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一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

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塩冶ー東海道四谷怪談

塩冶という町は意外に広い。
出雲市駅の南側、巡演でいつもお世話になるホテルがある近辺まで
広がっている。出雲を領した塩冶判官高貞ゆかりの地。

南北朝の武将・塩冶高貞は、江戸の史実を扱えぬ歌舞伎の中で
元禄期の浅野内匠頭長矩に擬せられ、当人の事績より『仮名手本忠臣蔵』で有名。
敵役の吉良上野介は、同じく南北朝の高師直として登場する。

 実際の塩冶は師直の讒言によって討伐され、
師直は別の権力闘争の中で惨死する。
讒言は、塩冶の妻・顔世に肘鉄を喰った腹いせとの伝説があり、
『仮名手本―』では其の話が採用されている。
 
『東海道四谷怪談』には、塩冶・師直の家臣たちが登場する。

塩冶の浪人・伊右衛門は、師直の家臣・伊藤喜兵衛に接近したり、
師直の墨付を手に入れたりして、師直家就職を願いながら、
ことごとく於岩様に阻止される。
が、その望み通り高野師直(四谷怪談では野の字を入れて表記する)に仕官していたとしても、
待っているのは高野家断絶。再び浪人の運命でしかないことを、観客たちは既に知っている。

 天国と地獄に見えた、民谷浪宅と伊藤喜兵衛邸宅は、何方も未来のないもの。
大きな運命としての”忠臣蔵”が、四谷怪談の背景に控えている。
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窓の下には神田川ー東海道四谷怪談


 雑司ヶ谷四谷のすぐ傍に、面影橋がある。昔は姿見橋とも呼ばれた。
“姿見の川に流して―”と南北さんは於岩様の戸板の着水地点を指定する。
 夢の場ほどロマンティックではなかったにせよ幸せな出会いがあり、親の横槍ものともせず伊右衛門がお岩様をとり戻したのはほんの数カ月―劇中の数字を信じれば一月半―前。有為転変。
 フォークソングの『神田川』は、早稲田中退の作詞者の思い出がモチーフになっているから、その舞台もこの近辺。「若かったあの頃、何も怖くなかった。ただ、貴方の優しさが怖かった」というフレーズが、於岩伊右衛門の運命を暗示しているようにも聞こえる。

 湿地帯・江戸は、100万都市になるまで大改造された。江戸に水を供給する為出来上がった流れが神田川。
井の頭池すぐの水門橋から隅田川に注ぐ地点の柳橋まで、140の橋が架かる。
面影橋(姿見橋)は、奇しくも108つめの橋。
因みに実説の於岩様が入水したとの説のある82番目淀橋も面影橋・姿見ずの橋との別名を持つ。

戸板は、隅田川から東岸の運河を経由して隠亡堀―今の岩井橋辺りに至る。
流された日から50日余り、釣に来た伊右衛門の足元に到着する戸板は確かに意思を持っている。
木下恵介『新説四谷怪談』で川水を切って進む戸板の映像が浮かぶ。
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三つの四谷ー東海道四谷怪談

新宿通り沿いのスーパー、丸正総本店の正面に
お岩水掛け観音がある。
丸正さんのちょっと先を入ると四谷左門町。
文学座さんのアトリエの少し手前の辺り。

前進座が初めて『四谷―』を手掛けた時には、杉
村春子先生が国太郎お岩への期待を座の新聞に寄せて下さっている。
母であり妻であるお岩を魅力的に描いてくれるであろう期待と共に、
女性なら誰だって一つくらいは化けてでも出てやりたいと思うことがあるんじゃないかしら
と仰っているのが印象深い。

四谷左門町という町名は、そのまま於岩様の父親の名に使われている。
ある勘定によると『四谷怪談』中での死者の数は25人と言うが、この四谷左門氏が最初の犠牲者。

 芝居の民谷は赤穂浪人、実説の田宮家は幕府御先手組の同心。
実在の田宮家があったのが四谷左門町である。
現在、於岩稲荷田宮神社と陽運寺が
斜向いに建つ一帯がその田宮家跡と言われる。
ここが焼けた際に造られた田宮神社が中央区新川にあり、
於岩稲荷は都合三つ残って居る。
明治年間にはさらに別のお岩稲荷が作られて物議をかもした。

お岩さまの墓がある妙行寺が巣鴨にあるのは、明治後の移転による。
元の位置は四谷鮫ヶ橋、左門町からは程近い。
尤も、『東海道四谷怪談』に出てくる四谷は、左門町のある四谷ではなく
雑司ヶ谷の四谷(四家)。

 若い男女の死体が戸板の裏表に釘付にされて流されていたのが発見された。
状況からみて不義密通―今はやりの不倫―の成敗と取り沙汰された当時の事件が劇中に登場する。

 『四谷怪談』は下層武士の困窮生活をとらえたリアルな話から、
途中で超自然の物語へと転換する。そこで舞台は隅田川の西岸から東岸へと移る。
その舞台転換の水先案内人を、南北さんはこの戸板に負わせた。
四谷左門町では戸板を流す川がない。神田川の流れる雑司ヶ谷は合うたり叶うたり。

さて、以上二つの四谷、何方も東海道は通らない。
本編には一切拘わりないが、東海道にも四谷はある。
 遊山と信心を兼ねた“大山詣り”は、江戸で大流行り、落語の題目にも残って居る。
伊勢参りより手軽で、不動と言えば成田より大山だったという著名な信心。
年何十万人が詣でたという。今の伊勢原市の大山あふり神社。
藤沢宿近辺の東海道四谷はこの大山参詣道の分岐点として著名だった。

 『甲州街道四谷怪談』よりはるかに語呂は良し、
本編には一切登場しない東海道四谷をすっとぼけて、
南北さん命名したのかもしれない。
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”心”-夢の場『東海道四谷怪談』

 “ドロドロになり、幕の前より心の文字、上へ引いてとる”
心(こころ)という字を見せて置いて始まる場面は、
現実ではない夢の場の印。
過去の思い出であったり、これから起こりそうな悪夢であったり。
黙阿弥『三人吉三』では、
3人の吉三が曾我もの縁りの人物になって地獄で暴れるという夢が登場する。
正月狂言は曾我物という宿題を消化するとともに、
夢から覚めた和尚が眼前の墓標に無常を感ずる良い場面となっている。


『四谷怪談』の夢の場も、
蛍舞う美しい舞台面と役者を見せて
このあとの凄まじい怪奇を際立たす効果の場でもある。

 今風に考えれば民谷伊右衛門の深層心理。
フロイトやユングならどう分析するか興味深いところでもあるが、
『四谷』の場合、他人の夢にも易々と干渉できそうなお岩さまが居て
一筋縄ではいかない。


 とは言え、七夕の牽牛織女を思わせる二人は
出会った頃の岩と伊右衛門の姿とも見え、
所詮判り合えぬ男女の原風景とも見える。
此の夢の中では悪友・秋山長兵衛までが、現実と違って
仲違いするまで伊右衛門とぶつかり合う。


舞台となる田舎家は、夢の中のこととて
初演本には場所の指定はないが、所作事として演じられるようになってのち
王子滝野川の場と記されたこともある。
この近辺には桜の名所飛鳥山がある。
飛鳥山由来碑

現在は飛鳥山公園。
明治6年、突如迎えた太陽暦の新年一月十五日の太政官布告が
日本に八十ほどの公演をつくるが、
布告中に例示された芝や上野を差し置いて布告の日に開園しているのが
飛鳥山公園。紛れもない本邦公園の草分けである。

 ここを桜の名所にしたのは徳川八代将軍吉宗。
生類憐みの令で途絶えていた鷹狩りを復活させるに伴っての措置で、庶民の行楽を推奨した。

 夢の中の伊右衛門と於岩の出会いも
鷹狩の鷹が仲立ち役、その鷹が鼠に変身すると、
蜜月の夢は於岩さまの支配する悪夢へとかわり、
大詰・蛇山庵室へと場面は変わる。
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芝居の首

南越谷駅前には阿波踊りの像。
毎年八月の催しは30年を越したという。三大〇○というのは、大抵異説があるものだが、
関東三大阿波踊りにも、日本三大阿波踊りにもカウントされているのだという。


駅からバスで15分ほどの藤浪小道具さんが今日の目的地。
『東海道四谷怪談』で使う切首の型取りである。

鎌倉権五郎や芋洗弁慶に十把一絡げで着られる“駄首”は別として、
役物の首も必ずしも似せた首を造る訳ではない。
『寺子屋』の小太郎、『仮名手本―』の師直等などは重要な首であっても、
似せては造らない伝統になっている。


役者に似せて首を造るようになったのは、南北さんの修行時代。
南北さんとも縁の深い初代松助丈が嚆矢だという。
してみると、南北さんがお好きな本首(役者が切り穴から首を出して切首の役をする)の演出は、
この似せ首(偽首でない)の流行に乗って発想された目新しいものだったろう。
『四谷怪談』の台本には、伊藤喜兵衛・お梅の死も本首演出として記されているから、
似せ首組に入れられたもののようだ。

生人形師・安本亀八の手になる九代目の切首を観たのは、
もう十年も前。巡演先の熊本市現代美術館に鎮座した首は、
今にも動き出しそうだった。

切首を使用する前の公演中毎日20分ずつ楽屋に通って
少しずつ彫り上げたという職人の経験談も伝わっている。
ライフマスクをとるようになったのは何時頃のことか。
所謂デスマスクが作られ始めるのは17世紀とのことで、
クロムウェルのものが残って居る。
日本では有名な漱石のデスマスクが走りなのだろうか。
信憑性は兎も角、伝・信長デスマスクというのがあるらしい。

特殊メイクの技術も進んだ昨今だから、型を取る素材も多種多様の様だが、
今回は敢てクラシックに石膏の型取り。
生仮面ライフマスク

但し今回は枠の土台の素材を替えてみるとのことで私がその実験第一号。
チューブで気道を確保して額の方から石膏に埋もれていく。
ずっとお弟子さんの手を握っていた大御所もいらっしゃったというが、
外界と繋がっているのは耳だけ。死んで魂が残るものならこんな状態だろうか。

石膏が熱くなって来たら固まり出した印。
顔の下半分から固まった石膏が剥がれ始めて少し軽くなる。
すっかり固まった処で、半身を起し少し下を向くと、
顔のネガが両手の上にゆっくりと顔落ちて一丁上がり。
一人前三〇分ほどの工程である。


小道具さんの作業場は専門に分かれて、
此方に『毛谷村』の臼があるかと思えば、
向うには『鳴神』で投飛ばされる所化人形。
前進座『龍の子太郎』の小道具が奇しくも手直し作業中だった。
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