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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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尾州毛織りの父たちー『郷土に輝く人々』

 愛知県に輝く人々は、各巻20件の115人。その中には、瀬戸物のエポック・メイカーたちや豊田自動織機の豊田佐吉をはじめとして、この地の産業を起業、中興した人々も多い。

「一宮は毛織物」。
名古屋の小学四年生が何の実感もなく呪文のように覚えたその起源にまつわる人々も、この本に記されている。
共に、小学校高学年向けの第四巻『白い光』に登場する二人は、片岡春吉(1872-1923)(『毛織りの父』)と墨宇吉(1855-1938)(『尾州織物あります』)。

一つの産業が誕生する時その仕事はさまざまな人々によって分担されるのだろうが、この本から判ることだけを記すと、
尾張は元来も綿織物の産地だったが、1891(明治24)年の濃尾大地震をきっかけに不振に陥った。当時需要が膨らみながらも輸入品に頼るしかなかった毛織物に着目した津島の片岡春吉(生まれは岐阜養老)や一宮の中野鶴次郎らがその生産に成功、尾張西部の一大産業の基礎を築いた。
毛織物産業も、織りだけでは成立しない。「艶屋」と呼ばれた生地の仕上げの仕事を背負ったのが、山内一豊と同じ木曽川町に生まれた墨であった。

小学三年生で名古屋の各区名を覚えた時には区の特徴などという付録はついていなかったとおもう。が、四年生で習った愛知県下の市の名前にはそれぞれの産業が付属していた。

白地図に産業をあらわすゴムスタンプを押す味気ない社会科学習を補う意図も、この『郷土に輝く人々』にはあったのだろう。
志を持った先覚者が刻苦勉励するが、周囲の無理解に苦しめられる例が繰り返される。『毛織りの父』の筆者は、陰口をききながらいざ成功するとその成果に群がる人々に一矢報いている。
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郷土に輝く人々

 傘を広げているのも馬鹿馬鹿しくなるような大雨。革靴の中まで雨をちゃぷちゃぷ言わせながら歩いていたら、堀尾金助生誕の地という看板にぶち当たった。
 午前中に行った木曽川町は、来年の大河ドラマ『功名が辻』主人公の連れ合い、山内一豊の出生地。織田家臣団が、竜虎相撃つ天下取り抗争を繰り広げて全国の大名に納まったわけだから、この時代の立役者達のメモリアル・スポットには犬も歩けば行き当たる。
 尤も堀尾金助は立役者とはいえない。戦で討ち死にした倅金助供養にと、流された橋を再建した彼の母が物語の主役を張る。

 1970年頃、『郷土に輝く人々』というシリーズが愛知県小中学校長会の手で編まれた。第一巻の後書きによると、十余年前に出されたものを下敷きに、3、4年生向け、5、6年生向け、各二冊、中学生向け一冊を刊行したもの。こうしたものは大抵半端にしか買っていないことが多いが、五冊総てが手元に残っているのは珍しい。

 第二巻の表題作『赤い馬』の主人公が、吉良上野介であるように、“ 輝く人々”の知名度、一般評価はさまざま。
 流石に帝国軍人は登場しないものの、土地柄三英傑たちは欠かせない。平和国家建設の途上に倒れたとされる信長はさておき、家康は人質時代の記述に終わっているし、秀吉の項は朱印船貿易で世界への門戸を開いた人として結ばれている。
 それぞれのおしまいに半ページ分の“略歴”が掲げられ、そこには本文に触れられない朝鮮出兵や赤穂事件も記されている。

 裁断橋を架け替えに力を尽くし完成を見ずに亡くなった女性は“金助の母”とばかりで名さえ伝わらない。彼女のエピソードは第一巻『紙のかぶと』の表題作となっている。
P7170111.jpg

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星に願いを


 愛知県一宮の駅前に羊を連れた少女の像がある。

 前のめりに手を伸べ憧れの瞳を持つ姿には織姫の題が添えられている。折りしも七月、対称の位置には彦星の姿もあるのだろうかと首を巡らしたが、その姿を見つける暇もなくバスは駅前を抜けた。

 それにしても織女と羊の取り合わせは見慣れない。一瞬の後、ハタと手を打った。一宮の名産は、織物は織物でも毛織物。
 バスを降りた三味廓という界隈には、のこぎり屋根の機織工場があちこちに見える。四年生の頃、「一宮は毛織物」と憶えたが、今でもこんな工場が沢山あろうとは思わなかった。

 県下の特産物を記した略地図にあった工場の姿は、確かにこのギザギザの“のこぎり屋根”だった。その記号の記憶から私にも一見これが工場とわかる。この屋根の形には理由があるそうだ。
北向きののこぎりの歯の垂直側には窓があって、作業する手許にやさしい光を採り入れる。また機織機の騒音を拡散する構造でもあるという。

 
 琴座のベガと鷲座のアルタイルの月下氷人は、三世紀ごろの中国人という。年に一度だけ夫婦が手を取り合える日なのだが、七月七日は四年に一度くらいしか晴れていないらしい。今年も沖縄以外は殆んど雨であるとか。

 江戸時代、年に一度の井戸替え(井戸の大掃除)の日であったごとく、日本の俗信では水の神を祭る日でもあったというから水入りも仕方ないのだろうか。まして新暦の七月七日は梅雨の最中。
 それではあんまりというわけか、国立天文台は2001年から、旧暦七夕の日を伝統的七夕の日として発表している。天保暦を基準としたその計算によると05年の伝統的七夕は、八月十一日。
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