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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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近大卒

 日比谷で用を済ませて文学座のアトリエに回るつもりだったが、
開演3時間前から4枚だけ出るという当日券は競争率が高く
30分ダイアルし続けて、手に入らないことが漸くわかった。

 “近畿大学水産研究所”夜の開店直後に行き罹ったらが
此方は席があったので、初めて入ってみる。
 近大で養殖された魚などを食べさせる店。


テーブルにはアエラの近大特集号も置かれて大学のPRにも効果絶大。
前理事長にはあまり好感度を感じないが、文楽大夫、スポーツ選手など多方面に人材を輩出している。

 近大が養殖に手を染めたのは1954年というから、
第五福竜丸事件や警察予備隊の創設があり『ゴジラ』『七人の侍』が封切られた年。
クロマグロの養殖に取り掛かってから人工ふ化に成功するまでは9年だが、
完全養殖に漕ぎ着けるまでには更に23年の歳月が掛かっている。

 近大卒の魚たちの刺身盛には卒業証書が添付されている。
水産資源の先行きに明るい話の少ない昨今、
誠に頼もしい卒業生たちではある。
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乙な未

十二支に動物を充てるのも、植物の一生に擬えるのも
所詮後付けと云う。
尤も後付けと云っても遥か紀元前の仕業。
 未だという字に羊が充てられた因果関係は特になさそうである。
乙未

  家畜の羊が日本で定着したのは漸く明治初期。江戸時代にも試みられたが失敗している。
が、歌舞伎狂言にはその姿を留めている。

十五年ほど前国立劇場で通し上演された他に観る機会を得ないが、
初代並木五瓶『富岡恋山開』(とみがおかこいのやまびらき)。
富岡は、世界遺産で話題の製糸場ではなく、深川の富岡八幡宮のこと。
証拠の書付を食べてしまうという場面で、見世物小屋の羊が主筋に関わって来る。
見世物は、“羊と人が相撲をとる”という趣向だったと台詞にある。
実際、そういう見世物があった物だろう。
江戸の人にとっては日常に馴染みのない事、虎や龍と大差ない。


 眠れない時、羊を数えるという習慣も西洋小説などと共に渡来した文化だろう。
子供の頃ためしても成功した記憶がない。
その理由として、羊のイメージの身近さ、発音等の違い、が指摘されている。
言われてみればムベなるかな。


 時に、学校を遠く離れても未と末との字の区別に困惑する人たちがある様子。
口の上に土、士、を乗せる吉の俗字、正字と同様程度に似通った字。
言われてみれば、何の苦労もなく使っているのが不思議でもある。
自分はどうやって憶えたのだろう。

兎もあれ、乙未の歳。32番目の干支である。
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2020年の挑戦

『2020年の挑戦』は、特撮番組『ウルトラQ』の1エピソード。
2020年の歴史を持つケムール人は、科学の力で驚異的な寿命を達成するが、その肉体は老いている。若い地球人に目をつけた彼らによる誘拐事件とその解決がメインストーリーだが、事件解決の爽快感はない。狂言回しの一寸とぼけた刑事が消えてしまうエンディングは、子供心にも複雑な後味を残す。

 団塊の世代(まだその名はなく戦後第一次ベビーブーム世代)が2020年に70代を迎えることは解っていたから、この題名は2020年の日本未来図を反映している。
事実、現在の試算では2020年に高齢者世帯が全体の30%を占めると言われる。高齢者世帯とは65歳以上のみで構成、またはそれに18歳未満の未婚者が加わった世帯の謂いである。
 最早2020年は7年後。2022年には日本の総電力需要がピークを迎えるとの試算もある。

 これからは、否応なくオリンピックを織り込んで全ての物事が進んでいくことになるだろう。
それが、隠れ蓑や口実になって進められる政策や事業も玉石混交乱立するのも間違いない。
 各企業が2020ビジョンと名付けた構想を打ち出しているが、十年前逸早く“2020ビジョン”を打ち出したのは、平和市長理事会。2020年の核兵器廃絶を目指した指標である。

確かオリンピックには平和の祭典という御題目もあったはず。
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綱引

 オリンピック種目枠生き残りをかけた綱引きが連日報道された。
コメンテーターは様々なことを言うが、五輪を目指して日々を送る選手たちには、
どの種目が生き残るかで天と地ほどの明暗だろう。目指す舞台が無くなってしまうかもしれないのだから。

 今回に限らずオリンピック種目の栄枯盛衰はこの百年、繰り返されてきたことの様。
近代オリンピックの第二回から20年間は、“綱引き”もその種目に名を連ねている。

 綱引きの起源は農耕民族が豊作を占う神事だともいう。
如何にも素朴で好もしい気もするが、今復活するとしたら
“アスリート”はどんな基準で選抜され、どんな解説がなされるのだろうか。

 高校のアルバムを見返したら体育祭と思しき綱引きの写真がある。
すっかり忘れていたが、わが高校時代にはクラス対抗の綱引き大会が存在したようだ。
凡そそんなことに懸命になりそうにない同級生が、渾身の力で縄尻に取り付いている一枚。
こんな時代もあったかと、これまた意外で好もしい。
開演前。綱は奥女中たちを待つ。

 先般上演した『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』幕開きは、奥女中たちの綱引き。
この場の奥女中は達の殆どが普段女形を生業としない立役たち。
慣れない衣裳の着付けで舞台稽古は一騒動。「化け物屋敷になるかと思ったけど、
”意外に”みんな綺麗だった」とは衣裳さんのお言葉。

 この綱引き、実は青果先生の戯曲には描かれていない。
二代左團次初演以来の演出家・巌谷慎一(巌谷小波長男、三一・真一を経て慎一)氏は、
前進座初演の稽古でイキナリ奥女中たちの綱引きという“とったり”が飛び出して
度肝を抜かれたと記し、他所での上演でもこれを踏襲した。
ピタリとはまって一寸これに代わる“決め技”は難しい。
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名古屋大仏

 母校を訪ねたのは何年振りだろう。高校の校舎が大幅に改築されると聞いてふらりと行ってみた。
 この間すでに校内の彼方此方が変化している。
旧:東横線渋谷駅でのイベント。1960年代の渋谷駅周辺

営火祭の焚火を囲んだ大運動場は用途別に細分化されて、文化祭最終日の祭典は今はない。大運動場下のコートは鳥かごのようなネットに覆われている。僕らの頃にあった「余白」が埋め尽くされていくような印象。
 新たな建築物が空き地を埋めつつあることに、生徒数は変わらないのにそんなせせこましいことをしなくてもと苦情をはさみたくなるのも懐旧の情のなせる業か。
今回はエントランスの土手を削って新校舎が建つのだという。卒業アルバムのクラス集合写真で一クラスが必ずこの土手を選ぶという名所だった。我らが旧校舎は、なくなるわけではないが耐震工事と共に教室の入れ替えがあり、いよいよ在学中からほぼそのままだった教室配置は大幅に変わるらしい。
 あまり生産的な時間ではないなと思いつつ、旧通学路でも昔の名残をさがして歩いた。
 東京では私鉄の駅が相次いで大改修、駅のある街そのものが大変化を遂げつつある。一夜のうちに路線を切り替える離れ業に驚き、使われなくなった旧駅舎を最大限利用する商魂に感心し、消えて行く思い出のスポットに一抹の寂しさを憶えつつ、それでも時代は変わっていく。
 機能的になりつつ、でも何処か余白を失っていく街の中で、心の余白は持ち続けてもいいのかもしれない。
名古屋大仏。出来たのは大分前らしい

 旧通学路の外れで見つけた全身真緑色に塗られた大仏像をポカンと口を開けて見上げつつ、様々な思いが去来した。
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