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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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第二位

 東山動物園が地位を脅かされているという。
脅かしている相手は、今をときめく旭山動物園。年間入場者数第二位を奪取する勢いである。

 現在の第二位東山動植物園では、今後のあり方について、竹下恵子さんらで諮問委員会を組織したとの新聞記事が七月末に載った。
 市が主催する理科体験学習で飼育実習に参加したこともある私としても、他人事ではない。時間の取れたのを幸い、現在の東山動物園を視察に尋ねた。

 インフォメーションセンターには、かつてのスターゴリラのゴンタの遺品や、象の芸当の使った椅子なども展示される。
戦時中、軍の猛獣殺害指令に抗して二頭の象を守りえた唯一の動物園でもある。が、その東山動物園でも、処分対象の猛獣のうち終戦まで生き残ったのはこの二頭だけだった。
戦後国鉄が仕立てたゾウ列車で訪れた子供たちにマカニー、エルドの二頭が与えた励ましは計り知れない。

東山は、明治後期に出来た私立動物園、鶴舞公園に付属した市立施設を経て、昭和12年現在の地に開園。
 アシカ池の前から見上げると階段の上に悠々と歩くキリンの姿が地続きのように見えたのは子供心に不思議だった。今見ると、彼岸と此岸を隔てるのは浅い川だけ。なぜ彼らがこれを越えてこないのか改めて不思議である。
 隣接するライオン舎、シロクマ舎の深い堀を隔てた造りは、ドイツ・ハーゲンベック動物園開発の無柵式放養形式によるもの。
冠鶴や孔雀が放し飼いになった禽舎も、名古屋市民は当然として享受していたけれど、先駆的なものだったのだろう。今でもけっして古くない。
 それぞれの動物の前に有料の音声案内が設置されているのも、お馴染みだが、今思えばかなりの労力をかけたものである。
 一方、世界のメダカ館、夜行動物展示館などが新設され過去に胡坐をかいてきたわけではない。  
植物園まで足を伸ばす時間はなかったが、現在の東山動物園、なかなかいい。強いて言えば、家畜と触れ合う子供動物園が昔より淋しくなっているのは何か規制があっての結果だろうか。
 創立時の芸術的な動物舎を活かした上で新たな魅力を備えた園にならんことを。何といっても全国どこから訪れるのにもこんなに地の利を得た場所はないのだから。 
マカニーの椅子

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千代の里


 岐阜県郡上八幡を訪れた。郡上踊りと郡上一揆で有名だが、この街に足を踏み入れるのは恐らく初めて。
 『郡上一揆』は、五年前に映画化されて再び人の口に上ったが、『郡上の立ち百姓』という舞台もある。農民運動舞台化の草分け“佐倉事件”からちょうど百年後の事件である。

 訪問先を探しながら車を巡らしてもらう助手席から、銀行の脇に立った『千代の小袖預金』という幟が目に飛び込んで来た。千代の小袖といえば、山内一豊の妻が考案したと伝えられるファッションのことである。
 風情のある商店街に差し掛かると、どの店にも千代の生誕地を示す藍染の小旗が翻る。声高な宣伝ではない。歌舞伎の舞台なら茶店の入口に掲げた“お休み処”の旗ほどな奥床しさだ。
 “山内一豊の妻”は、嫁入りの際鏡台に忍ばせた十枚の黄金に貧の中でも手をつけず、一豊が馬揃えに乗る名馬購入に提供した話で知られる。
 江戸の出版物には散見されるこの話、戦前の修身教科書などで喧伝されたものか、山内家の記録にはないという。

 一豊夫人がこの地の人であったとは聞きはじめ。
図らずも山内一豊夫人顕彰会の会長さんにお目にかかる巡り会わせとなって、お聞きしたところによると、元々は近江出身説だけがあったそうだが、山内家で調べたところ、この郡上の地が浮上、現在では近江説は消え、郡上出身というのが定説になりつつあるようだ。もっとも、司馬遼太郎の『功名が辻』が成った頃には、郡上説は影も形もなく、この説が有力になった頃には作者は既にこの世にはいなかった。
 成程、氏の『街道をゆく』郡上街道篇には昭和初期に再建された郡上城に登った話は出てくるが、千代の千の字も出ない。
郡上城に登る途中の小公園に名馬を挟んだ一豊と妻の像が建つ。後の木立の間に天守閣が覗く周到なロケーション選びである。

 さて、来年の大河ドラマはこの一豊夫人が主人公。殖財ブームと同一視されねばよいが。
P7250037.jpg

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木陰BIZ

 ふだん着慣れぬスーツを真夏に着込んで炎天下を歩くのは二重の責め苦。流行に便乗してネクタイはご勘弁願ったが、それでも理に適わない馬鹿げた格好ではある。

 この暑いのに肘まである手袋をした女性を見かけるので所謂“手タレ”さんかと思っていたら、百円均一の廉価店にも『紫外線よけの手袋』が並んでいる。小麦色が健康だった時代は遠く、紫外線の害は日々喧伝されている。帽子日傘サングラス、アンチ紫外線ファッションは一つの市場である。
 が、なかなか男性がフォーマルに使えるものは現れない。背広に鍔広帽を被ったり、日傘を持つのが男子の正装とはなりそうもない。

 明治の脱亜入欧で、右へ倣えした結果が世のサラリーマンの首を絞めているというわけである。彼我の気候の違いもさることながら、想定外の温暖化やオゾン層の破壊も背広族の夏を苦しいものにしている。
 開襟シャツを推奨したときと違って、この夏ノーネクタイが普及したのは、首相のルックスの違いだけでなく、環境問題が常識化した為だろう。
 煙草の副流煙の害とても、疾うに指摘されていながら現在の状況に至るまでかなりのときを必要とした。


 目に流れ込む汗でぼやけた視界に、東南アジア風の三度笠で自転車を走らせるおじさんが通り抜けた。ちょっと異様だが、涼しげではある。 日本の風土に合うのは矢張り和風、東洋風か。さて社名を染め抜いた法被を最初に支給する会社はどこだろう。
ばて羆

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