディズニーランドの商品になってしまうことには抵抗がある。朝びらき丸アドベンチャーやワードローブ探検ツァーは頂けない。
 トーベ・ヤンソン女史は、過度の商業化を避けて、ムーミンシリーズへのディズニーからのオファーを断り続けたという。


 ムーミンがTVアニメになる前に、五冊のムーミン童話が翻訳出版されているが、私がムーミン谷を知ったのはアニメーションの御蔭である。

 東京ムービーによるアニメ化は原作の世界観にそぐわず、虫プロが中途交代して二度のシリーズが制作された。
 虫プロ版にしても原作を“ゆがめて”いる罪は免れない。はじめて原作を手にしたときには、少なからず面喰い、失望した。スナフキンのキャラクターが違うことは勿論、登場人物それぞれがみな一筋縄ではいかない曲者であることに。


 フィンランドの第二次大戦は、1939年に始まる。
 ソ連侵攻と戦った冬戦争、継続戦争、ソ連排除の為に一旦密約を結んだナチスを追い出すためのラップランド戦争と、大戦の洪水に巻き込まれたフィンランドでムーミン谷の物語は産声をあげた。
 
 戦争に向かう世界と戦うマンガを描く時にトーベ・ヤンソンは、サインに怒り顔の小生物を書き添えた。戦争の中、その生き物を主人公に初めて書き下ろしたハッピーエンドのお話が、『小さなトロールと大きな洪水』。戦後、少し設定を変えて今私たちが馴染んでいるムーミン谷の物語が産まれていった。


 ムーミン=河馬説はアニメ化された当時から根強い。が、ムーミントロールが生まれたころには、現在のムーミンの首に当たるところに彼の口が描かれていた。今のムーミンの“顔”に当たる部分は鼻だったのである。巨大な鼻を持った彼はむしろウラナリのような心細げな顔をしている。 

 戦争という名の洪水に押し流されそうな時代の中では、トロールも河馬と間違われるほどふくよかにはなれなかったようだ。


泳ぐ河馬

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疎開児童の冒険

 終に“ナルニア国物語”が映像になるという。

 しかも実写のディズニー映画で…。観たいような見たくないような複雑な想いは私だけではなかろうと思う。アスランがリアルなライオンの姿で君臨するポスターを目にする度に感じるのは、期待を裏切られる怖さよりも、ナルニアが一つの映像に閉じ込められてしまうことへの恐れである。

 このところのファンタジー映画流行の先鞭をつけたのは、『ハリー・ポッター』だろうが、『指輪物語』(以前ラルフ・バクシによってアニメ映画化もされている)の実写化が後を追い、『指輪』『ナルニア』と共に三大ファンタジーと呼ばれる『ゲド戦記』もアニメ映画化される。


 第一巻『ライオンと魔女』が、映画化の第一作。ナルニア国誕生を描く『魔術師のおい』は、当時二巻目に入っていたと思うが書かれたのはお仕舞いから二冊目という(80年の岩波書店カタログを見ると執筆順になっているから私の記憶違いかもしれない)。
 地味な『馬と少年』に比べ、『カスピアン王子のつのぶえ』『朝びらき丸東の海へ』の二巻は子供には俄然面白かった。同じ時代の『銀のいす』を経て迎えるのが『さいごの戦い』。
 ナルニア国の終焉には、この国にかかわった人間たちが総て立ち会うこととなり、ナルニア建国時代の人がまだ存命であることがチリアンを仰天させることになる。キリスト教世界観に彩られたこの終幕は当時私には馴染まなかった記憶がある。


 シリーズを読んだのは、図書館の本。手許におきたいと思いつつ機会のないまま三十年。
 学生時代C.S.ルイスの別の作品をペーパーバックで買ってみたらサッパリ歯がたたなかったという苦い想い出があるのだが、どうせならと原語版を手にしてみた。大筋が分っているせいかこれが意外と判る。

 1950年に出版された“ナルニア国物語”第一作『ライオンと魔女』、英語で読んでみると、原題は“ライオンと魔女と箪笥”。
 
 衣装箪笥の扉からナルニア国に旅立つ四兄妹が、第二次大戦の空襲を避け倫敦から疎開した子供たちだったことも瀬田貞二氏の翻訳でシリーズを通読した時は、印象に残っていなかった。ルイスはそこに何らかの意味をこめたのだろうか。

川口駅前の獅子の像

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先ず南北はこれぎり



 三代目までは道化方の役者だった鶴屋南北の四世を襲った作者は、自らの死をも洒落のめした。
 
 文政十二年十一月二十八日七十五歳を一期として世を去ったが、翌春に行われた葬儀、三回忌の折にそれぞれ配られた刷り物が正本仕立て。
 
 その『寂光門松後萬歳(しでのかどまつごまんざい)』『極らくのつらね』で共に主役を勤めるのは南北自身。ことに後者では『暫』のパロディで柩の中から長々とツラネを語る。とど、“本堂の真中に居直り、がっくりと往生する”と“まづ南北はこれぎり”と口上が入って幕という寸法。これも当時の打出しの定式“まづ今日はこれぎり”のもじりと、どこまでも洒落のめし。


 杉本苑子女史の短編『鶴屋南北の死』(1977『小説宝石』八月号)では、『四谷怪談』執筆中の南北とその息で深川妓楼の主人十兵衛の身に、鰻がらみの怪異が降りかかる。南北の鰻嫌いは、長い下積みの頃鰻屋でのアルバイト時代に遭遇した怪事件からだった。

 魔性の鰻に祟られる恐怖への挑戦として怪談を書き続ける作者南北。
舞台の上で仕掛けカラクリの限りをつくし所詮怪奇は芝居の中だけと、現実の怪異を否定し去ろうとした男として南北を描いている。
 が、やがて南北は、鰻に祟られたようにこの世を去り、小説は終る。

 
 『謎帯一寸徳兵衛』(文化八年)の団七浪宅の場に、「まな板の上にて、うなぎをさいて」田楽火鉢を扇いでいる浪人ー焼いている方の名が半助(鰻の頭)だから洒落ているーたちを南北は描いている。

 鰻は、夏痩せの妙薬として万葉集にも詠まれるが、血に毒物を含むので、血抜きか加熱をしなければ食べられない。
 丸のまま焼く“蒲焼”は上方のほうが先輩で元禄時代に誕生、程なく江戸に伝播した。丸焼きから開いて調理するようになったのは十八世紀半ばというが、現在の江戸蒲焼が誕生したのは、文化の次の文政時代とする資料もある。
 ちなみに鰻丼も、幕内から生まれたたべもの。


 頭をつけたまま鉄串で焼くのが上方風、頭を取って切り分け竹串で炙ったあと蒸してから焼き上げるのが江戸蒲焼。


 鰻の開き方については、切腹を連想するので武士の町江戸では腹開きを避けたという説が罷り通っているが、どうも後からのこじつけではあるまいか。蒸す工程の入る江戸では、固い背側を開いた端に持ってきた方が身がしっかりとするという実用の方が先に思われる。


 本年はモーツアルト生誕250年。南北はそれより一つ上だが、天才作曲家が死んだ1791年にはまだ下積み時代、立作者となって全集に残る作品を記すには十三年後を待たねば成らなかった。
 この執念、南北には鰻がよく似合う。

妙行寺うなぎ供養塔・お岩様の墓も当寺。隣接する道はお岩通り

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ハテ恐ろしき執念じゃなぁ鰻

 
 
 怪談噺のキレは、魂魄この土に留まった女に祟られた男が、「ハテ恐ろしき、執念じゃなぁ」と歎いて幕というのが定式。

 多くの落語家が伝えているクスグリに、寄席の一番前に坐った子供が、先回りをして「おじさん『執念』だろう」といってしまうのがある。素知らぬ顔で「妄念じゃなぁ」と誤魔化したものの、翌日は「おじさん『執念』かい?『妄念』かい?」と両方言われてしまった。「うるせえ、残念だ」殺した方で残念てぇのはございません。円歌師匠は「この子供が今の立川談志だよ」とやっていた。

 鰻を扱った川柳は数々あるが、この決め台詞のあとに「鰻」とだけつけ加えて魔性にも似た鰻の生命力を現したのは見事。その魔力ごと胃の腑におさめれば夏バテの妙薬だが、「首が飛んでも動いてみせる」その姿は不気味な祟り神とも見える。


 このウナギを舞台に上げたのは、芝居の方の怪談の名手鶴屋南北。
 
 団七、徳兵衛、二人の侠客が活躍する上方狂言『夏祭浪花鑑』は紐育でも評判をとったが、高津神社祭礼の小鯵を焼く鉄弓-コテのような物―で徳兵衛の女房お辰が自らの顔を焼く。「こちの人の好くのはここじゃない、ここでござんす」―亭主は私の顔でなく心意気に惚れているのだ―という台詞を吐く見せ場である。

 江戸の南北が書き換えた『謎帯一寸徳兵衛』では、この場面に登場するのがアジでなくウナギ。こちらで顔に火傷するのは団七女房お梶だが、惚れたお辰に顔が似ているというだけで女房にしたお梶に団七が愛想を尽かす場面となる。 スッキリと粋な小鯵と事変わり、人の業と欲とが水面下の鰻のようにヌメヌメと蠢く。


 ちなみにこの書き換え『一寸徳兵衛』を十四年後に南北本人がさらに書き換えたのが、あの『東海道四谷怪談』。この芝居にも、鰻を鉤に引っ掛けて捕まえる“鰻掻き”の姿が登場する。

肝に注目:小道具の鰻

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飼育係担った象

 
 一時十五分から象の調教を行うとの掲示があったので、園内を一回りした後に象舎の前に戻ってみた。

 ここ日本平動物園の二頭は、共にメスの“アジアゾウ”。
 象といえば、アフリカゾウとインドゾウの二種類だと思い込んでいた。インドゾウは、セイロンゾウなど数種類に分かれるアジアゾウの一亜種という分類のようだ。戦後“象のいない動物園”上野に来たインディラはインドゾウ、今も井の頭にいる花子はタイゾウということになる。
 旭山と徳山にしかいないマルミミゾウは、アフリカに住むがアフリカゾウとは別種の象という説が近年有力となった。それに拠れば現存する象は三種類。在日の象百五十頭弱のうち八、九割がメス。アフリカゾウの子供は多く生まれているが、日本で飼育されるアジアゾウの繁殖は一昨年初めて成功したという。


 調教の前に象の運動場の掃除。赤ん坊の頭くらいある象の糞は一つ700g程度、一日に80kg~90kgを排出するという。飼育係二人が足で踏み固めながら柄付の塵取りに浚い込んでは往復する。

 給餌を兼ねた“調教”は十五分ほど。

 シャンティ(36)の耳を引いてぐるりと廻った後、両右足、両左足と上げさせて足の裏を点検、お座りお手を挟んで、象に乗った飼育係さんが手を振りながら一周し、象が上げた左膝を踏み台代りに降りてきて終了。
 見世物の為の調教ではなく健康管理点検の為に行っている由。但し、もう一頭のダンボ(推定39)はプライドが高く調教には応じないのだという。


 清水から静岡に一駅、草薙から日本平まで東海自然歩道を歩いたことがある。日本平の頂に動物園もあるつもりだったが着いてみると大分離れていたので果たさず、久能山東照宮をまわって帰った。以来六年振りの機会だった。

 当園のシンボルマークはレッサー・パンダ。全国の動物園に分布する動物の血統登録は、各園手分けして担当しているが、当園の担当がオオアリクイとレッサーパンダなのである。
シャンティ

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