unputenpu

一役者の気ままな雑記。 何処へ転がりまするやら。

お披露目

 稽古の日々は早く過ぎる。
今回は余裕があった方だが、それでもあっという間に国立劇場搬入の日。
 交差点の少年
四ツ谷から国立に向かう交差点に立つ釣竿をもつ少年は、
例年この日には初夏らしい爽やかな軽装に衣替えしているのだが、
不順な天候ゆえか、袖無しではあるものの一寸分厚い、何やら割切れない格好。
 
 楽屋の大部屋が改修されて、
固定式の化粧前と襖の代りに可動式パテーションが新設。
今公演が初御目見えとのことで、
搬入時、六枚のパテーションをレールに沿って移動させるのに
搬入メンバーと楽屋番さんが鳩首して試行錯誤。
ようやく六枚すべてが開いた時には、全員拍手。
「トップ・バッターが前進座さんじゃなかったら大変だった」と
楽屋番さん。

 前進座が国立劇場に初出演したのは
小劇場での『さんしょう太夫』だったが、
大劇場には南北『杜若艶色紫』などを
皮切りに、今回が丁度30回目。

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前進座『鳴神』75周年

明治43年に『鳴神』を復活した左團次は、訪ソ含めて上人を8回勤めた。
その最終上演は1937年一月、前進座での初演はその半年後、
創立六周年を迎え吉祥寺に拠点を移した年。舞台で研究所落成の挨拶をし、
千穐楽の翌日に完成披露会をもっている。
以後10年ほど『鳴神』上演は前進座。

十八番の上演は創立三年目の『勧進帳』に始まり『助六』『暫』と続いて四本目。
その後、五本を上演しているから、十八番の丁度半分を上演している。

 大劇場での歌舞伎上演では、1944年の11月が真山青果もの二本と『鳴神』、
翌年11月の帝劇に矢張り『鳴神』と、敗戦を挟んでガラリと変った世に共に登場している
(地方巡演等を加えると戦中のラストは『毛抜』、戦後は九月にラジオ放送した『助六』となる)。
ロス・アンゼルス カーテンコール

 一昨年のカリフォルニア公演までで『鳴神』約1275回以上。
中国公演もこれに含まれる。
五班に分かれて巡演していた頃の公演回数を正確に数えきれないところがあるため、
ロング・ランの作品は"〇〇回以上”という表現がよくつかわれる。


“改訂版“と呼ばれるものを加えると1600回程ということになる。
が、これはカウントしないのが通例になっている。
戦後五年の頃に上演されたもので、雲の絶間姫と見えたのは実は里の娘であったという“改訂”である。
 今読める台本上では、科白が聊か現代調になり、くすぐりが入っている他には、
上人を落した絶間姫が、里の娘の本性を表し渇水を引き起こした鳴神上人を農民の敵として罵倒して、懐剣ではなく農作業用の鎌を以て〆縄を切るという数行の違い。
だが、大らかさや普遍的な人間性といった『鳴神』の良さは失われてしまうように思える。
 これを行き過ぎと反省して、『鳴神』上演史から除いたのは、見識であった。

 この他にも、農民の雨乞い踊りの前幕を付けたり、押戻しを出したり、
團伊久磨作曲の洋楽入りの上演、面灯りの使用等々、
まだ天上する龍一つでも上演の度に様々な工夫が試されてきている。

 邪道かもしれないが、洋楽入り上演は楽しいし、
鳴神の影が古怪に映る様も効果をあげている。
無論、役々の高水準があっての上のことだが、これはこれで面白いのである。


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踊る”ずぼんぼ”

岩屋


 京の北、志明院が鳴神の岩屋のモデルと言われている。
ここは、鴨川の源流の一つ。
 京南座で『鳴神』を上演した時に、登ってみたが、探し当てられず後に再訪してやっと意を達した。
下山の途中でとっぷりと暮れて雪も降り始め、心細い帰路だった。
それでも現在は疎らにバスも通る舗装道路。黒雲坊、白雲坊の両僧が師の坊に命じられて下った道の不気味さは、こんなものではなかったろう。

北山

山を下る白雲坊の引っ込みに使われるのが、“ずぼんぼえ”という唄入りの二上り曲。
この詞は、獅子舞の囃子文句だと云われている。

 詞の中に出て来る“ずぼんぼ”とは、江戸時代の玩具。
紙の箱を伏せて四隅に錘(おもり)を付けたものを団扇で煽って遊ぶという、省エネルギー。
この箱に獅子舞の意匠を加えれば、獅子舞が踊る様になる。虎などの意匠もある。

 木版で 多色刷りされたキットを買ってきて切り抜いて組み立てたものらしい。
昭和の頃の学年誌の付録にも、この手の物が多かったが、今はどうなのだろう。

 ともあれ、ふわふわと風に翻弄される”ずぼんぼ”は、
誰やらに似ている。



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映画十八番

 前進座映画の代表作『人情紙風船』を初めて観たのは、
大学の教室。映画研究会の上映会だった。

『河内山宗俊』『阿部一族』を映像ライブラリーで、
その他の映画は前進座劇場での“前進座映画の夕べ”で大体は見られたが、
現存十数本のうち、未だ見る機会を得ないのが、『美女と怪竜』。
『歌舞伎十八番の内 鳴神』の映画化である。
       鳴神の荒れ


 現在上演される『鳴神』は、
元禄風を意図して二代左團次が『雷神不動北山桜』から起こしたものであるのはご案内の通り。
『―北山桜』は、“毛抜”“不動”という別の歌舞伎十八番の趣向をも含む長編戯曲。

 新藤兼人氏のシナリオは、独立した『鳴神=北山岩屋の場』には登場しない人物たちを配して、
雲の絶間姫がこの場に登場する背景を描く。
45年前の国立劇場杮落し第二弾で『―北山桜』の通しを補綴した
戸部銀作氏は、この映画も想い出しつつ筆を執ったと書いておられる。

 江戸の舞台で演じられる『―北山桜』の舞台から一転、
現実(?)の鳴神騒動が展開、大詰めは再び舞台の飛び去りという構成。
十八番の映画化は、黒澤明『虎の尾を踏む男たち』の他にはこれがある位であろう。

侍女二人を伴って巌の前に立つ雲の絶間姫は、女優。
宝塚退団後映画入りして五年の乙羽信子女史
(後に狂言形式の舞台でも絶間を勤めた)。

となると、出番のなくなるのは前進座の二人の絶間役者だが、
無責任な関白・基経に嵐芳三郎(五代)、
権力奪取を狙う悪人・早雲王子を河原崎国太郎(五代)という配役。

 絶間と三角関係をなす『毛抜』部分の登場人物、
錦の前と文屋康秀、小野家の面々、も姿を見せる。
鳴神上人の戒壇建立に異を唱える叡山僧に吉田義夫丈、
新藤作品に欠かせない殿山泰司丈が鳴神の弟子・白雲坊、
という個性派の活躍も興味深いところ。

 音楽が前年『ゴジラ』を手掛けた伊福部昭氏というのも、床しい。


 極く偶にフィルムセンターなどに掛るが、
ソフト化はされていないのでそういう機会を狙うしかなさそうだ。


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櫻守

 劇団から駅に戻る路に桜の大樹が忽然と現れた。
そう云えば、昨年か一昨年の今ごろにもここで桜を見た。が、青葉や冬枯れの木立は記憶にない。
花の季節に何処かから運んで植えていく奇特な職人がいるわけもないが、そう疑いたくなる程
他の季節の姿の見覚えがない。
櫻

 列島全体が同じ花に覆われるとは、希有な不思議な国のような気がする。
だから均一を望み右向け右をしてしまうのだと、穿った事を言いたくもなるが。
 このブログは、七年前の今ごろ『花咲か』という児童文学の話で始まった。
 今年はこれまたひょんな切っ掛けから、何となく心惹かれながら機会のなかった
『櫻守』という本を手に取った。
『花咲か』は、江戸末期にソメイヨシノが生まれる話だが、
『櫻守』は第二次大戦を挟んで高度成長への時代に、山桜を守る人びとを描く。こちらの人々は山桜こそ本当の桜、クローンの染井吉野は紛い物という位の位置に立っている。
 四月に入った日に読み終えたが、現金なもので、その後咲き揃った染井吉野の並木が禍々しいものに見えたりした。

 主人公、北弥吉は、48歳でその櫻守の人生を終えるが、無償で守り続けた桜の下に埋まりたいと遺言する。そこは義経逃避行の最初の関所・愛発(あらち)に程近い村。本来、村の者しか入ることのできない共同墓地だが、住職も村人も即座に承知した。
 師にあたる民間桜学者は、これは桜の縁であり、弥吉の徳のなしたことだと云う。
人が死んで一つだけ残すものは徳、人が死んで、その瞬間から徳が生きはじめる、と。
 
 何故、人は桜に惹かれるのだろう。登場人物たちも時にそこに立ち止まる。
作中の桜は淋しい人間への愛しさを優しく覆う。
 東京にも染井吉野でない桜が彼方此方にある。来春はそんな桜を気にしてみようか。

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